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誰が自然を殺したのか?①「イタリア編」

こんにちは。油絵科の関口です。
芸大の二次試験も終わり、残すは最終発表のみになりましたね。皆の一年間の努力と、試験でベストを尽くした結果が、良いものでありますよう、心からお祈り致します。

 

さて、今日のタイトルは随分と物騒なものになっていますが、ご安心下さい。ちゃんと絵のお話ですよ。ちなみに今回のテーマは「静物画」です。モランディ
20世紀イタリアの巨匠、モランディの静物画

静物画というジャンル
ところで、絵画には静物画というジャンルがありますよね?
英語ではstill?life(直訳すれば、留まる生命、止まった生命)になります。これに近いのはドイツ語のstill?leben?とオランダ語のstilleven?です。
ところがイタリア語ではnatura?morta(直訳すると死んだ自然)になります。これに近いのはフランス語?のnature?morte?とスペイン語のnaturaleza?muerta?です。最初に聞いた時「おいおい、死んでいるのかよ!」と思わず突っ込みたくなりました。

この「死んだ自然」という解釈は、どの様にして生まれたのでしょう?そして一体誰が自然を殺してしまったのか?に迫ってみたいと思います。

ヨーロッパのルネサンス期において、静物画というジャンルは単独で描かれる事は殆どなく、宗教画、歴史画、肖像画の脇役として描かれる程度でした。ちなみにレオナルドやミケランジェロ、ラファエロ等のルネサンスを代表とする三大巨匠達は、単独の静物画を一点も残していません。

容疑者①??カラバッジォCanestra di frutta
カラバッジォ作「果物籠」

古代の作品を除き、僕が知っている一番古い単独の静物画は、1595?1596年頃にカラバッジォが描いた静物画「果物籠」になります。(僕が知らないだけで、他にも存在するかもしれませんが、その時はご容赦下さい)ちなみにこの絵は西ヨーロッパの通貨がユーロになる前、イタリアの100000リラ紙幣の裏面として使われていました。僕が友達と旅行した1993年頃のレートは10リラが1円程度だったと記憶していますので、この紙幣が10000円位の感覚でした。100000リラ紙幣裏

さてカラバッジォという画家は、バロックという時代の先駆けに位置する画家として今では有名ですが、当時としてはかなり変わった画家だったようです。
ルネサンスとその後に続くマニエリスムは、基本的な思想は違いますが、理想的な美を求めて作品が作られているという点では共通していました。いわゆるお手本の様なものが存在していたと思われます。しかし、カラバッジォは「俺の手本は街ゆく人々だ」と言い放ち、宗教的な題材の作品でもモデルを目の前にモデルを立たせて描いたと思われます。当時の絵画は、殆どモデルを立たせて描くという習慣が無かったので、実在感のある絵を見て、人々は驚きを隠せなかった事でしょう。今日で言うレアリスムを体現していました。ロレートの聖母
カラバッジォ作「ロレートの聖母」
しかし当時の人々の目には、リアルであると同時に下品なものに見えてしまう事が多く、このロレートの聖母という作品では「巡礼者足の裏がドロで汚れている」という理由で、飾られる筈だった協会から受け取りを拒否された、という逸話が残っています。

あと、色んな本を読んで調べてみると、カラバッジォという人は酒を飲んでは喧嘩ばかりしていて、かなりの問題児だったそうです。但し存命中から絵の評価や人気は高く、問題を起こしても権力のあるパトロンに匿ってもらい、中々捕まる事は無かった、或いは捕まってもすぐに釈放されていたようです。しかし、度重なるトラブルの果てに、賭事をキッカケとして友人のヌラッチオを殺害していまい、ローマを追われます。流石の権力者達も殺人者を匿う事は出来なかったという事でしょう。

そのカラバッジォが描いたからnatura?morta(死んだ自然)になったのでしょうか?

 

 
しかし、ヌラッチオを殺害してしまったのは1606年と言われていますので、1595?1596年に描いた「果物籠」との関係はなさそうです。
それに静物画というジャンルが存在しなかった当初、「果物籠」というタイトルがあれば、他の名称は必要無かった筈ですね。・・・という事でカラバッジォはシロ。

では自然を殺してしまったのは一体誰なのか?長いので次回に続きます。