素描友人像、塑像構成、、ライティング石膏。

こんにちは!彫刻科の小川原です。突然ですが最近体重が増えてきて困っています…。運動量が足りないのかな。彫刻は沢山動くイメージですが、実際自分は制作していてもそんなに体動かしている感じは無いですね。強いていうなら木槌を振る為に腕は動かし続けるので右腕だけ運動になってるのかもしれないです(笑)この話を絵画の人としたら、「少なくとも立って作業してるんだから座ってるよりいいよ」と言われました。
結局重いものはフォークリフトとか使ってしまうし、意外と動いてないな?と思いました(笑)

さて、それではこれまでの優秀作品を紹介します。
素描の友人像です。最初は15分おきにお互いにポーズし合って描く予定でしたが、描き合う形に変えました。微妙に動く対象を捉えるのもかなり勉強になったんじゃないでしょうか。
それぞれ木炭紙大M画に鉛筆で描いています。
T.U君の作品。
IMG_5716
鉛筆の扱いに長けていて、形の抵抗感の表現が良く、高い描写力に目を引きつけられます。具体的に実際の形を絵を介してイメージできるところが魅力となっていますが、腕がやや円柱状のカタい構造になってしまっているのとを中心に、体の探りに粘りが弱いのがもったいないところです。

F.Tさんの作品。
IMG_5711
繊細に探った表情に作品の魅力が集約されています。同時に作者の、表情に込めた意気込みも伝わってきます。ただし作品全体ではまだまだやり取りが足りないところは反省点として残ります。作品として成立する最低限のことは全体にできていますが、皮膚感や服の描写をはじめとした言い切りの完成度をさらに増していきたいです。

H.Iさんの作品。
IMG_5718
頭部の表現にリアリティがあり、独特の人間味が作品の魅力となっています。丁寧な形の探りにも好感が持てます。顔の影が体に落ちていますが、やや汚れにも見えてしまい、惜しいところです。あとは顎下の厚みや奥行きがうまく表現できるとさらに説得力のある作品になったと思います。

石膏のマスクと任意の幾何形態の構成。
模刻力に加えて空間をいかに魅力的に使っていくかが攻略のポイントです。何より完成度が求められますが、構成自体に自分なりの意図をしっかり持って取り組まないと他と代わり映えしない作品になってしまいます。

K.S君の作品。
IMG_5743

IMG_5752
円柱とヴェロッキオを構成しました。3本の円柱はズレながら全て垂直に設定してあって、ヴェロッキオは3次元的に斜めに配置しています。全体感としては高さが使えていて空間の広がりが感じられ、円柱の持つ縦の時間軸と、ヴェロッキオの持つ斜めの時間軸によって2つの時間を同時に体感することができます。完成度も十分なので、実際の試験時間内でこのくらいのものを出していくつもりでいれると良いです。

A.Hさんの作品。
IMG_5755

IMG_5765
ゲーテと三角柱、球、六面体の構成。一つずつ完成度を上げ、組み合わせ配置する方法をとっています。この方法は心棒による固定が制限される為にアクロバットな構成はできません。なので完成度での勝負に賭けた一点突破型の作品と言えます。この作品はゲーテの完成度もさることながら幾何形態のフィニッシュ感や接点のこだわりに明確な目的意識が感じられ、必要なことをすべてやりきっていることが評価できます。構成内容に関しても問題ないですが、やはり組み方が限られてくる中で他と少しでも差を付ける為に同じ「置き系」の構成でもどんな可能性があるかは常日頃から考えておきたいです。

今回は僕もつくってみました。
IMG_5726

IMG_5721

IMG_5723
ヴェロッキオと立方体の構成です。8時間くらいかかってしまいました。最初に立方体を仕上げて、そこに彫り込むように融合するヴェロッキオを配置したのですが、ヴェロッキオを配置する平面をつくり切らなければ6時間でいけそうです。(ヴェロッキオは別につくっておいたものを組み合わせたのではなく、粘土の塊を動かしながら立方体をもとにつくりました。逆さまのマスクも、まっすぐに置かれたモチーフを元に頭の中で回転させてつくっています。試験ではモチーフを動かせないので、こうした構成をする為には形を向き角度関係なく空間状に置き換えられる想定力が必要です。

石膏像のライティング課題。ライティングでは光線状況を極端にすることで光源設定を合わせることの重要性を強制的に体感してもらうことを目的としています。通常描く石膏デッサンではここまで明解なバルールの状況は有り得ないですが、イメージの中にはこのような捉え方をイメージの中にとどめておく必要があります。
T.U君の作品。
IMG_5695
現象としての光と陰(影)の変化の魅力と、作品としての完成度の魅力が光る作品です。体に対する頭部の動きの弱さが惜しいところです。単純に「描く力」は十二分にあるので、真に対象を捉えることを目指し飽くなき探究心をもって取り組んで貰えたらいいと思います。そのレベルまでいけたら敵は無いです。

基礎の課題でデモンストレーションを行いました。彫刻科ということではなく、あくまで基礎基本ということで、彫刻科風(笑)のデッサンではなく、線を多用せず、グラデーションを重視して描いてみました。
アマゾン。
アマゾンは初めて描きましたが、単純が故、描き切ろうとするとなかなか難しいです。ライティングよろしく光源設定を重要視した描き出しです。IMG_0420形、調子、空間、密度。全ての要素に対してバランス良く全体を探っていき、構築していきます。IMG_0424
4時間弱くらい描きました。僕は浪人していわゆる彫刻科風のデッサンに変わっていきましたが(といっても一般的な彫刻科風とは違いましたけど)、現役生のときはこんな感覚で描いていたなーと思いながら描きました。プロセスとか何も知らないし、決まっていない時は、とにかく写真のように描き上げることを目指していました。丁寧に色をコントロールしていく感覚がとても懐かしかったです(笑)IMG_0441

IMG_0444
目の表現とか、結構皆実際見えてる状況よりはっきり描きすぎちゃってやたら目立つ感じになりがちですが、こんな感じで陰に溶け込んで見えるときはその状況をリアルに描くのも大事です。無理に実際ある形を描こうとするのは見た目に不自然だったりします。だからといってぼかして終わってしまうとそれはそれで未完成のように見えたり、分かってるっぽく見えてマイナス印象だったりします。

さ、次回は氷室先生のブログです(笑)僕とは違った感じになると思うので楽しみにしていて下さい!!
とハードルを上げてみたりして(笑)

GRAVITY

こんにちは、油絵科松田です

 

今年の一月くらいでしょうか、どうしても映画館で観たい映画があると妻に誘われ、ゼログラビティという映画を観ました。

3Dで映画を観たのはアバター以来、3Dがこんなに進化しているとは、、、

 

 

以前の3Dは幾つかの階層が手前に出てくる不自然なもの、正直映画は2Dで良いかなと思ってましたが今は違うんですね、感心しました。

勿論手前にも映像は出てくるんですが、圧倒的な奥行きへと意識が引きずり込まれます。

舞台が宇宙空間というのもあるのでしょうが、重力軸も無く自分の位置感覚を失いそうになります。私も少し酔いました。

席まで動いた日には前の席のポケットに袋が必要だったはず、、

 

 

 

 

内容についてはネタバレになりますので書きませんが、最近のよくある娯楽映画とは全く違いました。

 

徹底的にリサーチされたリアリティと、少しのフィクションの境目が分からなくなるほど引きずり込まれますが、押し付けがましい内容ではなく、ストーリーはいたってシンプルです。

シンプルな故の隠喩が至る所に配置されてます。 この監督凄いです、、(脚本は親子で書かれてます)

 

最近DVDが発売されたので何回か見直してみましたが、特典映像をみてまたビックリ、、映像内容について尋常じゃないリサーチ量です。度を超えすぎてます。

 

少しのフィクションは入っているのですから適当に演出すればいいような場所、一度観たくらいでは気付かない場所まで徹底的に描き込まれています。

 

 

ストーリーや映像美だけでなく、制作者の思考を深く感じ取れる映画を久々に観ました。

 

映画館での上映は終わっていますので3Dで観ることはできないかもしれませんが、機会がもしあれば是非3Dでご覧になられては?

346608_02_01_02

基礎科専門課題「油絵」

基礎科油絵の講師、岡田です。

新美の基礎科の油絵課題がはじまりました。
モチーフは「牛骨」と「赤のベルベット布」。

00

油絵の表現方法は様々で、とても自由な素材です。
どういった色、どういった表現方法で作品を仕上げてあげるのか?
油絵具のこと、筆のこと、オイルのこと、いろいろと注目することがありますが、まず描き出しで大切なのが「構図」ではないでしょうか。

例えば今回の静物課題を描き出す時、先ずはこのモチーフをどこ興味を持つか?どこを楽しんで油絵に仕上げるのか?よーく観察して考えてあげる事で、良い絵の完成が近づいてくるように思います。
どうやってモチーフを切り取り、画面のどの位置に、どういった大きさで配置してあげるのか?自由に構図を楽しむ!

例えば・・・

3-2↑ 横で切り取った構図だと、こんな感じ。

3
↑ 縦で切り取ってみると、こんな感じ。

「横構図」「縦構図」で随分と印象が変わります。

「縦構図」の方がより牛骨に注目している印象があります。
それに比べて「横構図」は赤布の要素も取り込まれ、台上に置かれている状況も描きやすくなった印象があります。

同じ構図でももっとクローズアップしてみると、

3-3

5

↑ より、牛骨と赤布の関係に注目している様に感じられます。

↓ 同じモチーフも裏から見ると、、、

4

4

↓?斜めから見ると、、、

3-4

↓?この見え方を色々な切り取り方をしてみると、、、

3-6

7

6

3-5

3-7

描いてる人が注目している目線の違いが見えませんか?注目すべき『描きどころ』もそれぞれ違いがあります。
楽しんで描き上げるために是非いろいろな構図、いろいろな見方に挑戦してみてください!

↓ (ほんの一部ですが、、)今回の基礎科の皆の構図はこんな感じ、でした。皆がんばれ!!

00-2

01

話題の「アクト・オブ・キリング」を観てきました。

こんにちは、映像科講師の百瀬です。

皆さんの中でもともと映像表現に興味がある人は、最近の映画の動向も押さえている人が多いかと思うのですが、この映画をご存知ですか?

「アクト・オブ・キリング THE ACT OF KILLING」
http://www.aok-movie.com/

スクリーンショット(2014-05-16 17.30.42)

監督は気鋭のアメリカ人映画監督、ジョシュア・オッペンハイマー。日本では今年の4月12日に公開されたばかりの、今多くの話題を呼んでいる映画です。

「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」

これが日本版サイトに掲げられているこの映画のキャッチコピーです。
その文面が示すとおりこの映画は、ジョシュア監督が「かつて虐殺を行使した人々に、自らそれを再演してもらい映画を作ってもらう」という衝撃的なプロジェクトを実施し、その記録を作品化したものです。

スクリーンショット(2014-05-16 17.26.54)

あらすじについて語る前に、ここで「アクト・オブ・キリング」というタイトルに注目してみましょう。「キリング」は「KILLING」なので直訳するとそのまま「殺すことの演技」ですね。
英語が得意な人ならば、このタイトル中の「ACT」という単語の中に二重の意味が含まれていることにすでに気づくと思います。
ひとつは「演技(ふるまい)」という意味の「ACT」。もうひとつは「行為」という意味の「ACT」です。
実際に虐殺を行った者が、今度はそれを演じる者となる。「ほんとう/うそ」という見方で見ると、一見まったく正反対のことのようにも思える「行為/演技」というふたつの動作が、このひとつの単語の中に奇妙にも同居しています。
その事実が実にこの映画の本質を突くものであるということが、見終わった後でわかるのではないかと思います。

スクリーンショット(2014-05-16 17.28.07)

実際にその虐殺が行われたのは1965年のインドネシア。スカルノ大統領(当時)親衛隊の一部によるクーデター未遂事件が起こったのですが、当時の軍部によってその背後組織は共産党だとされ、当時インドネシアに住んでいた華僑を含む100万人規模の共産党支持者が一方的に虐殺されました。当時虐殺を行ったメンバーは、政府からの金で今も悠々自適な暮らしを送っています。

この映画で主にスポットを当てられているのは、インドネシア軍部から依頼を受け、実際にこの虐殺を「実行する」役目を任されていた「ヘルマン」と呼ばれる人々です。
そしてその中で殺戮のリーダー的な役目を果たしていたアンワル・コンゴという初老の男性を中心にこの映画は進行していきます。

スクリーンショット(2014-05-16 17.27.10)

ヘルマンという言葉の語源は「フリー・マン」。彼らがその言葉を口にするとき、そこにあるのは自分たちが行っていること、法律よりも自分たちの自由奔放な価値感が勝っていることに対する「誇り」です。もともとダフ屋行為や買収行為などを行って生計を立てていた彼らの立ち位置というのは、日本でいうところの暴力団組織のようなものにあたります。

つまり私たちがいったん認識しなければならないのは、彼らにはまったくその虐殺に対する罪の意識がなかったということなのです。国の統制を乱した者達を「正義によって」抹殺したということは、彼らの生まれ育った頃から隣り合うギャング的価値観を肯定してくれるものでさえありました。彼らはジョシュア監督の映画製作依頼に対し、「俺たちの勇姿をみんなに知ってもらうんだ!」と嬉々として参加するのです。

スクリーンショット(2014-05-16 17.28.23)スクリーンショット(2014-05-16 17.28.29)スクリーンショット(2014-05-16 17.27.53)

映画の前半部は、積極的に虐殺シーンの撮影に臨むアンワルたちの姿が映されます。
自分たちの演技に対し、真剣なコメントをかけあいながら虐殺シーンの再演の精度を上げていこうとします。「映画にはユーモアも必要」と言い切るアンワルの奇抜なアイデアに、笑いを漏らす映画の参加者たち。このあまりにも軽い「死」の感覚を前にし、観賞者はすでに倫理観のゆらぎと嫌悪感のやりどころのなさの渦の中に取り残されています。

それはこのアンワルの口から紡ぎだされる、あまりにおぞましくも非常にあっけらかんとした言葉が、「自分ももしかしたら、そっち側にいたのかもしれない」と、私たちの日々の生活の中に眠る暴力性について考えさせられる示唆的な言葉に満ちあふれているからかもしれません。

スクリーンショット(2014-05-16 17.29.44)

また、この映画の構造的な面白さとして特筆すべきは、「映画」として撮影されているシーンと「ラフシーン」として撮影されているシーンがごちゃまぜになっていて、何をもって演技とするのか?という定義が最初から最後までかき乱され続けているところでしょう。もちろんこのような構造を持った映画は昔からいくつもあるのですが、前述したとおり「アクト」に込められた意味が最初からここまで強く提示されているゆえに、この構造が強度として強く効いているのだという気がします。

スクリーンショット(2014-05-16 17.28.54)スクリーンショット(2014-05-16 17.29.32)スクリーンショット(2014-05-16 17.29.58)

後半において、演技をするアンワルにある変化が訪れます。

今まで「加害者役」として自らの虐殺行為をなぞってきたアンワルですが、ある瞬間から彼に殺された「被害者役」も演じるようになるのです。

ここの転換はかなりサラッと描かれており、個人的には「えっ?」と思ってしまったのですが、この反転は実はかなり重大なことであるはずです。どう考えても監督にその展開を望む欲望がなければそのようなことにはならないはずで、そこに「ドキュメンタリーのふりをしたフィクション(またはフィクションのふりをしたドキュメンタリー)」作品の重大な本質があると個人的には思っています。

かつて自分が殺戮に使っていた針金を、自ら今度は自分の首に巻き付け、その両端を引っ張られるのを待つアンワル。

彼がそこでどういう表情をしたのかは、是非みなさんに映画館で確かめてほしいと思います。

率直に言ってしまえば、ある意味このラストへ向かう展開はこういったテーマを選ぶ以上、予定調和的な展開とも言えます。
ただ、もしそこにそういう筋書きを描く者がいて、そこにアンワルというひとりの人間(たとえ彼が神に許される人間ではなかったとしても)が取り込まれていったのだと思うと、いちばん残酷なのは誰なのだろうか、それをこうして吐き気をもよおしながらもなぜ私は目を離せずにいるのか、と思ってしまいました。
彼の行ったおぞましき「アクト」もまた、得体の知れぬ何者かによって引き受けさせられた「アクト」だったのでしょうか。それは映画の中の話なのか、映画の外の話なのか。ずっと胃の中に嫌な余韻が残ります。

撮る者と撮られる者との関係、それは、映像を撮る者が一生背負わなければならない業のようなものなのかもしれません。
私には、この映画のテーマが問いているであろうごく一般的な倫理観とは別のところで、またある種の倫理観を問われているような気がしました。
ここ最近で一番胸がむかむかした映画でしたが、あまり語るとネタばれになるのでこのへんで。

是非、映画館で見てください!

百瀬文(映像科講師)

芸大美大をめざす人へ No.151

 

私立美大デザインコース講師の笹本です

ハースト婦人画報社より出版されている『芸大美大をめざす人へ 』、もうご覧になっていただけたでしょうか。

今月号(No.151)の特集は「基礎のデッサン 超レベルアップ術」!!

トップページから新宿美術学院の現役合格者による「手の構成デッサン」と、デザイン科講師による「静物デッサン」のデモンストレーションとその解説が掲載されています。まだ経験が浅い方やこれからもっと上達していきたい方にとっては、合格を目指す上でのよい目標になると思います。

後半のページにも「神の一手」と題して、両手の想定デッサンと東京芸大合格者による石膏デッサンの作品と解説も掲載されていますのでお見逃しなく!!

まだの方は、ぜひお手に取ってご覧になってください。

514ブログ