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誰が自然を殺したのか?④ フランス編

こんにちは。油絵科の関口です。
ここのところ大分暖かい日が続くようになったな?と思ったら、昨日は打って変わって、まさしく「春の嵐」でしたね。

本題に入る前に、まずは春の訪れを感じさせる様なこの一枚をご覧下さい。pitcher1931
ボナール作「pitcher」(1931年)

さて今日も静物画=natura morta(死んだ自然)という解釈を巡り、誰が自然を殺したのか?をテーマに書きたいと思います。このシリーズも長くなりました。かれこれ一ヶ月近くも犯人を探している事になりますので、そろそろ自然を殺した真犯人に迫ってみたいものです。

?これまでの容疑者には、疑われる要素こそありましたが、殺すには動機が乏しい人達ばかりでした。今回はちゃんと外堀を埋めて、容疑者を追い詰めたいと思います。

 

 

容疑者④アンドレ・フェビリアン
色々と調べた結果、このアンドレ・フェビリアンに辿りつきました。芸学の人ならいざ知らず、多分油絵科でこの人を知っている人は殆どいませんよね?フェビリアンは17世紀の建築家ですが、美術史家、美術批評家としてフランス王立絵画彫刻アカデミーに従事していた人です。André_Félibien

17世紀前半のフランスではギルドという制度(職人の組合みたいなもの)が存在しており、そのギルドに所属していないと、画家として活躍する事が出来なかったと言われています。そのギルドに対抗する為に作られたのが王立絵画彫刻アカデミーで、そこではドロドロした戦いが繰り広げられていたと思われます。

フェビリアンはアカデミーの中で「動いているものを描く画家は、死んで動かないものを描く画家よりも賞賛に値する」と評し、ギルドに対抗する為、オランダにもあったジャンルのヒエラルキーを導入しました。その論理を展開する事によって、アカデミーに有利な方へと導いていきました。つまり、自分たちの地位を守る為に、あからさまに静物画を蔑視していったのです。
当時のフランスはオランダ美術の影響が非常に強かったと言われています。オランダではジャンルこそ一番下の階級に属していましたが、言語としては比較的穏やかな言い回し(stilleven「=留まる生命」)でした。フランスも最初の頃はオランダ語と同様の意味であるviecoye「静止した生」を使っていたようです。それが18世紀に入るとnature?reposée「休息した自然」に変わり、最後には上記フェビリアンの「死んで動かないもの…云々」という評と結びついてnature?morte「死んだ自然」になったと考えられます。

という事で、自然を殺した真犯人は、フェビリアンでほぼ間違いないと思います。

静物画の復権
18世紀フランスでは、シャルダンが素晴らしい静物画を多数残しています。何気無く組まれた静物達は、現実世界にある「物体」という存在を超えて、一つひとつが厳かで崇高なものさえ感じさせてくれます。

Still Life with Pestle, Bowl, Copper Cauldron, Onions and a Knife Painting1734~35
シャルダン作「Still Life with Pestle, Bowl, Copper Cauldron, Onions and a Knife Painting」(1734~35年)Chardin-1760
シャルダン作「La Brioche (Cake)」(1760年)

前時代に「死んだ自然」と評され、ジャンルの最下層に追いやられた静物画に生命を宿したその作品群は、今でも美術館で多くの人達に感動を与え続けています。

更に19世紀になると、セザンヌが革新的な静物画に取り組んで、20世紀の近代絵画に大きな影響を与えているのは周知の通りです。リンゴとオレンジのある静物1895-1900
セザンヌ作「リンゴとオレンジのある静物」(1900年)

ジャンルのヒエラルキーを覆したのは、自分達の地位を守ろうとしたギルドの画家やアカデミーに所属していた批評家ではなく、モチーフとの対話を日夜行っていた画家だったのです。

ちなみに新美にはStill Lifeという、古代から近現代までの静物画を中心に扱った画集があります。興味のある人は是非一度ご覧になって下さい。

 

ー 完 ー

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番外編 フランス人画家の静物

ところで、近代フランス絵画には優れた静物画が多数存在します。今日はその中から2点ほど気になるものを紹介したいと思います。

Botte d'Asperges, 1880
マネ作「Botte d’Asperges」(1880年)

このマネの描いたアスパラガス、「お見事」としか言いようの無いほどの的確なタッチで描かれています。一見簡単に描かれているように見えると思いますが、シンプルであるが故に、一切ごまかしが効きません。ウェットインウェットという、下の絵の具が乾く前に次の絵の具を重ね、色を濁らせないようにするのは、実際にやってみると非常に難しい技術です。しかもマネの使っている絵の具はオイルがたっぷりと含まれ、かなり柔らかい絵の具をあり得ない精度でコントロールしています。この領域までくると、もはや神業と言っても過言ではないと思います。

 

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マティス作「still life with blue tablecloth」(1906年)

マティスの静物も素晴らしいものが多いです。この作品ではテーブルクロスの模様がまるで生き物のように描かれ、モチーフに負けないくらいの強さで主張しています。後ろにあるはずの模様が前に出てくるのを まるで力でねじ伏せるかのように 空間内に押さえつけています。静物画でここまでスリルにあふれる作品も珍しいのではないでしょうか?こんなにも生き生きしている絵を見ると、間違っても「死んだ」とは言わせない、というようなマティスの意地を感じますね。

誰が自然を殺したのか?③ オランダ編

こんにちは。油絵科の関口です。
前回に引き続き、静物画=natura morta(死んだ自然)という解釈を巡り、誰が自然を殺したのか?をテーマに書きたいと思います。

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ピーテル・クラース作 「ブラックベリーパイとグラスのある朝食」(1631年)

 

容疑者③ヴァニタスを描いたオランダ人画家達
17世紀オランダでは、スペインのボデゴンとほぼ時を同じくして静物画が流行します。銀の食器や剥きかけのレモンなど、ボデゴンと重なる部分もあります。(※ボデゴンについては前回のブログ・誰が自然を殺したのか?②スペイン編 を参照して下さい)しかし決定的に違うのは、ドクロや楽器など、厨房にあるものとは思えないものを描いているという点。そして彼等が描いていた静物画には「ヴァニタス」(虚栄、この世の儚さ)というテーマが隠されている、という事です。

エバート・コリアー1662
エバート・コリアー「ヴァニタス」(1662年)

 
当時の絵画はただ鑑賞するものではなく「読む」ものだったのです。一つ一つのモチーフには意味があり、その暗示する要素をいかに読み取るか?が必要とされていました。
よく描かれるモチーフとしては、ドクロ、砂時計、楽器、楽譜、書物、花、剥きかけのレモンなど、多岐に渡りますが、何れもヴァニタスを描くのに適したものでした。
死を暗示する様なドクロを描くなど、積極的にヴァニタスに取り組んだ画家達こそが、束になって次々と自然を殺していった可能性があります。検証してみましょう。ピーテル・クラース1628
ピーテル・クラース作 「ヴァニタス」(1628年)

17世紀オランダでは、絵画のジャンルにヒエラルキーが存在しました。一番トップに歴史画(宗教画、神話も含む)、次に肖像画、その下に風俗画、更にその下に風景画、一番下に静物画という順番でした。静物画はなんと最下位です。
歴史画はジャンル的に一番上でしたが、あまり売れる事はなかったそうです。画家は生活のため肖像画や静物画を描いたとも言われています。
静物画は銀食器の冷たい質感描写や、今にも汁が滴りそうな剥きかけのレモンなど、画家の技術をアピールする上で重要な題材だったようです。しかしジャンル的に一番下に位置されていたので、何とかその地位を向上しようと努力をした結果、何らかの意味や寓意を持たせる、という手法に辿り着いたのではないか?と僕は考えています。教養の一つとして世の中に広めて、画家は技術を磨く為に静物を描いたとも考えられます。

 
そんな彼等は死を連想させるモチーフを描いていますが、ジャンル自体を死に追いやるとは到底思えません。それに静物画のオランダ語は、stillevenというもので、英語のstill lifeに極めて近い解釈です。
どうやらオランダ画家達も自然を殺した犯人ではなさそうです。

いよいよ迷宮入りに近付いて来ましたか…いえいえ、もう一人怪しい容疑者が残っていますので、次回はその容疑者に迫ってみたいと思います。

 

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番外編 オランダ人画家の静物とその変遷

オランダ人画家として有名なのはレンブラント、フェルメール、ゴッホ、モンドリアンあたりでしょうか?
レンブラントは単独の静物画を殆ど残していない(フェルメールに至っては一点も単独の静物はありません)ので、他の画家達を見ていきましょう。

●ゴッホ

ゴーギャンの椅子:ゴッホの椅子1888
ゴッホ作「ゴーギャンの椅子」(左)、「ゴッホの椅子」(右)(どちらも1888年)

この「ゴーギャンの椅子」という作品は、ゴッホがゴーギャンと一緒に暮らして制作していたときの作品です。対になる作品として「ゴッホの椅子」というのものが存在します。ゴーギャンの椅子にはロウソクが描かれていたり、本が描かれているので、ヴァニタス的にも見えます。それにしても椅子を描いただけでゴーギャンらしさ、ゴッホらしさというものが感じられるのは凄い事です。

 

●モンドリアン

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モンドリアン作「しょうが壷のある静物」(1911年)

モンドリアンの初期に描かれたこの静物画はご存知でしょか?モンドリアンと言えば格子の模様みたいな作品が有名ですが、初期にはこんな素晴らしい静物を残しています。少ない色数で描かれたこの作品は、凄い空間が感じられますね。この作品は僕が浪人生の頃に日本に本物が来て、目を皿の様にして見た記憶があります。
この作品を描いた人が、僅か10年後にはこんな風に変わります。↓piet-mondrian1921
モンドリアン作「コンポジション」(1921年)

この10年という月日には何があったのでしょうね?モンドリアンという画家も非常に面白い画家なので、いつかこのブログで紹介したいと思います。

 

●????

次にこのデッサンの作者は誰か分かりますか?de-kooning-bowl-pitcher-jug1921

 

実はこれウィリアム・デ・クーニングの17歳の時のデッサンなんです。ご存知かもしれませんが、デ・クーニングもオランダ人なんですよ。このデッサンはどちらかと言うと、スペインのベラスケスの初期作品に影響を受けているようにも見えますね。ベラスケスについては、前回スペイン編でも紹介しましたのでそちらを参照して下さい。
デ・クーニングもこの29年後にはこんな作品に変わっていきます。↓as-de-kooning-woman1950デ・クーニング作「Woman1」(1950年)

モンドリアンにしても、デ・クーニングにしても凄い変わり様ですね。劇的とはまさにこういう事を言うのでしょう。時間というのは、人をこんなにも変えてしまうものなんですね・・・。

 

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今年残念ながら落ちてしまった受験生も、これから絵を始めようとする人も一年間色んな事にチャレンジして、一日一日を積み重ねていけば、きっと変わる事ができる筈です。我々も日々努力を重ねて入試に挑みますので、一緒に頑張っていきましょう!

公開講座!パート2 本日申込み締切です!お早目に!

油絵科の関口です。
油絵科は『芸大油画専攻一次試験にチャレンジ』と題して、ゼミを行います。芸大油画専攻は年度によって全く内容の異なる課題(年によっては紙の質や描画材まで異なる事があります)が出題されるのが特徴的です。他の科と違ってかなりの実力者が落とされたり、殆ど初心者みたいな人が受かったりする事もあるので、対策の仕方が分からない人も多いと思います。Unknown-2Unknown-1

今回のゼミでは、過去数年分の合格者再現作品を使って、入試の流れや年度ごとの評価のポイントを解説し、受講した皆さんには今年出題された一次試験にチャレンジしてもらいます。もちろん試験ではないので、制作中のアドバイスや講評も行います。初心者の方には道具の使い方の説明も致しますので、どうかご安心下さい。

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これは今年の一次再現作品(部分)

今回は普段内部生にも公開していない“秘蔵の再現作品”や、今年合格した人の描いた“出来立てホヤホヤの再現作品”も見られる絶好のチャンスです。乞うご期待下さい。

映像科の講師の森田です。
来たる21日の公開講座ですが、映像科の講座は「そもそも映像系の実技試験はどうしてあのような形式なの?」という疑問に答えるような内容になっています。これを読んでいる皆さんは、おそらく映像系の実技作品を見たことがあると思います。イラスト的な絵と文字が書かれた、デッサンや平面構成とは相当雰囲気の違った、こんな言い方もおかしいですがあまり「美大受験っぽくない」作品です。そして合格している作品が必ずしもテクニック的にずば抜けているかというと、そうとも考えづらく…。きっとアイディア的に優れているんだろうと予想したり、あるいは「結局大学の先生の好みなんじゃないの?」と思ったりしてしまうかもしれません。
今回の講座では映像作品をつくる設計図として「絵コンテ」や「シナリオ」の役割を考えてみることから、映像系実技の評価ポイントを分析して解説していきます。これから映像系で大学の進学を考えようという人も、既に対策を始めている人も、ぜひ参加してみてください!

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誰が自然を殺したのか?②「スペイン編」

こんにちは。油絵科の関口です。
芸大の合格発表も終わりましたね。皆さん本当に一年間お疲れさまでした。

さて、前回に引き続き、静物画=natura?morta(死んだ自然)という解釈を巡り、誰が自然を殺したのか?推理を働かせ、容疑者を洗ってみようと思います。

 

bodegón(ボデゴン)について
ところで、静物画というジャンルはいつから単独で描かれるようになったのでしょうか…?
17世紀のスペインでは、bodegón(ボデゴン)と呼ばれる静物画が流行します。
ボデゴンとして有名なのはファン・サンチェス・コターンですが、一般の人には馴染みのない作家名だと思います。しかし名前は知らなくても「この絵なら見た事がある」という人はいるかもしれません。コターンの作品は構図が独特で、規則的で数学的な配置が特徴です。ある意味ボデゴンらしいスタイルを確立した一人だと思います。MBAGR-bodegoncardo
コターン作「食用アザミのある静物」

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コターン作「マルメロの実、キャベツ、メロン、胡瓜」

さて、本題に戻りましょう。ボデゴンを洗ってみると、一人の容疑者に辿り着きました。

 
容疑者②スルバラン
フランチェスコ・デ・スルバランはスペインのバロック時代に活躍した画家で、カラバッジォの影響を強く受けた一人です。カラバッジォについては前回触れましたが、人間性はともかく、スペインのバロック絵画に大きな影響を与えました。特に極端に強い明暗の使い方は、陽射しの強いスペインの風土に合っていたのでしょう。スルバラン静物
スルバラン作「レモン、籠のオレンジ、茶碗」

スルバランの静物画の特徴は、漆黒の中から浮かび上がる、キッチリ整然と並んだモチーフ。動きが極端に少なく、静寂を感じさせる構成と、感情の起伏が殆ど感じられない冷たい描写にあります。
そのスルバランの描いた一点が目に止まりました。
羊が描かれているこの作品。スルバラン/羊
スルバラン作「神の子羊」

無表情で顔色一つ変えず、手足を縛り、、、まさかあんな大人しそうな人が…この男が自然を殺した犯人なのか?

しかし前述した通り、スペインではbodegónという名称で静物画を表現しています。このbodegónという言葉はスペイン語で「酒蔵」を意味するbodega(ボデガ)の増大辞(ニュアンスとしては大きいという意味)だそうです。日本ではbodegónを「厨房画」と訳し、それ自体が独立したジャンルのように扱われています。言われてみれば確かに厨房にあるものばかりです。スルバランは羊も食べ物として描いた可能性がありますね。
ちなみにスペインにもnaturaleza?muerta?というイタリア語やフランス語と同じ「死んだ自然」という解釈の言葉が存在しますが、殆ど使われていないそうです。

うーん、どうやらスルバランもどうやら犯人ではない様ですね。
という事で次回に続きます。

 

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番外編 ベラスケス
卵を調理する老婆
ベラスケス作「卵を調理する老女」

スペインを代表するバロックの巨匠、ベラスケスの描いたこの作品。単独の静物ではありませんが、当時スペインで流行していたカラバッジォとボデゴンの影響が強く表れています。ちなみにベラスケスがこの作品を描いた年齢は、何と19歳!!
ちなみに僕は19歳の時、この作品を何枚も模写しましたが、少ない色数の中で幅を出したり、一つひとつの静物の質感を描き分けたり、当時の自分にはたいへんに勉強になりました。僕にとっては非常に思い出深い一枚です。

誰が自然を殺したのか?①「イタリア編」

こんにちは。油絵科の関口です。
芸大の二次試験も終わり、残すは最終発表のみになりましたね。皆の一年間の努力と、試験でベストを尽くした結果が、良いものでありますよう、心からお祈り致します。

 

さて、今日のタイトルは随分と物騒なものになっていますが、ご安心下さい。ちゃんと絵のお話ですよ。ちなみに今回のテーマは「静物画」です。モランディ
20世紀イタリアの巨匠、モランディの静物画

静物画というジャンル
ところで、絵画には静物画というジャンルがありますよね?
英語ではstill?life(直訳すれば、留まる生命、止まった生命)になります。これに近いのはドイツ語のstill?leben?とオランダ語のstilleven?です。
ところがイタリア語ではnatura?morta(直訳すると死んだ自然)になります。これに近いのはフランス語?のnature?morte?とスペイン語のnaturaleza?muerta?です。最初に聞いた時「おいおい、死んでいるのかよ!」と思わず突っ込みたくなりました。

この「死んだ自然」という解釈は、どの様にして生まれたのでしょう?そして一体誰が自然を殺してしまったのか?に迫ってみたいと思います。

ヨーロッパのルネサンス期において、静物画というジャンルは単独で描かれる事は殆どなく、宗教画、歴史画、肖像画の脇役として描かれる程度でした。ちなみにレオナルドやミケランジェロ、ラファエロ等のルネサンスを代表とする三大巨匠達は、単独の静物画を一点も残していません。

容疑者①??カラバッジォCanestra di frutta
カラバッジォ作「果物籠」

古代の作品を除き、僕が知っている一番古い単独の静物画は、1595?1596年頃にカラバッジォが描いた静物画「果物籠」になります。(僕が知らないだけで、他にも存在するかもしれませんが、その時はご容赦下さい)ちなみにこの絵は西ヨーロッパの通貨がユーロになる前、イタリアの100000リラ紙幣の裏面として使われていました。僕が友達と旅行した1993年頃のレートは10リラが1円程度だったと記憶していますので、この紙幣が10000円位の感覚でした。100000リラ紙幣裏

さてカラバッジォという画家は、バロックという時代の先駆けに位置する画家として今では有名ですが、当時としてはかなり変わった画家だったようです。
ルネサンスとその後に続くマニエリスムは、基本的な思想は違いますが、理想的な美を求めて作品が作られているという点では共通していました。いわゆるお手本の様なものが存在していたと思われます。しかし、カラバッジォは「俺の手本は街ゆく人々だ」と言い放ち、宗教的な題材の作品でもモデルを目の前にモデルを立たせて描いたと思われます。当時の絵画は、殆どモデルを立たせて描くという習慣が無かったので、実在感のある絵を見て、人々は驚きを隠せなかった事でしょう。今日で言うレアリスムを体現していました。ロレートの聖母
カラバッジォ作「ロレートの聖母」
しかし当時の人々の目には、リアルであると同時に下品なものに見えてしまう事が多く、このロレートの聖母という作品では「巡礼者足の裏がドロで汚れている」という理由で、飾られる筈だった協会から受け取りを拒否された、という逸話が残っています。

あと、色んな本を読んで調べてみると、カラバッジォという人は酒を飲んでは喧嘩ばかりしていて、かなりの問題児だったそうです。但し存命中から絵の評価や人気は高く、問題を起こしても権力のあるパトロンに匿ってもらい、中々捕まる事は無かった、或いは捕まってもすぐに釈放されていたようです。しかし、度重なるトラブルの果てに、賭事をキッカケとして友人のヌラッチオを殺害していまい、ローマを追われます。流石の権力者達も殺人者を匿う事は出来なかったという事でしょう。

そのカラバッジォが描いたからnatura?morta(死んだ自然)になったのでしょうか?

 

 
しかし、ヌラッチオを殺害してしまったのは1606年と言われていますので、1595?1596年に描いた「果物籠」との関係はなさそうです。
それに静物画というジャンルが存在しなかった当初、「果物籠」というタイトルがあれば、他の名称は必要無かった筈ですね。・・・という事でカラバッジォはシロ。

では自然を殺してしまったのは一体誰なのか?長いので次回に続きます。