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芸大油画専攻・一次試験の歴史

こんにちは。油絵科の関口です。

さて、タイトルにもある芸大一次試験ですが、今は当然の事ながら上野校地で行われています。ところが6年前迄は、17年間に渡って両国国技館で行われていました。我々講師としては、ちょっと前の出来事ですが、今の受験生で国技館の受験を経験していた人は、もう少数派だと思います。
当時を振り返ると、国技館の入試は色々な問題がありました。まず、元々絵を描く環境として全く考慮された場所では無く、お相撲を観戦する為の施設です。そこで試験が行われていたので、問題がない訳がありませんよね。

国技館
まずは座席。普段中央に設置されている土俵や矢倉は無く(矢倉は天井まで上がる仕組みになっているんです)そこはちょっと広めの空間が空いていました。受験生は一階席が※升席に一人。(赤い絨毯が引かれていて、相撲の観戦の時は座布団が敷いてあり、4人が座れる様に設計されています。升席の区切りはステンレス製で低めの柵で覆われていました。観戦しやすい様に雛壇になっていて、後ろの方が少しずつ高くなって行きます)二階席は椅子席で座る時に座面を倒して開ける映画館や大学の講義室の様な椅子。やはり観戦しやすい様に前列とは段差が付いており、受験生は前後左右を一人分ずつ開けて座りました。つまり、一階席と二階席ではかなり状況が違います。しかも中央部は照明が強く、二階席の下の升席はかなり暗い座席でした。

枡席
※枡席。試験のときは当然の事ながら座布団はありませんでした。二階席の下の暗い感じの雰囲気は伝わってくるでしょうか?

 

国技館での試験の特徴として上げられるのは、鉛筆素描だったという事。用紙もTMKポスター紙という、比較的キメの細かい紙でした。

国技館初期(今から20年位前)は素材に関しては規制が少なく、かなり色んな素材を使う受験生がいました。鉛筆だけでなく色鉛筆、木炭、モデペ、顔料…挙げ句の果てにはスプレーまで使う人が現れる始末。升席ではイーゼルや自前の椅子を持ち込んだり、中にはテントを持ち込んだり・・・そんな強者の受験生もいたようです(笑)。今の受験生には意味が分からないでしょ?

会場全体を見渡せる試験の為、一人の受験生がやった奇抜な行為が、翌年には色んな所で発生し、ドンドンエスカレートして行く事になります。新美でも次々と面白い作品や奇抜な表現をやっている人を見掛けました。今振り返ると懐かしい時代です。

ーこの項つづくー