油絵科の箱岩です。
秋らしい奥行きのある空が見られる季節になりました。画像は、お休みごとにパトロールしている利根川で一息ついた時の景色です。

昔、小学生のとき校庭で壇上で話す校長先生をすっかり無視して、頭上に広がる群青色の宇宙に、真っ逆さまに落っこちるような感覚になりながら、夢中で見上げた福島の空の色を思い出します。
智恵子抄で語られた本当の空の色。その色は県民の誇りその物だったなと、地元を離れた今になって思います。なぜか、関東で見る空の色とは違うんですよね。
あの頃の自分が想像もしなかった未来に、今、自分が立っていて、まるで浮遊するような実感のうすい感覚を味わい続けている。この感じって、あのときの妄想以上だな?なんて思う今日この頃です。日々の実感を追い求め「今を生きる」を目標に我が儘に暮らしているつもりの自分ですが、本当に人生は不思議なもんです。
さて、なかなか話の進まない裏美術に関するお話です。
夏期講習会の後半に募集をして、いろいろと審判団で審議をしていましたが、どうやらこんな定義が我々の思う裏美術なのかな?という物が見えてきました。
ここに、ちょっとばかり気合いを入れまして「裏美術についての定義」を宣言してみたいと思います。
『裏美術とは・・・』
- なんの計算もされていない表現であること。
- 知的に「絵にする」をしていない事。
- 出力の温度が妙に高い事。(下手すると本人も火傷しそうな温度)
- 自分では完全にイケテルつもりでいる事。
- 受験に喧嘩を売るような態度である事。
- 何か、ちょっとクスっとなる感じがある事。
- オシャレすぎない事。
- 万人受けするようなデザイン性は気にしていない事。
- ただのグロテスク、エロスにとどまらない超越的表現である事。
- 自分からB級やアングラを意識しない事。
- 表現への拘り方が並じゃない事。偏執的。
- 常識では計れない新しい価値観が提示されている事。
- 「時代が違えば間違いなく巨匠」とよく言われる表現である事。
- つい二度見してしまう様なインパクトがある事。
- スタイルはどうあれアートの心意気だけは立派な事。
裏美術自体に何ら根拠が無い以上、鑑賞する側にも新しい価値に対する好奇心と寛容な感受性が求められます。もしも貴方が「裏美術」の深みにはまってしまったとしても、一切の責任は各自にゆだねられます。
さて、皆さんの創作活動の中で、上に列挙された裏美術の条件に当てはまる作品が出来た時、その作品の善し悪しを「裏美術コンクール」で試してみませんか?
詳細は、いつも通り唐突な掲示によって告知致します。
真面目な皆さんの事ですから、新美の公開コンクールも勿論全員参加するでしょうが、「裏美術コンクール」開催の際は、そちらも宜しくお願い致しますね。