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世界の扉

こんにちは。油絵科の関口です。
皆さんは何かのキッカケで、今迄と違う世界の扉が開いた…そんな経験はありませんか?
先月に引き続き、美術の道を目指し本格的に絵の勉強を始めた、10代後半の僕のお話です。

はじめの一歩(前回のお話)
http://www.art-shinbi.com/blog/20150112/

毒1939
ルネ・マグリット作「毒」1939年

高校1年の冬頃、僕は両親に「絵の道に進みたいので美大に行きたい」と伝えました。母親は案の定大反対。父親には反対はされませんでしたが、そっちの道で食べていけるのか?と本気で心配されました。絵の世界とは全く別のところで生きてきた両親にとって、さぞかし不安を抱いた事でしょう。
父親は僕が小さい時から「手に職を持ちなさい。他の人に出来ないことをやりなさい」と事ある毎に言っていた人なので、さすがに反対は出来なかったんだと思います。ただ、まさか息子が絵の道に進むとは思っていなかった事でしょう(笑)。

とにかく反対する母親を説得し「一度で良いから東京の予備校に行って絵の勉強をさせて欲しい」とお願いしました。
・・・暫く経ってから母親は渋々東京に行く事を認めてくれました。父親と相談し「一回行ってみて現実を見れば諦めて帰ってくるだろう」という狙いがあった様です。

 

僕が一番最初に講習会を受けたのは2年生になる春で、実は新美ではありませんでした。全国から色んな人達が集まって来ていましたが、「僕の高校の先輩の方が上手い」と思い、生意気にも物足りなく感じていました。
一人で東京に出るのは初めてだったので、電車に乗るのも一苦労。切符を買う時に入場券も必要だと思い込んで2枚の切符を購入し、入場しようとして駅員さんに止められました(笑)。当時は自動改札やSuicaなども無く、駅員さんが手で切符にハサミを入れて入場するスタイルでした。そう言えばその時はまだJRという名前でもなく、国鉄でしたね。
画材屋さんでは初めて見るものばかりで、やっぱり東京は違うな?と思ったものです。(ウチの田舎の画材屋さんは当時高校近くの一件のみで、今のトゥールズさんの4倍くらいのスペースですが、品揃えは1/10以下だと思って下さい。文房具屋に毛が生えた位のレベルでした)
携帯やインターネットというものも存在せず、見るものは全て新鮮でした。

 

講習会を終え実家に帰って、諦めるだろうと思っていた親の当ては外れ「これなら僕はやっていける」と確信(という名の勘違いを)していました。
両親との「一度だけ…」という約束を半ば強引に破り、「物足りなかったので、今度は違うところでもう一度勉強しに行きたい」と我儘な主張をしました。何日も話し合った結果、両親はとうとうギブアップ。
その年の夏、世界の扉はそこで開く事になるのです。

ー続くー