日別アーカイブ: 2019年7月15日

先端とホワイトキューブ

こんにちは。先端芸術表現科です。

前回の投稿で7月7日(日)に、ギャラリーを用いて作品の展示・発表をしたことについて書きました。今回は報告というよりも、ギャラリーや白い壁をめぐるいくつかのことなどを書いていきたいと思います。

さて、今日私たちが美術館やギャラリーにでかけて作品を見るとき、その背後にある壁の多くは白く塗られています。こうした白壁によって覆われた展示空間のことを一般的に「ホワイトキューブ」と呼びます。

このように白く囲われた空間が美術館に導入されたのは、1929年に開館したMOMAだといわれています。つまり絵画や彫刻などは、それ以前にも多く作成されてきましたが、必ずしも白い空間に置かれたり、かけられたりしていたわけではなかったのです。
それまでは王侯貴族のコレクションとしてある特定の個人の所有物であった美術品が、そのような場所から切り離され、「美術館」という場所をその鑑賞の空間とするのは、18世紀の後半のことです。フランス革命が起き、それまでは王侯貴族のプライベートなコレクションだった美術作品をパブリックなものとするために、1793年にルーブル美術館は設立されました。そこから19世紀でのサロンでの展示空間などを経て、先にも述べたように20世紀前半からは、今日のように、白い壁に作品が一点一点並べて置かれるという形式が主流になっていったといわれています。そして、ホワイトキューブという空間それ自体が、その後の現代美術の展開を規定していった、という議論もなされています。

参考サイト
英語 https://www.tate.org.uk/art/art-terms/w/white-cube
日本語https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96

さて、先端の1学期最後の講評会では、新美1Fのギャラリーを用いて発表したことは、前回のブログでも報告しました。新美のギャラリーでは、外光が入らないような白い壁とガラスの空間で、スポット照明を用いて展示を行います。そしてこのような展示空間自体は、上でも述べたように、歴史的に規定された、作品のための場所でもあります。つまり先端がギャラリーを使用するということは、必ずしも「理想的な」作品空間としてそこを用いるのではなく、そうした場所自体を再考し、表現と呼ばれるものがいかなる場所や空間において成立するものであるかを自らで捉え直すためのきっかけとしても機能している、と考えています。何がホワイトキューブやギャラリーと呼ばれる空間でしか成立しないものなのか?ギャラリー、教室、学校、道路、駅、ウェブページなどなど、作品や表現と呼ばれるものが今日いかなる場所で成立するものであるのか?ということを、自らの表現のあり方を考える中でも常に考え続けること、場所と作品との関係を再設定していくことも、先端の受験においては重要なことの一つだと考えられます。

以上の事柄に関係する2つのことを紹介します。

1つめは、「Chambres d’Amis」(フランス語のタイトルで、カタカナでかけば「シャンブル・ダミ」となります。直訳すると「友人の部屋」となりますが、英語での定訳は「ゲストルーム」となっているようです)という名前の1986年に開催された展覧会。これはヤン・フートというキュレーターの企画によって、ベルギーのゲントで開催されました(この展示については、以前のブログでも紹介しました)。
この展覧会は、タイトルが示すように、私邸に作品を設置するというもので、美術館に代表されるホワイトキューブで公共性を有する展示空間ではなく、私的な生活空間においてアーティストが作品を設置するところにその批評性があります。artscape内の記事も参照してみてください。

https://www.macba.cat/uploads/20101111/chambres_amis_eng.pdf
このpdfで、展覧会風景の写真がいくつかみられます。

もう一つ紹介するのは、トーマス・ヒルシュホルンというスイスの作家の、次の文章です。
Less is Less, More is More
ヒルシュホルンは、今日では様々なプロジェクトや、大量のゴミのようなものが集積したインスタレーション作品、アルミホイルやガムテープなどの素材で作られた平板な彫刻作品で著名な作家ですが(例えば、1999年にベネチアビエンナーレにも出品された《世界空港》という作品や、《TOO TOO-MUCH MUCH》という作品)これは作家が95年に書いたテキストの英語翻訳になります。
まずはタイトルから。これは、建築科ミース・ファン・デル・ローエの有名な言葉”Less is More”のもじりになっています。「より少ないことはより豊かなことである」とでも訳せるこの言葉は、最小限の要素から成立する建築を称揚するモダニスム建築の有名な標語でもあります。
このタイトルはそれをもじりながら、「より少ないことはより少ないことであり、より豊かなことはより豊かなことである」という同語反復が用いられています。
この文章の中でヒルシュホルンは、美術館やギャラリーにおいて、白い壁に少ない数の作品が置かれていることを批判します。そしてそのような空間は、労働者階級の家や売店のような空間ではなく、「中産階級の上位層の家」に類似していることを指摘します。つまり、ホワイトキューブに少ない作品が置かれていることは、単に美的な問題ではなく、それ自体が経済的な格差に基づいた設計によって基礎付けられているということです。そしてヒルシュホルンは、自らの作品のあり方それ自体も経済的な観点から成立させようとします。それが上でも掲げられた「より少ないことはより少ないことであり、より豊かなことはより豊かなことである」というタイトルが示していることです。大量のもので埋め尽くされた空間は、上のような空間の捉え方から帰結するものなのです。

これから始まる先端の夏期講習でも、自らの状況や表現の起点を自明なものとするのではなく、課題や講評を通して皆でそれぞれの表現の立ち上げについて考えていくことができれば良いと考えています。それがひいては、受験に必要な個人資料ファイルを作るためのもっとも重要なはじまりになると考えるからです。

それでは、先端芸術表現科でした。