カテゴリー別アーカイブ: 油絵科

全科合同自画像コンクール開催!!

こんにちは、デザイン・工芸科夜間部亀田です。
先日9月下旬ごろ、新美全体で全科合同コンクールを行いました。
今回で3回目になりますが、ご参加いただいた科の方々、誠にありがとうございました。


おかげさまで、188名の学生達の参加で審査を行いました。

講師陣、学生課、教務課で審査を行い、上位作品、各科主任賞計36名の作品を1階ギャラリーにて展示します。
展示期間は明日10/10(火)?10/14(土)までです。


土曜は上位作品、主任賞の方にプレゼントを渡す、授賞式を行います。
皆さん是非ご覧になってください!

モンドリアンについて① 時代の空気

こんにちは。油絵科の関口です。束の間の快晴なのかもしれませんが、この時期にカラッと晴れてくれると、気温的にも丁度よく、本当に気持ちがいいものです。

さて突然ですが、皆さんは抽象絵画を見た時、どんな事を考えますか?…え?「よく分からないからほとんど見ない?」…それでは困りますね。確かに一般の人なら分からないで済ませても仕方がないとは思います。でも絵の道を志す人なら、色んな作品をたくさん見て勉強し、理解していく必要があるのです。そんな訳で今日は近代オランダを代表する偉大な抽象画家ピエト・モンドリアン(1872?1944年)を取り上げてみたいと思います。


モンドリアンというと、こういう絵が有名です。油絵科の人なら「美術の教科書か何かでチラッと見た事はあるけど、単純で平坦な塗りと直線ばかりで、絵画性など微塵も感じない」と瞬間的に判断して、スルーしてしまう人も多いと思います。恐らく「マスキングをして、あとは刷毛でベタ塗り…」と思っている人が多いんでしょうね。でもちょっと待って下さい。この人の作品は中々奥が深いんですよ。今回のブログもちょっと長いですが、少しお付き合い下さい。


実はこのモンドリアン、初期の頃はこんな風景を描いていました。何を描いているか分かりやすいですし、一般の人が見ても結構上手いというのが分かりますよね?もしかするとこの方向で極めても有名な画家になっていたかも知れません。ただし「抽象をやる人は、まずこういうデッサン力を身につけてから…」等という素人的な一般論を展開するつもりは毛頭ございませんので、どうかご安心下さい。

この手の風景画の制作時期は大体1900年代初頭です。
当時のヨーロッパは、印象派から始まる近代絵画の流れを経て、それまでには無かった価値観を打ち出す事で、色んな絵画が登場して世を賑わせました。モンドリアンもそんな時代の空気に触れ、次第に絵の内容が少しずつ変化していきます。


例えばこの作品、普通の風景ではありますが、何か違和感を感じませんか?初めてこの絵を見た時、僕はなんとも言えない不思議な感覚に襲われました。これを制作するにあたり、一体モンドリアンは何を感じ、どんな事を考えたのでしょう?
ところで、これはあくまで一般論ではありますが、風景を描く時、通常は背景の方から手前の方に向かって描いていく方が効率が良いとされています。奥にある空を描いてから枝を描く方が圧倒的に楽なんです。それまでに風景画を沢山描いてきたモンドリアンも、当然それは知っていた筈です。そこを敢えて樹の枝から描き始め、枝の隙間から覗く空を描いていく事で「言葉では言い表す事の出来ない何か」を感じたに違いありません。恐らくこの作品は、その後抽象化に向かって行くキッカケになった作品ではないか?と僕は考えています。


1907年頃から数年間、彼は鮮やかな色彩で風景を描いていくのですが、そんな中でもう一度 樹をモチーフとした作品を展開していきます。(この作品は1908?1910年に制作)


やがて色彩が失われ… (1911年制作)


そして樹の形も奥行きも失われていきます。 (1912年制作)

この辺の連作を見て行くと「モンドリアンが抽象化に向けて探求していった過程」と言えますが「彼がたった一人でこの領域に足を踏み入ることが出来た…」とは思えません。色彩が鮮やかになったり、モノクロームになったり、空間が極端に平面的になったのは、当時の他の画家からの影響と見るのが自然です。
例えば一番下の絵 ↑ は、1912年に描かれていますが、その数年前からピカソやブラックがフランスで分析的キュビズムの作品群を推し進めて行っています。


ジョルジュ・ブラック「マンドリン」 1909?1910年制作

モンドリアンの作品の方がブラックよりも単純化が進んでいますが、こういう作品から影響を受けた可能性は極めて高いと言えるでしょう。
そして世の中は、第一次世界大戦という暗黒へと少しずつ向かって行くことになります。100年ちょっと前のお話ですが、今の世の中も重苦しくて嫌な空気が流れていますよね。平和な世の中であって欲しいと願っています。…おっと、脱線してしまいました。

長くなりましたので、次回へと続きます。

全国石膏デッサンコンクール開催

こんにちは、昨日は、待ちに待った「全国石膏デッサンコンクール」を開催いたしました!

日本全国から、いろいろな科、さまざまな学年の方にお集まりいただきました!
御盛況、ありがとうございました。

総勢約330人のなかから、栄えある1位に選ばれたのは・・・・・・?

な・なんと工芸科志望の概卒生でした!!
やはり審査は難航しまして、、、この結果に納得のいかない他の科の先生もいらしたようです。
それはそうですよね、それぞれご自分の科が一番だとプライドをお持ちになって指導してますからね。

全体講評会では、その辺で各科意見を交わし、どうやら混乱させているのは油絵科ではなかろうか?というのが見えてきたようです。

デッサン解説では、驚異の「30分で石膏デッサンを描く!」という企画で行いました。

普通の速さで描くデモンストレーターと超早デモンストレーターのお二人をお招きして、
描いていただきました。違ったタイプの2人のデッサンを比較をしながら解説をしていただいたのは、油絵科の海老澤先生。
ちょっとお話を伺っている間にどんどんデッサンが進んでいきます。皆さんどこで差がつくのか?目が離せなかったですね。

賞品も、上位1・2・3位はもちろん、各科の賞、現役の中の一番と高校1,2年生の中の一番の賞が授けられました。
ちょっと、各商品の画像がないのが残念です。図書券や画材に加え楽しい品がついていたようです。

受賞者以外にも力作が揃いました!!石膏デッサンといえども、意外にバリエーションがあるのが私にとっては新鮮でしたね。

みなさん、お疲れ様でした!!明日はきっといいことがありますよ!!

 

ダ・ヴィンチのデッサンに思う事

こんにちは。油絵科の関口です。台風の影響でこの連休は生憎なお天気になってしまいましたね。気温が一気に急降下して、僕も風邪をひいてしまいました。

さて、皆さんは三菱一号美術館で開催されているレオナルド×ミケランジェロ展をご覧になりましたか?僕も先日…と言いたいところですが、今回は色々と訳あって、まだ見に行けていません。ダ・ヴィンチとミケランジェロのデッサンが同時に見られる機会は滅多にありませんし、会期も9月24日迄なので、かなり混んでいると思いますが「まだ見ていない」という人は是非見に行ってくださいね。
これが今回の目玉作品「少女の頭部/〈岩窟の聖母〉天使のための習作」


「岩窟の聖母」(ルーブル美術館所蔵作品)この右側にいる天使の顔を描くために制作された、と言われています。今回来ているデッサンとは大分雰囲気が異なりますね。

 

僕がダ・ヴィンチのデッサンの本物を初めて見たのは、大学3年の春に友達と二人でイタリア旅行に出かけた時です。旅の後半にヴェネツィアを訪れたのですが、偶然にもそこでダ・ヴィンチのデッサン展が開催されていることが分かりました。「折角なので見ていこう」ということで、即決で美術館に直行。そこで見たのは、言葉を失うほどの見事なデッサンの数々…。ダ・ヴィンチの展覧会としては、かなりの作品数があったと記憶しています。そこでは、まさしく神の領域とも言える圧倒的な技量と、数百年経っても人の心を揺さぶり続ける巨匠の息遣いを目の当たりにし『自分は今まで一体何をやってきたのだろう?』と大きなショックを受けた事を今でも鮮明に覚えています。

ところで、当時のデッサンには様々な素材が使われていますが、時々金属尖筆(せんぴつ)と書かれているものを見かけます。英語ではmetal pointと表記し、イタリア語ではpunta metallica(尖った金属の意味)と表記します。
punta metallica↑ 画像はフィレンツェの老舗画材店Zecchi社のHPより。紙も特製らしいです。

ダ・ヴィンチのデッサンには、銀を使った銀筆(シルバーポイント)というものをよく見かけますが、この銀筆も金属尖筆の一つです。この頃はまだ鉛筆が発明される前の時代です。
金属の棒で紙に描く事をちょっと想像してみて下さい。例えば鉄の棒を使って紙に描いても凹むだけですよね。白い塗料が塗ってある壁に金属が当たって擦れると、そこに跡がつくのを見たことがありませんか?金属尖筆を描画材として使う原理は正にそれです。
普通の紙だと金属よりも柔らかいので金属が削れず、描くことができません。シルバーポイントを使うには、紙に白亜地などの下地塗料を予め塗っておく必要があります。
あとシルバーポイントは銀を用いているので、描いた直後と数ヶ月後では色が変わるそうです。僕は使ったことがないのですが、シルバーポイントを使用したことのある絵描きさんによると、いわゆる燻し銀のような、赤味がかった黒色になるそうです。

そしてこのシルバーポイントは、一度描いたら消すことができません。

デッサン(dissin)のことをイタリア語でディゼーニョ(disegno)と言いますが「印をつける、刻印する」という意味もあるそうです。「神が刻印した自然なるもの」を感じ取り、それを「紙に刻印する」という行為がデッサンというものの本質なのかもしれません。

『絵を描き続ける』という人生

こんにちは。油絵科の関口です。ここ数日は肌寒いくらいの陽気が続き、そうかと思うとまた暑さが戻って来たり…これでは身体がついて行けませんよね。皆さんも体調管理には十分気をつけましょうね。

さて、高校生は既に二学期がスタートしているところが殆どですよね。夏期講習は丸一日絵だけを描いていた人も多かったと思いますので、高校生活に戻って「ああ、そう言えば、こういうのが日常だったんだ…」と感じているのではないでしょうか?『絵を描く』という行為が、非日常的な行為であった事に気付かされる瞬間ですね。

そのうち皆さんも『絵を描く』ということが日常になって行きます。現時点では不安な事もあると思いますが、自分が『絵を描き続ける』という人生をイメージしてみて下さい。数十年後に振り返った時、今はそのスタート地点にいる状態なのです。

 

最近ふと「もし自分が『絵を描かない人生』を選んでいたら、どんな人生だったのだろう?」と思い、不安になる事があります。「一体自分には何が出来たのだろう?」と。…今の皆さんとは逆ですね(笑)。
僕は高校を卒業するまで、瞬間的には何かに興味を持つ事ができても、絵以外で何かに没頭できるものには出会えませんでした。当時は自分に才能があるかどうか?など、全く考えた事もなく、ただひたすら好きな『絵を描く』事に没頭し、上手くなりたい一心で、心配する親を説得し上京して来たのです。

自分が新美生だった頃、先生はこう言いました。「絵描きというのは職業の名称ではない。生き方なんだ!」と。

人生を歩んで行く中で、国籍、性別、年齢、立場も越えて色んな作家さんと出会い、美術に携わる人の純粋さや直向きさを目の当たりにして来ました。時には影響を受け、意見を交わし合い、楽しい想いも、辛くて苦しい想いも、沢山重ねてきました。そしてこれからも、それは続いていきます。
いろんな方から届くDMの数々。これは9月前半のものの一部。1週間で10枚以上来ることもあります。全てに足を運ぶのは難しいですが、なるべく見に行くようにしています。

自分が『絵を描き続ける』という人生を選択した事に、一切後悔はありません。それが自分の生き方なのですから。