日別アーカイブ: 2016年4月1日

小川原、氷室、稲田、(作家+講師についての対談)

IMG_7615(左:小川原、中央:氷室、右:稲田)

小川原:新美の彫刻科社会人講師を勤めている僕と氷室先生、稲田先生は皆作家としての活動を続けながら、講師として美術について指導をする仕事をしているという共通点を持っています。今回はどんなエピソードがあって今に至るのか対談形式でまとめてみました。大学を卒業するまでは自分の居場所だったり、やるべきことがはっきりしています。しかし卒業後は自分で生き方を選択しなければいけません。作家として生きていくのか、それとも彫刻を活かした職業に就くのか、あるいは全く別の事を始めるのか。本当に人それぞれだと思います。僕達三人は彫刻という世界に魅力を感じ、それを卒業後も続けたいという思いでこれまで制作と仕事を両立させてきました。これから大学で彫刻を学ぼうと思っている方に読んで参考にしてもらえたらと思います。

小川原:それじゃあ彫刻科で受験することにしたいきさつについてから話を始めましょうか。氷室さんはどうでしたか?
氷室:私は高校で美術科に通っていて全部の専攻を体験した中で360度モノを触れる塑像の授業が一番面白かったからですね。
稲田:僕も氷室さんと同じく美術科のある高校に通っていて、選んだのが第一専攻が油絵で、第二専攻が彫刻でした。この時点では絵画に対する興味が一番でしたが、次第に二次元の表現に満足できなくなって、彫刻はよりダイレクトに形を作り上げていけるのに魅力を感じました。
小川原:実は僕も美術科の高校出身で(笑)最初は漠然と立体制作が好きだったので、はじめはプロダクトデザインでもやろうかなと思ってたのですが、実はそこに信念は全くなくて、将来就職に困らなそう(打算)、程度の考えでした(笑)その後彫刻の先生と話をしたときに、柳原義達の作品集を見せてもらいながら、形と空間の話を聞かされて。シロウトにはいきなりレベル高い話だったんだけど、先生の解説が手伝って、柳原義達の作品が物凄く魅力的に見えました。後日実際に彫刻を体験してこれしかない!とビビッときて、専攻決めの時には迷わず彫刻でしたね(笑)ちなみに僕らは偶然にも全員美術科出身だったけど、意外と美術科に通っていても芸大を目指す人は多くはなかったです。早くから専門的に美術に取り組んでいる分圧倒的に有利なはずなのですが、逆に受験の知識がある分、自分には無理かなって思ってしまう人が多いんだと思います。それは本当に勿体ないことだなと思いますね。

小川原:次は予備校ではどういう努力をしたか、合格までのいきさつについてについての話をしましょう。
氷室:私は正確に言うと三浪しているのですが、一浪目は彫刻科が三人しか生徒がいない予備校に通っていました。そこでは、模刻の芯棒を自分で考えたり、立体になる見方についてとにかく怒られつつ基礎を学ばせてもらいました。二浪目は思いきって、大手予備校に飛び込んでみました。手応えはありましたが、塑像への対応力に欠けそのまま私大へ行きました。ですが、なんとなく悔しさみたいなモノが消化しきれず、もう一回芸大受験に挑戦してみようと思い、仮面浪人と言う形でもなく、ほぼいきなり受験に挑戦。結果芸大に合格し、学費も安いので芸大へ行くことにしました。予備校時代に努力していたことは、とにかく負けず嫌いだったので、誰よりも早く行って席を取る、絶対に休まない”と言うことでした。
氷室:稲田君も私大から芸大を再受験をしましたよね?

稲田:そうですね。現役は東京芸術大学だけを受験し、一次試験で落ちました。一年浪人して東京芸術大学、私大を受験しました。東京芸術大学はまたも一次試験で落ちてしまい、その時合格した私大に進学しました。同年に再受験して東京芸術大学に合格しました。大学に一度入った事で視野が広がり、石膏デッサンや塑造にもリラックスして望む事が出来た点が個人的に合格した理由だと思います。予備校では毎回、自分が出来る事(形を狂わせない)は絶対に外さない。授業外の朝、夜も自分の欠点を重点的に補う課題を制作するということを心がけていました。
1予備校時代
予備校時代のデッサン/稲田

小川原:なるほど。それでは稲田君が芸大を再受験するに至った背景にはどんな思いがありましたか?
稲田:僕はとにかく人体彫刻についての勉強がしたかったので、芸大という環境が自分の目指しているものに最も近いのかなと思い再受験を決意しました。

小川原:確かに。試験内容からも分かる通り芸大は具象的なものをしっかりつくる。ということにも重きをおいていますからね。具象彫刻を作りたい!とか、その技術を活かした職業につきたい人にとってはいい大学ですよね!僕の予備校時代はというと、高校3年から通い始めました。現役の時から芸大に受かることを意識して毎日頑張っていましたね。芸大では二次試験で落ちてしまい一浪しますが、この一年によって実力をグンと上げることができました。大学で学べることの総量は合格時のレベルでかなり差がでてくるので、高い意識と実力が身に付けられたことは本当によかったです。受験期のモットーは、「日々自分の最高レベルを少しでも越えていくこと」でした。そのためにはどうしたらよいか、寝ても覚めてもそれしか考えていなかったです。受験についても気負いはなく。試験当日、たまたま会場が芸大で、たまたまジョルジョだったというくらいに。描くのもつくるのも楽しすぎて、没頭してました(笑)
1
予備校時代のデッサン/小川原

氷室:予備校一緒だったけど、たしかに楽しそうだったよね!そう言えるだけの実力も高かったし!
小川原:ありがとう(笑)逆に僕の現役の時の氷室さんのイメージは、とにかく凄い上手い先輩でしたね。いつか負けないデッサンを描いてやるぞって思ってました。当時はバイトにも精を出していました。朝は誰より早く予備校に行って席取り。夜は終電までバイト。その繰り返し。1年で相当貯金を溜めて、芸大に受かる予定で受験前にバイト代を全額頭金にして自宅にアトリエを建ててしまいました(笑)体力には自信があったので苦では無かったですね。非常に充実していました!

小川原:それでは大学生活について、どんな大学生活を過ごしたか、大学で得られたことはどんなことがあったかについて話していきましょう。

氷室:大学生活は、それまで、今のみんなの様に展示を見に行ったり、勉強をあまりしてこなかなったので、とにかく作業も遅いし、体力もないし、かっこいい作品も作れないし、ずっとモヤモヤしていて、触ったことのある塑像でしか、何かをつくると言う事ができなかった様に思います。なので、ずっと人体を作っていました。やっと、自分と自分の作品について考え始められたのは、大学院に行ってから。そこからは、じっくり自分に向き合う時間になりました。学部では、実技の上達を目指し、一旦つくる事に納得するまで塑像をやりました。大学院からはまた違った彫刻観に興味を持ち始め、いろいろな素材、ワックスや飴、などを研究しました。それが、今につながっています。良く見ても、分からないけど何だか存在感のある作品、時代への抵抗だったり、もの派の時代への魅力みたいなモノが、常に頭にありました。あとは、あんみつ屋さんでのバイト生活で、バイト仲間との遊びも楽しみました。稲田くんはどうだったかな?

12004大学 人体
芸大での制作 人体/氷室

稲田:僕はせっかく再受験して芸大に入ったのに、変な安心感からか、一年生はダラダラ過ごしてしまいました。二年生から上野に制作場所が変わり、課題を終わらせないといけないということで、朝早くアトリエに入ったつもりがすでに先輩たちが制作を始めていて、それを見て、やっぱり凄い作品を作るためには決められた時間の中でつくっているようでは何も出来ないんだなということが分かりました。それもあって二年生の前期から彫刻に対して真面目に向き合うようになりました。どうやったらいい人体がつくれるのか模索し始めたのもこの頃でした。学部三年の途中までは塑造で作品を制作していましたが、後半に入って、自分の作品の方向性について教授からアドバイスをもらい、実習以来、自身の作品としては初めて木彫で作品を作り始めました。四年の卒業制作では木彫での制作に加えて石彫にも挑戦しました。
1学生時代 ひとりとふたり 木
芸大での制作 「ひとりとふたり」  木  稲田

学生時代 きえさるひと 石

芸大での制作 「きえさるひと」  石  稲田

稲田:そうですね、とにかくなにもかも経験不足を感じました。じっくり制作に打ち込む時間がほしいと思い、大学院に進学することを決めました。大学院では今後も続けていける!という自信の持てる作品ができなかったらスパッと辞めるくらいの気持ちで制作に打ち込んでいました。この中で出来た石彫の作品が自信につながり、彫刻の道でやっていこうという気持ちが固まりました。

氷室:その後博士課程に進むに至った心境はどんな感じだったのかな?
稲田:博士課程に進学していた先輩で尊敬する方がいたことも大きな動機の一つでした。そして何より作品をより探求したかったということが一番大きかったですね。

小川原:僕はとにかく時間を惜しんで誰より作品を沢山つくってました。いろんな表現を試して、可能性を模索していました。しかし実際は悩み抜いた4年間でした。技術的に上手いことと、表現として魅力的な事には少し違いがあって、学部を卒業するまで自分の中にあるはずの世界観が見出だせませんでした。それが、卒業制作展から大学院生としての生活が始まるまでの休みの期間にそれまでバラバラだった考えが全て繋がって修了作品として結実しました。卒業制作で区切りがついた事で、考えもスッとまとまった、そんな感じでしょうか。それが今の自分の制作する作品の原点となっています。彫刻って技術を修得するのにもものすごく時間がかかるけど、その分自分の作家性を見極めて行くことにも充分な時間が必要なんだなと大学を出て実感しました。入学時点では全くのシロウトであることを考えると、たった四年で技術も作家性もまとめきるのには無理があるのかなって思います。本当にじっくり向き合っていかないと見えてこない分野なんだと思います。
2008大学院修了制作 今日も空は高く テラコッタ
芸大での制作「今日も空は高く」  テラコッタ  小川原

12007大学「銃弾Candy」飴、花の種
芸大での制作「銃弾Candy」 飴、花の種   氷室

小川原:卒業後に今のスタイル(教員+作家)をとるに至った理由や経緯はどんなものでしたか?

氷室:卒業するにあたり様々就活をしていたのですが、まだまだ彫刻については研究途中で、これから何か見えてきそう!と言う所だったので、やっぱり制作を続けていきたいと考えていました。ちょうど卒業前に予備校の主任から講師にと声をかけられ、悩みましたが、講師の道を選びました。当時、講師として呼んでくださった方に、どんどんここの環境を利用して、制作をしたり海外へ行くなら行きなさい!と言われたのを記憶しています。講師として仕事をするのと同時に作家であれ!と背中を常に押してくれていました。

12015「流灯」鉄板、砂、鑞
2015 ?「流灯」 ?鉄板、砂、鑞 ? ?     氷室
12015「しつ度」鉄板、砂、砂糖
2015「しつ度」鉄板、砂、砂糖   氷室
小川原:その後高校の講師も始めましたけど、そちらに関してはどうですか?
氷室:作家が美術の授業に携わることに意味があると感じていて、そういった面でも自分の持っているスキルが生かせるし、自分の時間もとれるので想像以上に自分に合っているなと感じているので、続けていきたいなと思います。
小川原:確かに、高校の授業であっても教えてくれる先生が作家だったら教わる側もうれしいかも!
氷室:稲田君はどうですか?
稲田:僕も氷室先生と同意見で、実際に作品制作し、表現と向き合っている作家が、作家としての言葉で生徒に伝えていくことが大事なんじゃないかなと思っています。実際に「作品をつくる」ということを身を持って分かっている先生なら、より多くのことを生徒に伝えられるのかなと思います。そして何より自分の制作の為の時間がとれるということがこの仕事を選んだ最も重要なポイントです。実際に色々な方面で就職をした先輩方にも相談をして、収入面と制作時間のバランスを考えてこの仕事を選びました。
小川原:僕は今は三ヶ所の学校で講師として指導していますが、そのどれもが人づてで頂いた仕事で、本当に周囲の人に恵まれたなと思っています。僕はもともと教員になるつもりはなかったのでその為の努力はしてきませんでしたが、それまでまじめに制作に努力してきた事が信頼を得るに至ったのだと思います。自分が責任ある仕事を誰かに頼むとしたら果たして自分に頼むであろうか。ここが重要なポイントだと思います。
氷室、稲田:私たちも同じです。自分で講師の仕事を探して、実際に面接をした時にこれまで自分が積み重ねてきた成果をみてもらうことがもっとも重要なポイントですよね。また、先輩からの紹介の話も多くありますが、それまでの制作に打ち込む姿勢や人間性を見られることは間違いないですね。
小川原:何事もまじめに頑張るという姿勢は誰かが見ているものですよね!

小川原:それでは講師としての仕事を実際にやってみて感じた面白さ、難しさについて話していきましょう。
氷室:若いエネルギーをもらえるし、みんなの目標に向かう純粋さが私は大好きです。
稲田:そうですね。生徒の成長する姿を間近で見る事はとても刺激になります。
小川原:作品どうこうというより、とにかく沢山の生徒(個性)を相手にすることそのものが面白いですよね。同時にこれだけの人数を相手にする仕事は他にないのではないんじゃないでしょうか。うるさくてイライラしたり、テキトーな作品を出してきてがっかりしたり、逆にいい作品が出てきてたまにうれしかったり。どっちかというと大変な事の方が多いですが(笑)それらもひっくるめて「人間」というものが見えてきてそういう意味で自分自身も成長出来ているように思います。直接的ではないかもしれませんが、確実に自分の生き方、考え方はいい方向に変わっていっているように感じます。
稲田:逆に難しい部分としては、僕は、生徒の成長を邪魔しないように、言葉では伝えられない彫刻に対する姿勢をどのように伝えられるかということについて毎回考えさせられます。
氷室:私も似たような感覚かな。言葉に頼りたくなるが、言葉だけではない部分もあり、伝えたい事を的確にする事が難しいと思います。そして指導する自分は、一体どうなのかを常に問われる部分があるので気持ちが引き締まります。
小川原:僕は指導面において、美術重視の学校でない限り、普通中学、高校などでは、基本的に美術が好きではない生徒に美術を教える事になるので、教える側のテンションと教わる側のテンションに差がありすぎるという事に最初は苦労しました。自分はとにかく皆に美術のおもしろさ、素晴らしさを知って欲しい!と着任当初は奮闘していたのですが、経験を重ねるうちに生徒それぞれの学習目標に差がある事が分かってきて、今は生徒それぞれに合わせて教え方を変えられるような余裕が出てきたように思います。ポジティブな意味で全員が素晴らしい作品を目指す必要はないという事に気づいたのが大きいです。自分だって思い返せば美術は頑張っていたけれど、数学はどうしても好きになれなかったし、好き嫌いはあって当然なんだよね。それを無理矢理上を目指させるんじゃなくて、その授業でちょっとでも進歩したらいいじゃない。というおおらかな考え方です(笑)
小川原:講師として求められるもの、必要な能力、経験についてはどんなことがあるでしょうか?
氷室:私はデッサン力と人間力だと思います。
小川原:確かに、たとえ美術専門のクラスでなくても、正確なデッサンに基づいた指導は必要かもしれないですね。実際参考にサラッと描いて見せたりすると皆良い反応をするし。そのためには即興で何でも描けるくらいの画力はあったほうがいいのかも。人間力については具体的にどんなことですか?
氷室:社会人としての常識が求められるので、最低限当たり前のことが当たり前にできないといけないです。生徒は常に先生として見ていますから。そこに生徒に対するおもいやりの気持ちがあるといいですね。
小川原:僕も同じ意見です。講師は即戦力!授業初日も誰も助けてはくれないです。生徒からしたら先生は先生なので当たり前の授業を当たり前のように待っているので、課題の導入から完結までの流れを把握して、一人一人の理解度や進行、意欲のばらつきに常に臨機応変に対応していけないといけません。その授業の責任は全て講師にあって。その為には授業前後の準備、整理を始め、時間外の作業も進んでやれる人でないと勤まらないでしょう。あと美術全般について指導出来る事。これは必須条件です。絵画、工芸、彫刻、デザイン、美術史。カリキュラムにもよるけど、基本的な事で良いので何でもこなせる人材でないと務まりません。苦手な事はやはり授業前に予習しておく必要がありますよね。
稲田:とにかく常識的に知っておくべきことは広く浅くでも知ってないと何も出来ないですよね。僕は自分自身がブレない価値観を持っている事が大切だと思っています。生徒には答えの一つではない分野で、何でもアリ、というわけではなく、それぞれに良し悪しを判断するだけの美的感覚を養ってほしいと思います。

小川原:作家との両立についてはどうでしょうか。作家としての生き方を残した理由についても何かあれば。
12011  innocence
2011「 innocence」樟   小川原
氷室:制作と仕事の両立は大変ですが、みんなが分かっていて助けてくれたり、指導するからには作品ありきだったりと、制作するには背中を押してもらえる環境だと感じます。作家として生きる道は、大変だけど、やっぱり勉強にもなるし、どうやって生きて行こうかと、どうやって社会と関わるとかを考える時間を与えてもらえるので、人間を使っている感覚があります。
稲田:僕は自分が彫刻家になりたい、なれると思うきっかけになった彫刻家ミリアム・アイケンスの作品の領域まで自分自身も到達したいということが作家としての生き方を残した理由ですね。小川原さんは特に沢山仕事を抱えていますが実際制作とのバランスはどうですか?
小川原:僕は最近仕事量が増えてきて制作の時間が大分減ってしまっていることが少し悩みです。本当は時間が許すだけ制作に集中したいくらいなのでかなりツライ部分はあるけれど、それでも多くの作家さんと比べてもまだやれている方なんじゃないかなと。体を休める時間は全く取っていないけど、僕はそのくらいでちょうどいいのでそれはそんなに苦になってはいないです。精神力が空になるまでは体を動かし続けられる体質なので(笑)講師をしながら作家を続ける人は非常に多いけど、講師の仕事は受け持つ学校の数によって仕事量を調節出来るので、どのくらい稼ぎたいのかと、どのくらい時間を残したいのかを将来のビジョンをしっかり持って決めていく事が大切ですね。                                          小川原:それぞれの作家としての展開の仕方の違いについてはどうでしょうか?

小川原:僕は作品を売るため、発表する為につくってなくて、僕は僕の為に作品をつくっています。そのかわり見られること、評価される事を気にせずやりたい事を好きなようにやって行くことが僕のポリシーであると言えます。僕がなんで作品をつくっているかというと、高校の時に初めて彫刻を体験したときの感覚と全然変わってないんですよね。自分がこれから踏み込もうとしている世界がとてつもなく広く感じていて、その一歩で自分の成長が実感出来る、より高みに昇っていける。そんな感覚が今でも続いています。そうして出来た作品を手放すとかは考えられなくて、むしろ稼ぐ事に関しては仕事をする方が早くて効率がいいと思っいます。自分にとっては制作とお金の関係を切った方がいいと思った訳ですね。
12012  眠りに落ちるものの瞳
2012「 眠りに落ちるものの瞳」樟  小川原
12013  夜明けの呼び声
2013「 夜明けの呼び声」樟   小川原
11
2014 「運命が見た未来」樟  小川原
氷室:私は、具体的に形を彫ったりモデリングして作ることからやや離れ、思考していることを表現として空間に提示するという制作が合っている様に感じます。 若林奮やヴォイスにどうしても惹かれるところがあり、はっきりと目に見えない空気や人と人の間、人と自然の間にある現象みたいな物を形にして、自分が何者であるかを探っていく事が好きなんだと思います。よく分からないけど何だか洗練されていて、見て考えて、そこに佇める作品がつくれたらいいなと感じます。
稲田:僕はまだ作家としてスタートを切っていないので何とも言えません。来年の個展からが作家としての始まりだと思います。

小川原:僕らはこれからも作家として活動を続けていくけど、その展望について話しましょう。
小川原:僕は大きな作品しか制作していません。きっとこれからもそうだと思います。今は1年に1体のペースになってしまっているけれど、毎年卒業制作を続けているようなそんな感覚です(笑)大学時代は塑造でしか作品をつくってこなかったけれど、卒業後いきなり木彫を始めたり。とにかく色んな素材や技法を実際に試してみることも僕の制作の特徴です。作家としての側面と、研究家としての側面もあるかなと思います。それと、僕はいつか自分が最高と思える作品をつくってやろうと思っていたことがあったけど、最近実はそんなものはあり得ないと思うようになってきて、自分が精神的に成長し続ける以上、作品も必ず成長するはずじゃないかなって思うようになりました。もしそこに限界を感じてどこかで見た事あるような作品しかつくれなくなったらそのときは彫刻をやめるときだと思っています。惰性で続けられるほど彫刻は単純ではないし、それほど無意味な物も無いのです。常に自分の常識を超えた作品を目指していく。これが僕の目標です。そのときの自分の実力ではつくれないかな?という作品をつくり始めて、つくっているうちに実力を上げて結果作り上げる。最初のイメージ以上の物を。このサイクルによって僕は成長していけるんだなと実感を持っています。氷室さんはどうですか?

氷室:私は誰にも環境にも彫刻は左右されない。そこに魅力がある。社会に対して自分を考えた時に、モノを作ることが一つの表現であり関わり方でいいんだと認識しています。美術とは一体何なのか?自分とは一体何なのか?本質を探る作業を彫刻を使って探って行きたいです。
稲田:僕は自分の作品をお金にかえて制作を続けることです。自分にとっては100%自分のためだけに作り続けたのが大学時代で、在学中は小川原さんと同じ考えでした。それが変わったのは、彫刻そのものの存在が世の中で切り離されていると感じ始め、自分の中だけで完結してしまうのが果たして自分にとって本当にいいのか疑問に思ったことがあったんです。好きな形を好きなようにつくることもいいなとは心の何処かで思いながらも、本当に緊張感を持って作品に向き合える制作の取り組み方としては今の考え方の方がより高いモチベーションを保つことにつながっているのだと思います。
1近年 かわきの肖像 木
芸大での制作 「かわきの肖像」 木   稲田

小川原、氷室、稲田:以上で終わりです!皆作品をつくるのが本当に好きでこの道を選んだということがはっきり見えてきましたね。彫刻そのものをお金に変えて生活の全てを賄っていくのは大変なことですが、それを自分

のスキルを活かした仕事で補っていくことを僕達は実践しています。美大で彫刻を目指す人はもれなく何かをつくって形にすることが本当に好きであるということが原点にあると思います。大学を卒業する時に、もし少しでもつくることへの喜びの気持ちが残っていたら、どんな形であれ、美術に関わって生きていってくれたら嬉しいです。こういった一つの道があるということも知ってもらい、少しでも参考にしてもらえたら幸いです。
作家と仕事との両立に対して、大変なことだと思われがちですが、結局は好きなことをするために頑張っていることなので、結構充実しています(笑)