彫刻科の小川原です。今回は芸大彫刻科の大学院を卒業し、日本を代表する企業、ミキモトにデザイナーとして入社した鈴木さんに、それまでの経緯と、実際に仕事の現場ではどういったことを心がけて取り組んでいるのかインタビューを行いました。学生時代の作品も興味深いものばかりです。非常にためになる話の内容だと思うので、是非御覧ください。
Q.美術の分野でも沢山選択肢がある中で彫刻を学ぼうと思った理由は何ですか?
彫刻は物の存在自体を作り出すものだと考え、様々な表現方法の中で一番広がりのある表現だと考えたからです。
Q.予備校時代の話を聞かせて下さい。どのような日々の過ごし方をし、どのような努力をしましたか?また楽し かった事、辛かった事はどんなことがありましたか?
平日は昼間部での制作の後にアトリエで自主制作を行い、休日には美術館、ギャラリーをまわるのが基本パター ンでした。私は予備校へ通うために上京しましたが、幸いにも親からの仕送りがあったのでアルバイトはせず受 験勉強に集中できました。 高校時代には美大を目指す仲間はいなかったので、予備校の仲間と彫刻について話し合いながら制作に取り組み、 切磋琢磨できたことはとても楽しかったです。辛いと思ったことはありませんでしたが、デッサンが思い通りに 上達せず悶々とした時もありました。その時には予備校での勉強を離れて、自分が美しいと思う形を習作として 粘土や木で作りました。それが良い気分転換になり、その後のデッサンでは美しさを感じたままに描けば良いと 思えるようになり、デッサンで表現するべきものが明確になりました。
Q.芸大を目指すに当たって何か特別な思いはありましたか?
浪人は一年だけと決めていたので、芸大だけが選択肢ではありませんでしたが、勉強するなら一流の場所で学び たい、という思いは強く持っていました。
Q.大学ではどのような生活をしていましたか?アルバイトなどはしていたでしょうか。また、心がけていたこと などありましたか?
制作中心の生活をしていましたが、旅行やアルバイトも色々と経験しました。旅行という非日常の中で色々な物 を見て考えることは、自分の視野を広げてくれます。場所はどこでもよいので時間が許せば旅行に行くことをお 勧めします。アルバイトは公募展の手伝いや造形屋での仕事など、芸大生らしいものが多かったです。
Q.大学での作品に対する悩みや、それを解決するに至った経緯を教えて下さい。 また、大学での自分の作品感について教えて下さい。
学部生の時には「形として捉えられないものに形を与える」ということをテーマに制作をしていました。古典的 な彫刻の構成要素である量感や構造感では捉えられない、空気や水の流れ、空間に漂う雰囲気のような物を彫刻 として捉えようとしていました。自分と社会との関わりなどは特に意識せず、単純に造形表現の可能性を探求し ていました。大学院では彫刻の強さ重さを否定して、不確かで儚い存在に美しさを求める中で、命の儚さとそれ を超える存在に興味を持つようになっていきました。物質的に儚い造形の中に宗教的な装飾性を取り入れるよう になり、作品はますます彫刻的表現からは遠ざかっていきました。彫刻とは異なる別の表現方法が作品の受け皿 として必要であると考えるようになってからは、博物館へ頻繁に足を運ぶようになりました。その中でも特に古 代の装身具に心を奪われるようになりました。緻密な世界の中に、美への欲求、永遠への憧れ、自己顕示欲、呪 術性、他者への愛など、愚かしくも愛おしい人間の全てが詰まっていて、繊細に作られていながら、金属、石な どを用いることで、長い時を経ても輝きを失わない存在に自分の求める美を発見したと思いました。このことが、 私がジュエリーに興味を持ったきっかけでした。
2005-Ambience
2006-Euphoria
Q. 卒業後、大学院に進まれました。大学院に進学して良かったと思う事はどんなことがありましたか?また、芸 大で学んで良かったと思うことも聞かせて下さい。
学部の間は素材の扱いを学ぶことに精一杯でしたが、大学院では素材の研究を進めながらも、作品のテーマや自 分と芸術との関係性について考えを深めることができました。 芸大の良い点は放任主義だと思います。専攻によって多少差があるかもしれませんが、極端に言えば何もしなく ても卒業できると思います。逆に言えば求めなければ何も与えられない環境です。但し、求めるならば多くを得 ることができます。その中で学生は自分のするべきことを考え、体を動かし、道を切り開いていきます。
2007-Garden
2007-Stairway to Heaven
Q.卒業後、就職するか、作家活動をしていくか悩みましたか?就職はどの時点で意識し始めたでしょうか。また ジュエリーデザイナーという仕事を選んだきっかけはどのようなものでしたか?
大学院在席時から高校の非常勤講師をしており、修了後も教職をしながら制作活動をするつもりでした。教員と して生徒の成長を手助けすることはとてもやりがいのある仕事でしたが、二足の草鞋では人生における教職の比 重が段々と増えていき、作品の緊張感が失われていくと思うようになり、講師を始めて2 年経った時に教職をや めてジュエリーの世界を目指そうと決意しました。 ジュエリーを選んだ理由は、人間が作り出した物の中で最も人間らしい物がジュエリーであり、人間の歴史の中 で普遍的な存在で自分の思う美しさを表現したいと思ったからです。それまでに独学で簡単な彫金技法は身に着 けていましたが、専門的な知識や経験はなく、職を探す上ではとにかくジュエリーの仕事ができればと考えて職 人の採用にも応募していました。職人として声をかけてもらった会社もありましたが、運よくデザイナーとして 働けるチャンスを得てデザイナーを選びました。結果としてミキモトのデザイナーになれたことは本当に幸運で した。私は文化としての興味からジュエリーの世界に入りましたが、実際の商品のなかで文化を語れるブランド は稀有な存在です。それはミキモトがジュエリー史の中で明確な地位をもっているからであり、このようなブラ ンドは世界でも一握りしかありません。今はミキモトのデザイナーであることを誇りに思っています。 9. ジュエリーデザイナーという仕事内容は具体的にどのようなものなのでしょうか?デザイナーと聞くと彫刻 との関わりが直接的でないように感じますが、鈴木さんはどのようなことを期待されての採用だったと思い ますか? 基本的な流れとして、まずは企画の内容をもとに真珠や貴石など実際の素材を見ながらラフデザインを描きます。 企画の場合は複数のデザイナーでラフデザインを描き、コンペ形式で商品化するデザインを決定します。注文デ ザインの場合はお客様と直接話しながらデザインを描くこともあります。デザインが決定したら、ラフデザイン を基に細部を描き込みながら清書します。清書が完成したら職人と打ち合わせを行い、細かな仕様や技術的課題 を検討します。製作の途中で試作品をチェックし、デザイン画とのイメージのずれを修正しながら、商品の完成 へと導きます。 採用については即戦力としてではなく、まずはブランドのスタイルを身につけてから、自分の感覚を加えてデザ インを発展させていくことが期待されての採用だったと思います。大学の学部で見れば専門外と思われたかもし れませんが、美しい物を創りたいという意欲と、率直な姿勢、造形力が評価されたと思います。ミキモトでは多 くのベテランデザイナーを抱えているため、新人をじっくりと育成することができます。表面的な知識や技術よ りも、物づくりに対する本質的な姿勢、資質を評価していると思います。但しこれは他社でも同じではないと思 います。ミキモトには確固としたスタイルとノウハウがあるからこそこのような採用ができるのであり、私のような人材がジュエリー業界のどこでも通用したとは思えません。
2008-Stairway to Heaven-ring
2008-Whiteblur-Collar
2008-Whiteblur-Reborn
2009-Vanity
Q.?彫刻を通して学んだことが、今の仕事にどういった形で生かされていますか?
優れた彫刻作品をデッサン、模刻することで身につけた空間、量感のバランス感覚は、ジュエリーのプロポーシ ョン、ヴォリュームを決定する際の重要な判断材料になっています。 デザイナーは職人と打ち合わせをする際に、デザインをワックスなどで立体化したモデルを作ってプレゼンテー ションすることがあります。デザイン画の中だけでは説明できない複雑なデザインや微妙なニュアンスも、モデ ルを作成することで効果的に伝えることができるからです。私は造形力を活かして精度の高いモデルを作成する ことで、細部まで具体的にプレゼンテーションできるようにしています。
Q.仕事の魅力ややりがい、難しさなどについて聞かせて下さい。また、この仕事にはどのようなスキルが求 められますか?
ブランドのデザイナーとして働く一番の魅力は、自分のデザインが最高の素材と技術によって具現化されること です。但し自分の名前が外部に知られることはありません。ジュエリーの世界でも個人作家として活動する方法 がありますが、作れるものには制限があります。ハイジュエリーと呼ばれる稀少で高価な素材、高度に専門的な 技術を用いたジュエリーを作るためには、素材の調達力、優れた職人、商品の魅力を伝えるスタッフ、なにより もそれを購入してくださるお客様が必要です。ハイジュエリーを個人の規模で作るのは非常に難しく、数あるブ ランドのなかでもコンスタントにハイジュエリーを作れるブランドは限られています。私は美しさのために最良 の選択ができるのであればデザイナーとしての自分の名前が知られなくてもよいと思っていますし、分業により 高い品質が実現できるのであれば、チームの一員として働くことに抵抗はありません。 難しい点は、自分の考えとブランドの方向性、お客様のご要望を摺り合わせながらデザインしなければならな い点です。但しこれはやりがいにもなっています。求められることに応えながら、その先の提案ができるように 試行錯誤することは、デザインでも作品制作でも同じことだと思います。 必要なスキルで最も重要なのは基本的なデッサン力です。特別に上手い必要はありませんが、観察力とコミュ ニケーション力としてデッサン力は必要になります。スキルではありませんが、必要な要素としてコミュニケー ション力、忍耐力、集中力が必要です。ミキモトのデザイナーは美大出身者が多いですが、専攻は様々です。デ ザイナーはブランドのスタイルをベースにしながらも、それぞれの個性を生かしてデザインをしています。職人 の場合は専門学校、美大、工業大など出身は様々です。物づくりの基本的な知識はあったほうがよいですが、ジ ュエリーの専門的な知識は現場で学ぶ部分が多いため、目の前のことを吸収できる素直な姿勢が必要だと思います。
仕事の現場では繊細な作業が求められる。
デッサンから自らワックス原型として制作したものを元に再度デッサンを行い、イメージを深めていく。
自分がデザインした作品がブランドを代表して販売される。一瞬足りとも気を抜けない。
Q.最後に、これから彫刻を学ぼうと思っている学生にアドバイスをお願いします。
彫刻に限らず、良い物、本物をなるべく多く見るようにしてください。特に時代を超えて評価されている物に目 を向けてみてください。文明は蓄積で成り立っています、自分では意識しなくても自分と過去は繋がっているの です。過去を振り返りながら、かすかに見える未来に目をこらし、過去と未来の間に自分の立ち位置を見つける ことが自分のするべきことを見つけるために最も重要だと思います。
1982年 栃木県に生まれる
2001年 栃木県立鹿沼高等学校 卒業
2002年 東京藝術大学美術学部彫刻科 入学
2006年 同学部 卒業
2006年 東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻 入学
2008年 同大学院 修了
2009年 株式会社ミキモト 入社
[受賞]
2006 「第54回東京芸術大学卒業・修了制作展」 東京都美術館(東京)
サロン・ド・プランタン賞 受賞
平山 郁夫賞 受賞
2007 「第一回藝大アートプラザ大賞展」 藝大アートプラザ(東京)
藝大Bion賞 受賞