カテゴリー別アーカイブ: 油絵科

プレ冬期人物強化特訓ー美術解剖学特別演習

こんにちは、最近寒くなってくると、入試がも刻々と近づいてくる気配を感じますね。
頑張って参りましょう。

昨日、新美ではプレ冬期を開催していました。
その一つの口座で、油絵科・日本画科・彫刻科合同企画の
「人物強化特訓」として、美術解剖学特別講習を行いました。

昨年も好評のなか、今年は〈第二弾〉ということで、「手」の模型をつくりました。

前回同様、東京芸術大学や東京造形大学などで教えておられます、阿久津裕彦先生をお迎えしました。

作った模型は家に持ち帰れますので、見たい時にいつでも見ることができます。
人物や手を描く時や、作るときに、とても役に立つのではないでしょうか。
また、制作過程をスマホなどで撮影しておくと、骨の状態も思い出しますし、筋肉の重なる順番などもわかります。

とても有意義な時間を過ごしました。阿久津先生、ありがとうございました!

モンドリアン④ こだわり

こんにちは。油絵科の関口です。
今回はいよいよモンドリアンの最終回です。
さて、過去3回のブログを読んで頂ければ何となく分かると思いますが、モンドリアンはとにかく色んなところに『こだわり』がある人です。

そこでまず真っ先に思い浮かぶのは、カラーリングですよね?1921年以降は赤・青・黄の三色にこだわって、それ以外の色彩は殆ど使っていません。※白、黒、グレーの無彩色は使っています。
コンポジションC 1935年

その昔、芸大のある先生が「モンドリアンの黄色はフェルメールの黄色と同じだ!」と豪語したと聞きました。当時浪人生だった僕は、丁度やっていたモンドリアン展に赴き、目を皿のようにして観た記憶があります。ただ、その時はまだフェルメールの本物を見た事がなく、確認しようがなかったのですが…。両方本物を観た今からハッキリ言えるのは「同じって事はない!」です(笑)。でもフェルメールとモンドリアンの類似性を語るのは面白い観点だと思いますし、モンドリアンの塗りはフェルメールに匹敵する程のこだわりがあるのは確かです。ここではスペースが無いので書ききれませんが「モンドリアンのルーツはフェルメールにあり」という説には賛同したいと思います。
フェルメール 手紙を書く女 1665年頃

ところで、非常にマニアックな話になりますが、モンドリアンの絵をクローズアップしたものをご覧になった事はありますか?これがまたスゴいんですよ!これを見ると、彼がデザイン領域の人ではなく、ファインアート系の住人である事が分かると思います。この辺はデザイン系の人からしたら、許せない塗りムラ、甘い仕事、雑な仕事…に見えるかもしれませんね。でも絵画の世界では、これが良いんです‼?
作品のクローズアップ

さらに拡大した作品の一部


テープを使った試行錯誤のエスキース?作品。これもたまりません。


絶筆、ヴィクトリーブギウギのディテール。未完成とも言われていますが、作者の息遣いが感じられるほど生々しく「整えていない」という事で逆にリアリティーを感じますね。


あとモンドリアンは、部屋の中も徹底的にこだわっていたようです。この図版はモンドリアンのアトリエを再現した部屋だそうですが、垂直水平の世界は、まるで彼の絵の様ですね。しかし…この部屋は落ち着くんでしょうか?

モンドリアンが存命中、写真家が彼のアトリエを撮影したものも多数存在しています。ピリピリとした緊張感の漂うものが多く、神経質な人だった事が伺えます。

気付けばモンドリアンだけで4回も書いてしまいました。それだけ語る事の多い、面白い作家なんです。新美にも画集がありますので、ブログを読んで興味を持ってくれた人は、是非新宿校6階の画集を見に来て下さいね。

予告!『人物油彩』の公開コンクール

こんにちは。油絵科の関口です。

さて、11月25日(土)?26日(日)は油絵科の公開コンクールを行います。ここ数年はデッサンのみでしたが、今年は久しぶりに油彩のコンクールです。
コンクールなので、本来なら内容は内緒ですが、今回は特別に教えちゃいます。ズバリ今年は『人物』を出題します。

何故人物を出題するかというと、東京芸大油画専攻ではここ数年は人物が出題されていませんが、芸大は人物の出題頻度が極端に高いからです。1990年から2017年までを調べてみると、人物絡みの出題は、何と17回もありました。
受験生の皆さんなら、ここ数年の入試データを見ることはあると思いますが、新美ではもっと長いスパンで入試を分析します。『最近出題されていない』という事実も、そろそろ出題されてもおかしくないのでは?と、考えたりもします。(勿論来年の入試内容は分かりませんので、あくまでも現時点での予想です)それに、普通科の高校生や地方の人は普段人物を描く機会が少ないので、少しでも人物を描く機会を増やしてあげたい…という思いもあります。

さすがにコンクールなので課題文までは教えられませんが、コンクールなので「人物を描きたい」という人は是非受けに来て下さい。土曜日は学校があるという人も、バイトが入っているという人も、午後からの参加でも、日曜日のみの参加でも構いません。例え制作時間が短くなっても、きっと入試に役立つ情報が得られるはずです。


数年前に行った公開コンクールの表彰式の様子。

あと外部の人で、高校・自宅・他の予備校など『他所で描いた作品を見てもらいたい』という人は、作品を持ってきてくれたら見てアドバイスをいたします。本物があればベストですが、地方で持ってくるのが大変…という人はスマホで写真という形でも構いません。是非作品を持参してきて下さい。

なお人数による締め切りも予想されますので、申し込みはお早めに。皆さんのご参加をお待ちしております。

モンドリアン③ 抽象という大海原で…

こんにちは。油絵科の関口です。
10月だというのに、日曜日が2週間連続で台風に見舞われてしまいましたね。「せっかくのお休みが台無し」という人も多いと思います。まぁ、こういう時は学科をやったり、資料を集めたり…家で出来ることを探して、時間を有効に使っていきましょう。

さて前回に引き続き、モンドリアンの作品を通じて彼の足跡を辿っていきたいと思います。

初期の作品は写実的な部分が残っていましたが、1917年頃からは垂直水平の線のみになりました。次第に色彩も限られたものしか使わなくなります。1944年に亡くなるまで、ほぼそのスタイルが続くことになります。しかし、限られた要素だけで制作を続けていたのに、決してマンネリ化する事はありませんでした。よく見ると、彼の作品は毎回新しいチャレンジと実験を繰り返していたのが分かります。ただ、彼の突き進んで行った抽象絵画の世界は、一般人の理解の範疇を遥かに越えていたに違いありません。

「抽象はよく分からないからちょっと…」という人も、僕の解説を読んで、少しでも興味を持って頂けたなら幸いです。


1921年のこの作品では、正方形のキャンバスを45度傾けて使用しています。黒い線はキャンバスの端に接していますが、よく見ると殆どの線は画面の端まで行ったところで止まっています。


1930年に制作されたこの作品では、上の作品と同様に45度傾けていますが、色彩は白と黒のみで、線の太さを微妙に変えていますね。線は全て端まで引いてあります。ラインの位置にはかなりのこだわりが感じられます。これはもう確信犯です。

1927年制作。この作品でも「画面の端に線が付くか、付かないか」という部分に徹底的にこだわっているのが分かります。う?ん。このスレスレの緊張感。


1929年の作品。ここでは完全に外側に線がくっついていますね。あと、よ?く見ると…白も寒色・暖色の2色ありますし、タッチの方向も違います。(残念ながらこの図版では分かりませんね)黄色い色面の隣にある黒い面は、黒い線とは区別して色を塗っています。青い面の下の線も他の線と比べると、ちょっとだけ太いですよね。超マニアック!


こちらは1934年の作品。未完成なのかもしれませんが、木炭で画面の色んなところに線を引いて、位置を決めている事が分かりますね。

1936年の作品。この黄色い色面は、独立した二つの色面でしょうか?それとも一つの黄色い色面の上に黒い線が乗っかっている、と解釈するのが正しいのでしょうか?こういうところが気になり始めると、夜も眠れません(笑)。

1937?42年の作品。この青い線に見えるものは「線」という概念で捉えて良いのでしょうか?それとも青い「面」と考えたら良いのでしょうか?同様に右端の赤も「線」なのでしょうか?「面」なのでしょうか?本当のところは本人じゃないと分からないんですよね…。


1939?42年の作品。上記のことからから考えると、この作品の中にある黄色と赤は、多様な解釈が可能です。

1942年の作品。黒い線がなくなって、赤青黄の線のみになりました。この作品にある線の上下関係を観察してみて下さい。赤が上だと思ったら黄色の下に潜り込んだり、下にあったと思ったら上に浮上してきたり…まるで織物の糸のようです。
実は1940年頃からモンドリアンはニューヨークに移り住んで、第二次世界大戦の戦火を逃れています。ニューヨークの街並みや生活の中からインスピレーションを得たのか、この作品には「New York1」というタイトルが付けられています。

1942年の作品。「Broadway Boogie Woogie」
まるでニューヨークの街を上から俯瞰したような作品ですね。


1942?44年の作品。Victory?Boogie Woogie
この作品がモンドリアンの絶筆とされています。最後の最後に辿り着いた彼の作品の集大成ともいえる傑作。これは僕の大好きな作品の一つです。

 

こうやって彼の足跡を辿っていくと「如何に彼が試行錯誤を繰り返し、誠実な画家であったか?」が分かると思います。それまで誰も冒険したことのない抽象という世界の大海原に、たった一人で立ち向かって行った姿を想像すると、勇気が湧いてくる気がします。
今までモンドリアンを「ただのマスキング野郎」だと思っていた人も、一度じっくりと彼の作品を鑑賞して、奥深さを味わってもらいたいと思います。

モンドリアン② 試行錯誤

こんにちは。油絵科の関口です。ここのところ急にグッと寒くなりましたね。皆さんも風邪をひかない様に気を付けて下さいね。
さて、前回に引き続き、今日もモンドリアンについて書こうと思います。彼が抽象への道を歩む前、試行錯誤を繰り返していた様子を見ていきましょう。


初期にはこんな素敵なお花も沢山描いています。かなりの数を描いていますが、これがまたシビれるくらい上手いんですよね…。ちなみに、このお花シリーズだけを集めた画集もあるようです。
実は、後に完全な抽象の作品を発表する傍ら、お金を稼ぐ為にこういう一般人にも分かりやすいお花の絵を売っていた…という逸話も残っています。

あと数は少ないですが、静物にも着手しています。
1911年 ショウガ壺のある静物
この作品は、僕が受験生の時に幸運にも東京で本物を見る事が出来ました。「モチーフをあまり描いていないのに、空間がスカッと抜けていて、凄いな~」と感動したのを覚えています。


1912年 ショウガ壺のある静物
一年後に同じモチーフを描いたこの作品では、空間を浅く設定して、描写を更に抑制しているのが分かります。この作品も上の作品と同じ展覧会で展示してありましたので、二枚を比べて見ることができました。図版では中々伝わらないと思いますが、こだわりのある塗りが印象的でした。この辺りから画面の中にある具体的な形を排除し、完全な抽象に向かう事になります。


1913年の作品

1917年の作品
そしてこの頃に制作された作品では、曲線も徐々に姿を消し、最後は垂直水平の線のみになりました。画面の外側に向かって丸くフェードアウトしていくのが特徴で、もしかするとキュビスムの影響が残っているのかもしれませんね。


※ピカソやブラックの作品には、分析的キュビスム(左)の頃から外側に向かって弱くなる作品が多く存在します。その後、総合的キュビスム(右)の頃になると、楕円の画面に描いた作品も多く見受けられる様になります。2枚の図版はいずれもピカソの作品。

その後もモンドリアンは様々な実験を繰り返しながら、抽象への道へ突き進んで行きます。しかし、そこは当時誰も先へ進んだことのない人類未踏の地。しかも一度進んだら決して後に引き返す事のできない険しい一本道でした。


1917年の作品


1920年の作品


1921年の作品

次回は、モンドリアンが「抽象」という未知の世界を一心不乱に突き進んでいく様子を書きたいと思います。