カテゴリー別アーカイブ: 彫刻科

彫刻科秀作の紹介。

こんにちは!彫刻科の小川原です。GWも終わりましたが、休み気分が抜けてなーい…。なんて人はいませんか!?もう来年に向けての戦いはとっくに始まっていますよ!
皆さんのことだから休み中は学科の対策に集中して取り組んでいたことと思います。日々の積み重ねが重要ですね!毎日頑張っている人には是非来年合格を掴んで欲しいです!

さて、GWでしばらく休みが続いていましたが、ここ最近の学生の作品の中で優秀だったものを紹介します。

まずは昼間部から。背景付きガッタメラータ。調子のコントロールの上達と、自然な色の変化を表現できるようになることを目標として行いました。
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色の変化が豊かで、リアルな質を感じさせます。抜けのない力強さが魅力的な1枚です。

この課題は僕も描きました。
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背景をつける時は形の狂いを直していると紙が傷んで背景の色が美しく表現できなくなるので特に慎重にアタリを取っていきましょう。背景に関しても後付でなく、最初から計画的に進めていきたいです。
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今回はタッチを使わずに、徹底的に色幅を増やすことで形を説明することをテーマに進めました。立体感を出すために、首のあたりなんかは多少実際の色の変化から外して、より伝わりやすくするための工夫を入れています。雰囲気で描くのは割りと簡単ですが、しっかり説明し切るためには結局形を理解していないと出来ないんだなと改めて感じました。

続いて昼間部の素描課題、牛骨です。
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上顎の骨っぽさ(薄くて固くて有機的な感じ)が良く出せています。下顎はやや固さが足りないので、さらに客観視して調整できると良いです。床面の作業が丁寧なのがとても好感が持てます。

この課題は野村先生がデモンストレーションしてくれました。
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背景も含めて作品性の高いデッサンになっていると思います。1枚1枚のデッサンも自分の「作品」として捉えられるようになれると上達も早いです。「こだわり」が徹底していかないとなんとなーくのデッサンで終わってしまいます。

最後に夜間部生のデッサン、フォーンです。
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とにかく力強いです!でも強引なところはなく、全体をしっかりコントロールして完成まで持ってこれました。この間始めたばかりの現役生とは思えない完成度です。この調子で頑張りましょう!

こんな感じで彫刻科は昼間部、夜間部いい感じで実力者が揃ってきました!まだまだこれからなので、じっくり力をつけていって、揺るぎない実力者を目指していきましょう!

あと、そろそろ推薦入試の対策を始める時期になってきました。多摩美やムサビなど、作品ファイルや、実際に作品の提出が必要な大学もあります。近年推薦入試の難易度も高まってきています。作文や、面接なども含めてしっかり対策をしていかないと簡単には受からないので、推薦入試を考えている人は是非相談に来て下さい。新美では実材での作品制作もサポートします!

彫刻科 修復師、アーティストとしての生き方 吉水快聞インタビュー

彫刻科の小川原です。今回は芸大の学部彫刻科を卒業後、芸大大学院保存修復科に進学し、仏像の修復の為の工房を立ち上げ、修復の仕事をしながら自らの制作活動もしている吉水さんに話を伺いました。寺の住職でもあり、修復師でもあり、アーティストでもあり、大学の客員教授でもある吉水さんですが、「作品」や「仕事」や「仏像」に対する徹底的とも言えるこだわりが話から伺えます。美術の世界を目指す人には是非見てほしい内容です。どうぞご覧ください。

Q.保存修復の仕事をされていますが、具体的に保存修復とはどのような仕事内容ですか?

保存修復の仕事は現在まで脈々と伝えられてきた文化財を未来に繋ぐという仕事です。文化財は勝手に残ってきたわけではなく、各時代で守られ修復をくり返しながら現在に伝わっています。
私の場合は彫刻文化財の保存修復が専門です。日本における彫刻文化財のほとんどは仏像になりますので、仏像の修理を行うということが中心となります。

保存修復の仕事はしばしばお医者さんに例えられます。患者(仏像などの文化財)を診察(調査)し、それぞれの病状に合わせて、治療方針(修復方針)を計画して、
それぞれの患者に合った適切な治療(処理)を施します。
具体的には、所有者等と相談、仏像の梱包から運搬、写真撮影、必要であればレントゲン撮影などの調査を行い、修復方針を決めた上で修復を行います。
修復は全体の洗浄や彩色などの剥落を止めたり、欠失している部分を補ったり、症状が重い場合は全解体などケースバイケースです。
Q.保存修復の仕事に携わるにはどのような経験や能力が必要ですか?また、吉水さんはいつから保存修復家への道を意識し始めましたか?

どのような経験や能力といわれると難しいんですが、少なくとも「良き作家」と「良き修復家」はだいぶ異なる能力かもしれません。
作家はいかに自分を出して自己表現するかが重要ですが、
修復家は逆にいかに自分を殺して相手(修復対象)に合すかということが重要になってくる気がします。
修復の仕事に携わるには、まず脈々と伝わってきた歴史の重みと知識を身につける必要があると思います。
能力についてはそうですね、地味な作業が多いので、根気の良い人がいいですね。(笑)
技術については少なくとも、修復をする像を当時造立した仏師と同等くらいの能力はは必要かもしれません(まぁ理想的にはですが)。

私が保存修復の道を意識し始めたのは大学学部一年のころです。
木彫実習をやったときにそれが楽しくて、木彫のことをもっと勉強したいと思ったときに「仏像」だと思い、大学院は文化財保存修復彫刻に行こうと決めました。
22博士課程の研究 快慶作阿弥陀如来立像の想定復元模刻 (1)
博士課程の研究 快慶作阿弥陀如来立像の想定復元模刻
20博士課程の研究 快慶作阿弥陀如来立像の想定復元模刻 (2)

19博士課程の研究 快慶作阿弥陀如来立像の想定復元模刻 (3)
Q.彫刻科を受験しようと思った理由は何ですか?

絵を描くより、立体物を造る方が好きだったんですよね。得に迷いもなく彫刻科でしたね。
4.芸大彫刻科の学部を卒業後、芸大大学院で保存修復科へ進まれましたが、具体的にどのようなことを学びますか?工房の雰囲気などはどのような感じでしょうか?彫刻科とは大分違いがありますか?

保存修復では美術史などの学術的なことと、仏像の制作における古典技法について学びます。修復を行うには昔の材料、膠や岩絵の具、漆などといった古典的材料を学ばねばなりません。
といっても、大学院という所は教えてもらうというよりは自分で研究するという側面が強いので、最低限教わって、あとは自分でということになりますが。
私の在籍していたころの研究室の雰囲気で大きく違うのは、機械をあまり使わないところですね。彫刻科では常にチェーンソーの音が響き渡っていますが、保存修復科では皆黙々と手作業な人が多いです。
彫刻科の大学院に進んだ人は学部の延長上にあるかとおもいますが、保存修復に進んだ場合は、もう一度1年生に戻る感じですね(笑)
1修復中
修復の作業
2蓮花寺修復前
蓮花寺修復前
3蓮花寺修復後
蓮花寺修復後

Q.保存修復の仕事の中で、予備校で学んだことが生かされていることはありますか?
もちろん予備校で学んだ基礎があるから今があると思っています。具体的には「観る力」ですね。
予備校は、ひたすらデッサンをしますが、それってとても重要なことなんです、予備校って眼を養えるには最高の環境だと思います。
デッサンは受験のためにするのではなくて、クリエイターになるためのほんとの基礎基本で一番大事な部分だと思っています。
Q.吉水さんは自身の彫刻家としての制作活動もされています。保存修復の仕事と、作家としての仕事の意識の違いはどんなことがありますか?

先ほども述べた通り、修復はいかに相手に合わせるかですが、作家としては、いかに自分の表現をするかということなのでかなり対照的です。
4専念寺修復前
専念寺修復前
5専念寺修復後
専念寺修復後

Q.保存修復の仕事も、作家としての仕事も、両立することでプラスになったと感じることはありますか?

そうですね、これは私にとってはとてもプラスに感じています。
保存修復をすることによって先人の知恵や技術、そしてなにより感性を学ぶことができ、それを自分の作品に入れ込むことができます。
修復においても、創作をしていることによって頭が柔らかくなり柔軟に対応できている気がしています。
Q.彫刻作品を制作する上で大切にしていることはどんなことがありますか?

修復の仕事にも携わっているので、いつか私が死んだ後も、修復してもらえるような作品を創りたいと思っています。
歴史はけっこうシビアです、駄作は淘汰され、いいものしか残らないのも身を以て知っていますので。
Q.受験生が多く見てくれていると思います。予備校時代に努力したことや、苦労したこと、思ったことなど教えてください。

予備校時代・・懐かしいですね(笑)そうですねぇ、私は高校は美術科ではありましたが現役では藝大落ちてから奈良から上京してきて予備校に通ったわけですけども
当然、浪人生の中では底辺から出発です。デッサンの良し悪しすら分かりませんでした。自分のデッサンが何故駄目なのか、良いとされているデッサンのどこがよいのか・・・
挫けそうにもなりましたが、周りの人と同じことをして同じ時間を過ごしているだけでは追いつけないと思ったので自分なりに何かしてみようと思いました。
具体的には、家に帰ったらできるだけ毎日最低一枚は手のクロッキーをしようと決めてノルマにしました。それから電車の中では人の観察・・隙あらばクロッキー。
なんせ、デッサンがあまり得意じゃなかったので、少しでも時間を費やそうとおもったんですね。
まぁ、今思えばこんなに一つのことに集中してできる時期は人生にそう何度もないので、とっても有難い時間でしたね。
それから、関係ないかもしれませんが、「掃除」にはなるべくきをつけてましたね。朝早くいってアトリエを片付ける。
予備校とか大学っていろんな人がいますからね・・制作の環境を整えるのも一つの技術かなと思います。
Q.芸大の彫刻科に入学して、良かったと思う所は、どんな所ですか?また、どの様な点が具体的に今の仕事に役立っていますか?

私が藝大に行きたいと思っていたのは、単に、藝大というブランドに憧れたわけではなくて、藝大に入ってくるくらいの人達と一緒に勉強したいと思ったからです。
まぁ、実際入ってみるとほんといろんな人がいて面白かったですけどね(笑)
どのような点が具体的に仕事に役立っているかと言われると困るのですが、言ってしまえば「すべて」です。私の今は過去のすべてです。
一つだけ言えるとすれば、同級生や後輩、諸先輩方がいろんな分野で活躍してくれているおかげで私も励みになり、さらには一緒に仕事ができたりすることができるという点で藝大に行って良かったと思っています。
18学部の卒業制作「雅音」
芸大卒業制作  「雅音」
Q.浪人生時代や大学生の時にはバイトはされていましたか?生活面での工夫などがあれば、教えて下さい。

浪人時代は、幸いにも両親が全力でサポートをしてくれたので、、バイトはしていません。非常に感謝しています。
大学時代は、なるべく役にたちそうなバイトをしていました。引っ越しのバイトで、モノを運ぶ技術を学んだり、大学院からは、OBの仏像制作の下請けなどをして稼いでいました(笑)
生活面の工夫ですか、う?ん、そうですねぇ、メリハリですかね。遊ぶときは遊んで、やるべき時はしっかりやる。
Q.保存修復の仕事、作家としての仕事の楽しいところ、大変なところを教えて下さい。

保存の仕事の楽しいところは、先人と会話できるところですね。不思議なもので作品からはほんとにいろんなことが伝わってきます。それであれこれ想像するのは楽しいです。
作家の仕事の楽しいところは、自分の作品を通してたくさんの人と繋がって、作品を通して会話できるところですね。
大変なところは、実は修復と作家以外にもいろんな仕事を抱えすぎていて、アップアップしているところですかね・・・(苦笑)

Q.この仕事を目指している人、これから受験を考えようと思っている人にアドバイスをお願いします。

受験生にとって、受験というのは一つの目標ではあるけれども、実はスタート地点に立つための基礎基本です。
自分は才能がないと挫けそうになることもあるかとおもいますが、初めからできる人なんていません、少しの積み重ねで大きくいっていくものです。
大切なのは挫けずに続けることです。自分のやりたいことを中心に据えて、自分自身を信じて頑張ってください。
14守宮
守宮
13深々
深々
12水音 (1)
水音
10水音 (2)

9月兎
月兎
8筍の山?蛞蝓?
筍の山?蛞蝓?
8白狐
白狐
7無垢
無垢

1982年 奈良県に生まれる
2002年 東京藝術大学美術学部彫刻科 入学
2005年 伝宗伝戒道場を成満し浄土宗の僧侶となる
2006年 東京藝術大学美術学部彫刻科 卒業
東京藝術大学大学院美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復研究領域 彫刻 入学
2008年 3月 同大学院 修了
2008年 4月 同大学院博士後期課程入学
2011年 3月 博士(文化財)号取得
研究論文『快慶と快慶風の阿弥陀如来立像について
―東大寺俊乗堂像の模刻制作と善光寺像の修復を通して―』
研究作品『東大寺俊乗堂快慶作阿弥陀如来立像想定復元模刻』
2011年 4月 工房『巧匠堂』設立
2013年 浄土宗 東光山 正楽寺 住職就任
2015年 大正大学 客員教授 就任
現在 彫刻家として創作・仏像制作・文化財修復など多方面で活動中
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彫刻科からフィギュアの原型師に   塚本さんインタビュー

彫刻科の小川原です。今回は新美の彫刻科から芸大に進学し、卒業後はフィギュアの原型師として今まさに活躍している塚本さんにインタビューを行いました。この分野に興味のある人は多いと思います。そんな人達には迷いなくこの世界に飛び込んだ塚本さんの話はとても参考になると思います。なんとなく好きだから、では無く、明確に目標があってここまでやってきた話しには強い説得力を感じます。是非御覧ください。

Q.彫刻科を受験しようと思った理由は何ですか?

一番立体の勉強になりそうな科だと思ったからです。

Q.芸大彫刻科を卒業後、フィギュアの原型を制作する会社に就職されましたが、大学に入学する前からこの仕事に興味がありましたか?また、いつ頃からこの仕事に就くことを考え始めましたか?

小学生の頃から原型師になりたいと思っていました。人体をきちんと作れる原型師になりたかったので、大学受験の彫刻科コースでしっかりと勉強をしようと思い新美に入りました。具体的に受験する大学を決めたのは予備校に入ってからです。

Q.今の仕事の中で、予備校で学んだことが生かされていることはありますか?

受験勉強で行ったデッサン・模刻・構成など基礎の勉強全てが日々の仕事に生きています。また、集中して細部まで詰めていく作業も受験の緊張感の中で培われたような気がします。
1予備校時代作品友人像
新美時代の作品 友人像
2予備校時代作品ニワトリ
新美時代の作品 鶏

Q.予備校時代に努力したことや、苦労したこと、思ったことなど教えてください。また、予備校時代に努力したことや、苦労したこと、受かるために考えていたことなど、それぞれの思いを聞かせて下さい。

予備校時代は模刻がとても苦手で、いい成績を残せたことがありませんでした。すぐ細部に目がいってしまうせいで全体のバランスがうまく取れず、現役の年は1次試験で落ちてしまいました。なので、1浪の年はなるべく大きな面でものをとらえる努力をしました。結果的に、人体にも動物にも素描にもその基礎が大事だったのだと思います。

Q.芸大の彫刻科に入学して、良かったと思う所は、どんな所ですか?また、どの様な点が具体的に今の仕事に役立っていますか?

今の職場は彫刻科の先輩に紹介してもらった所で、働いているスタッフも芸大の彫刻科がほとんどです。芸大に入って一番良かった所は、この場所に来ることができたことです。また在学中も、フィギュアや細かい作業が得意だという事で大英博物館の模型作りを行うチームにも加えて頂きました。沢山のチャンスが転がっているので、時間のある学生のうちに色々な経験を積む事が出来たのが今の仕事に一番役立っていると思います。
1芸大卒業制作
芸大卒業制作

Q.浪人生時代や大学生の時にはバイトはされていましたか?生活面での工夫などがあれば、教えて下さい

浪人生時代や在学中はバイトはしていませんでした。実家暮らしで、趣味でフィギュアを作ってワンフェス(フィギュアの大きな販売イベント)に出たり学外の制作活動に参加したりと自由に過ごさせて頂きました。その時に作ったものを仕事に就く前に参考作品として提出する事ができたので、とても良かったです。

Q.この仕事の内容を詳しく教えて下さい。

発注されたフィギュアを、デザイン画と照らし合わせながらサイズや印象に狂いの出ないように期限内に制作して納品する仕事です。
1ワンフェス出品作品
ワンフェス出品作品

Q.この仕事の楽しいところ、大変なところを教えて下さい。

楽しいところはほぼ全部です。好きな作品のフィギュア制作に携わっているところ、1日中フィギュアを作っていていいところ、出来上がった原型が商品になって流通しているのを見るところなど色々あります。趣味で作るフィギュアと違い、クライアントからの要望にしっかりと応えていかないといけないため自由度はありませんが、目標とするキャラクターに形が近づいていくのはとても楽しいものです。〆切が間近なときや修正作業が多いときなど体力的に大変な場合もありますが、とてもやりがいのある仕事です。
1ワンフェス出品作品1
ワンフェス出品作品

Q.この仕事を目指している人は沢山いると思います。これから受験を考えようと思っている人にアドバイスをお願いします。

私はフィギュアを目標にして立体を勉強し結果的に芸大に入学しましたが、この進み方は間違っていなかったと思っています。大学では特殊な技術の勉強や作品制作の時間はありますが、予備校でやるような美術の基礎は勉強できません。フィギュアとしてデフォルメされた人体を作るにも、骨格や構造を理解して普通に人体を作る技術は大いに役立ちます。ぜひ予備校にいるうちに沢山基礎を学んで、気持ち良く作品制作が出来る技術を身につけていただければと思います。頑張って下さい!

塚本 2002東京芸術大学美術学部彫刻科入学

2006東京芸術大学美術学部彫刻科卒業

彫刻科 アーティスト、美術講師としての生き方  根岸創インタビュー

彫刻科の小川原です。今回は僕の大先輩である、新美から芸大に入学し、卒業後は様々な講師業に携わりながら作家活動をされている根岸さんに話を伺いました。予備校時代の取り組みから、芸大での制作について、講師業についての思い、自らの制作感、作品へのこだわり。色々なことが聞けました。今まさに美大受験のために頑張っている人や、これから美大受験をしようと考えている人に対してとても参考になる内容だと思います。どうぞ御覧ください。

Q.彫刻を学ぼうと思った理由は何ですか?

実家の両親がジュエリーメイキングの教室を経営していて、そのせいか子供の頃からものを作るのが好きだったことが発端でしょうか。日本画、工芸、彫刻と一時は迷いましたが、具体的に彫刻という分野を選んだのは、「あなたは大きなものを作りなさいよ」との母の一言で、個人で出来る一番大きな造形物を作れると思えた彫刻を選びました。 父は建築科出身のジュエリー作家なので、大きな造形物ということで建築なども少し考えましたが、一人の手で先端から末端まで血の通った造形物を作りたいという趣旨から考えると、彫刻が一番沿っていたと思います。

Q.予備校時代の話を聞かせて下さい。どのような日々の過ごし方をし、どのような努力をしましたか?また、楽しかった事、辛かった事はどんなことがありましたか?

辛かったことはあまりありませんが、しいて言えば ”日曜以外は二時間の学科勉強をする”と決めて、少なくはありますが 欠かさず行なったことでしょうか。 日々の過ごし方は工夫しました。 いくつか自分でルールを決めたのですが、そのなかの一つに”毎日必ず予備校に通うこと”がありました。(新宿美術学院でした。) 結果として、試験とその発表日以外は一日も予備校は休みませんでした。 他には食事以外の時にはテレビは見ないで、日々の”趣味”は絵を描くことと決めて 落書きの延長でリアルなものやイラスト的なものも織り交ぜて色々な題材(主に人物)を、毎日3時間くらいは描くようにしていました。 また、週一?二回でヌードクロッキー会に参加していました。予備校でも開設してましたし、近所の画廊でも日曜に開設してたので遊びの延長で描きに行きました。 勉強は嫌いな分野だったのでそれに関してはある程度努力したと言っても良いかも知れません。ですが実技に関しては ”楽しんで人一倍数をこなすにはどうすれば良いか”ばかりを考えていたので、それに関する一連の行為を努力と言うのは 自分では何か違う気がします。 私の状況的に一年しか浪人は許されなかったことと、高校時代は厳しい部活(空手道部)に在籍していたので、大好きな美術の勉強ばかりを許された一年は楽しく充実してました。

Q.芸大を目指すに当たって何か特別な思いはありましたか?

高校時代はあまり実際の状況を知らなかったので、芸大に行くには神懸かったデッサン力が必要という変な噂を真に受けて 余計な勘違いをしていましたし、まわりもそのような認識の人が多かったため、自分が行けるとは思っていませんでした。 ただ美術作家になりたい意識だけは生意気にも強かったので、どこの大学に進学したとしても作家として生き残るぞ、という気概はありました。 私は美術専攻のある高校出身でしたが、当時の担当の先生に「根岸は浪人しても芸大には受からないから、今のうちに勉強して武蔵美に入れ。」と言われて、その発言に対して見返したい気持ちが芽生えたので、あわよくば芸大に受かりたいと思って浪人時に奮起したのを覚えています。ちなみにその当時の先生が酷い方かと言うとそうでもなく、真面目に私の将来を心配した上でそのように言われていた様子なので、むしろ余計にショックを受けました。 ただし その一言が自分を奮い立たせてくれたものだったので、今では感謝しています。

Q.当時の芸大入試は今と違って相当倍率が高かったですが、それに対して受験時にどんな思いがありましたか?

芸大だけでなく、すべての美大の倍率が比較的高かったので、芸大にこだわりすぎないように気をつけていました。どこに入っても作家を目指し頑張ることだけは決めていて、受かった中で一番行きたい大学に行こうと考えていました。 むしろ現役時代にすべての大学が不合格だったので、前年度に結果の出なかった多摩美大、武蔵美大、東京造形大はすべて受かろうと目標を定めていたのです。 芸大に対してはあわよくばという意識が強く、芸大に受かる実技勉強と私立美大に受かる学科勉強を一年かけて充実させて、あとは天命を待つといった心境でした。

Q.大学ではどのような生活をしていましたか?アルバイトなどはしていたでしょうか。また、心がけていたことなどありましたか?

大学時代、授業は実技も学科も真面目に参加していました。教職関係の授業も履修していました。 心掛けていたことは大学の設備を出来る限り利用して学ぶことで、非常に有意義な大学生活を過ごしていたと思います。 主に金属造形を学んでいたので、個人では所有しづらい高価な設備を存分に使用出来たのは幸せでした。 他には空手道部に入り、週三日の稽古と春夏に一週間の厳しい合宿に参加していました。 アルバイトは通常は平常週一と、長い休みの期間は連日と、遺跡の発掘及び復元の仕事をしていました。

Q.大学での作品に対する悩みや、それを解決するに至った経緯を教えて下さい。

作品を考えるにはデザインセンスが必要と思っていたのですが、自分はその能力が足らないと悩んでいた時期があります。 足り無い脳みそから一生懸命絞り出すような行為を続けてました。 ただ、とある時に自然にある造形物(生物、無機物、景色など)を自分なりに変化や合成、または抽出させてデザインをすればいくらでも面白い形を生み出せる、ということに気が付いてからはあまり悩まなくなりました。 悩み出したら、必ず色々な物を見たり、何かヒントは無いか探しに出かけたりしましたね。

Q.卒業後、大学院に進まれました。大学院に進学して良かったと思う事はどんなことがありましたか?また、芸大で学んで良かったと思うことも聞かせて下さい。 大学の学部四年間ではようやく作品まがいの物が二点出来たに過ぎず、「自分の作品」として昇華したものは生み出せなかったので、せめてあと二年は勉強をする必要があると痛感しました。 また大学院中、当時の担当教授の作品制作を手伝う機会があり、それが本当に勉強になりました。 芸大で学べて良かったことは、まわりの皆のモチベーションが高かったことと、芸大に対するコンプレックスを抱かなくて済んだことでしょうか。 美術大学や芸術大学をうたっている大学はどこも素晴らしい特色があり、設備も 一長一短はありますが 美術を学ぶにはいずれも充分な環境です。 ですが、どうしても受験時の倍率の難易度で自分を卑下したり 逆に優越感にひたったりする部分も人によっては無いとは言い難いところがあります。 私の場合、それまで自分より優れた人ばかりに出会ってきたので驕る気持ちを持つことは さして無かったと思いますが、もし芸大以外に行っていたら 芸大進学者に対し妬みを感じてしまっていたかも知れません。(もちろんそういった気持ちをバネにして成長する場合もありますが、当時の自分は愚かな方向に行きかねなかったと思います。) それが無く済んだことが幸運でした。

Q.卒業後、就職するか、作家活動をしていくか悩みましたか?卒業後は講師の仕事を複数兼任しつつ、作家活動をされていますが、その道を選んだ理由を聞かせて下さい。

作家活動すること自体は子供の頃からの目標で、就職して常勤業務についてしまうとその活動に支障をきたすと思ったため、迷いませんでした。 大学の研究生として残りながら、文化女子大学(現在の文化学園大学)の非常勤講師を行うことが出来たのも 本当に幸運でした。 新宿美術学院の基礎科講師もすでに行いながらのスタートだったのでほぼ悩まず、作家兼美術講師となることになりました。 それについては当時それぞれの仕事を紹介して頂いた方々のおかげだと思っています。 また、講師をしながら作家業というのは僕に向いていたかも知れません。 私自身は出し惜しみせずに技法や考え方を教えますし、教えた生徒からも荒削りながらも新たな感性での制作を見せて貰うことが出来、非常に良い刺激を受けています。 専業美術作家を目指すことも視野に入れてましたが、一度作品を作りだすとこだわりが強くなり、採算に合わない制作ばかりになってしまうので 日々の糧を得るためには、今のところ兼業作家で助かっている事も多いと思います 。
3ヒイラギ-Leiognathus nchalis-
ヒイラギ-Leiognathus nchalis
4Carllion Dragon
Carllion Dragon
7Prickly Leaf(M)
Prickly Leaf(M)
8Crown
Crown
8Face
Face

Q.仕事として講師という立場を選んだ理由は何ですか?

私にとって作家業は夢や目標と言うべき職業で、それのみで食べれない分の経済活動として、渡りに船という感覚で講師を始めました。 と言っても選ぶというより、自然に話を持ちかけられたケースばかりだったので 本当に運が良かったと思います。それらの巡り合わせ全てに感謝しています。

Q.大学、高校、予備校など、これまで様々な講師を受け持って来られましたが、講師の仕事の面白さ、難しさなどについて聞かせて下さい。

高校は初めて出会う具体的な技法をキラキラとした目で吸収していく姿、予備校は甘えを捨て目標を叶えるために自分を見つめ直し地力を養うことにひたすら向かう真摯な姿、大学では個人の自由な発想と経験からくる持ち合わせによって無限の表現を模索していく姿を、目の当たりに出来ることが非常に面白いです。 講師として難しいことは、なんでも自分で教えたくなってしまうこと。自分のやってきた道をそのまま教えたくなってしまいますが、その教えによって伸びる部分もありますが、もともと生徒が持っている伸びしろを潰してしまうかも知れないところも多々あります。 高校では美術が楽しくなるように、つとめて明るく接し、予備校では時に嫌われても構わないからその生徒が合格に近付くような指導を心がけます。 大学では教師であるが自分もまた一研究者であるという立場として、出来る限りフラットに接するようにしています。

Q.講師職と作家としての活動の相性は実際経験してみてどんな実感がありますか?

作家個人やその人の作風にもよりますが、わりと相性は悪くないと思います。教える立場にあることで自分の技術も更新していくこともメリットであると思います。 ただ、講師職は常勤であれば責任も増すため、また、非常勤であればそれほど多い時間数を割り当てて頂くことは難しく いくつかの学校を掛け持ちすることも多いため、制作時間がそこまで多くは取れないことが問題としてあげられます。 極力バランス良くスケジュールを組む必要があります。

Q.講師として仕事をし、作家として制作活動をする。このスタイルを目指す学生は多いと思います。アドバイスがあればお願いします。

制作は自分の個性を大事にするべきですが、指導に関しても生徒一人一人の個性を同様に尊重してあげて欲しいです。 そのため自分の嗜好だけで判断するのでは無く、好みでは無い作風であれ その良し悪しを考えられるよう心掛ける必要があります。 また人に教えられる存在で居続けるため、自分自身に厳しさを持ち 自分の造形を研究し続けるよう頑張っていって欲しいです。 自分も力足らずではありますが常にそうありたいと思っています。

Q.作家としての側面について聞かせて下さい。作品のコンセプトはどのようなものですか?

私は作品にいくつか違うコンセプトを持たせてそれぞれシリーズとして制作をしています。 「生命の循環」、「五感に訴えるコミュニケーションツール」、「ジュエリーやテーブルウェア、室内、室外のデザインオブジェクト」、「宇宙や無重力環境で求められる芸術とは何か」…などがあります。 共通したデザインコンセプトとしては”有機と無機の融合”が常に頭の片隅にあり、自然に生まれたものの形を自分というフィルターを通して再構成していくという行為に思索を重ねています。
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音の鳴るベンチ(三鷹の森ジブリ美術館)
1
水飲み台(三鷹の森ジブリ美術館)
5「宇宙楽器」無重力演奏コラージュ
「宇宙楽器」無重力演奏
Q.芸大を卒業後、作品に対する考え方は時と共に少しずつ変わっていると思いますが、どんな変化がありましたか?またこれからの展望について聞かせて下さい。
9Winged clocktower(総合芸術高校
Winged clocktower(総合芸術高校)
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SAKURA object(ステラ☆ミラ行徳)
1左からfiower,eleven leaves,seven leaves
左からfiower,eleven leaves,seven leaves

大学時代や大学を出てすぐの頃は個人的な欲求に基づく、言うなれば自慰行為に近い制作をしていました。 現在もそれに似た心持ちはありますが、人の貴重な時間を私の作品を見ることで奪ってしまったり、世の中の空間を一部占有してしまったりするわけだから、せめてそれに見合ったの価値のある造形を目指そうと強く思うようになりました。 こんな自分の我儘を続けて良いのだろうかと迷い 悩んだ時期もあります。 ですが現段階では何度考えても自分の存在意義は物をつくる(作る、造る、創る)ことにしか見出せないとの結論にどうしても至ってしまうので、せめて少しでも見る人がその価値を感じてくれるような作品をつくるように最大限の力を発揮していきたいと思っています。

Q.最後に、これから彫刻を学ぼうと思っている学生にアドバイスをお願いします。

“何かを生み出すこと”は自分がここにいたんだと多くの人に訴えることが出来る行為です。 それこそ他の作業と比べて自分の想いをまるごと作品といった形に置き換えることも可能な行為です。 そのなかでも彫刻は人と同じ次元(三次元物理空間)に自らの手でその想い(温かみ、叫び、怒り、哀しみ、楽しみ、喜び)に姿を与えることが出来る分野です。 誰しもが合うわけではありませんが、そういった行為を楽しいと思えるのであれば、資質があるように見えますので、我こそはと思う方はぜひともチャレンジしてみて下さい。 「無価値を作るか感動を作るか。」 ある意味ギャンブルとも言えますが、その行為に私もぞっこん惚れ込んでしまっているのです。 私はすでに足先から頭までどっぷり浸かっておりますが、ご興味のある方は片足先でも浸してみてはいかがでしょうか? 皆様の未来が輝かしいものとなりますよう心からお祈り申し上げます。 この度は色々と申し上げる機会を頂きましたこと、そしてまたそれをご覧頂きましたこと、深く御礼申し上げます。 誠に有難うございました。

根岸 創 So Negishi 1973  東京都に生まれる 1996  東京芸術大学美術学部彫刻科卒業  1998  東京芸術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻修了 1999  東京芸術大学大学院美術研究科研究生修了 個展 1999 ・「 根岸 創 展 」/ ギャラリー4GATS 〈クワトロガッツ〉(東京) 2002 ・「 A Day of Bright Night 」/ Pepper’s Gallery (東京) 2002 ・「 G ・ I ・ S 2001 企画賞展 」/ ギャラリーイセヨシ (東京) 2005 ・「 F i o l e 」/ギャラリー52 (東京)  グループ展 , アートイベント 2004 ・「 KINZOKU 東京芸術大学彫刻科金属室に学んだ作家たちvol.1 」      / 天王洲アイル セントラルタワー1F アートフォール (東京) 2005 ・アートイベント「 K O 」(展示及びパフォーマンス) / タキナミグラスファクトリー (東京)    ・「宙(そら)へ+ – 50年 ペンシルロケット50周年」/ JAXA宇宙科学研本部 相模原キャンパス」    (神奈川) 2007 ・コラボレートイベント「 Fiole One Love 」/ テレビ朝日多目的スペースumu (東京) 2009 ・「 ART FAIR 2009 」 / テレビ朝日多目的スペースumu(東京)  2015 ・「ロケット交流会2015」/ 日本科学未来館(東京)    ・他 10回程参加  設置 , 依頼制作 2001 ・「 鳴る 水飲み台 」 ,「 鳴る 椅子 」(2台) 常設 / 三鷹の森ジブリ美術館(東京) 2005 ・「 レクサスカップ2005 トロフィー 」金属部制作 / レクサスカップ2005       :トヨタ自動車ブランド「 レクサス 」主催の女子プロゴルファー対抗戦に使用(シンガポールにて開催) 2012 ・「 翼のある時計台 」常設 / 東京都立総合芸術高等学校 (東京) 2015 ・ペット合祀墓モニュメント「 SAKURA monument 」常設 / ステラ☆ミラ行徳 (千葉)  その他 2001 ・「日韓現代美術交流展in埼玉」出品 / 埼玉県立近代美術館(埼玉) 2004 ・「 第7回 大分アジア彫刻展 」 〔 あさじ賞 〕受賞  / 朝倉文夫記念館(大分)  2005 ・「 第三回 航空機による学生無重力実験コンテスト 」実施案選考に通過      団体C.S.A. ( コンフィレンス オブ スペースアート )のメンバーとして共同制作「サウンド・ウェーブ・     スカルプチュアー3」の微少重力実験を実施 (主催 JAXA及びダイヤモンドエアサービス) 2006 ・「 宇宙楽器 」試作品及び実験器具を制作 落下実験により微少重量下における「宇宙楽器」(試作)    の音声と映像を撮影(協力 小野綾子 氏〔当時C.S.A.代表〕)/ E S A ( 欧州宇宙機関 )  2012 ・「 宇宙楽器 」(「 Space Musical Instruments [ Ellipsoid Bell ]&[ Fractal Bell ]」)制作    国際宇宙ステーション( I S S ) 「 き ぼ う 」日本実験棟利用 文化・人文社会科学利用パイロットミッション      公募に通過 , 小野綾子氏(当時 東北大学大学院博士課程在籍)と共同研究    J A X A(つくば 茨城) 及び I S S に提出    ダニエル・バーバンク宇宙飛行士(NASA)によりその演奏と撮影を実施 2014 ・「ミッション[宇宙×芸術]コスモロジーを越えて」: 「き ぼ う」日本実験棟利用 文化・人文社会科学利         用パイロットミッション「宇宙楽器」無重力演奏映像及び制作者インタビュー映像を公開( J A X A制作による)     / 東京都現代美術館(東京)

彫刻科からフィギュアの原型師に  榎本さんインタビュー

彫刻科の小川原です。今回は新美彫刻科から現役で芸大に合格し、卒業後フィギュアの原型師として仕事をしている榎本さんにインタビューを行いました。予備校から大学に入学し、現在の仕事に
至るまで、何が重要になってくるのか、是非参考にして下さい。

Q.彫刻科を受験しようと思った理由は何ですか?

高校の美術科で絵画やデザイン、工芸など様々な技術を学ぶ中で彫刻で立体作品を作ることが1番自分に向いていると感じたためです。また、イタリアへ行き日常的に彫刻作品を見ることができる環境に感動したことも、彫刻科を受験する大きなきっかけとなりました。

Q.芸大彫刻科を卒業後、フィギュアの原型を制作する会社に就職されましたが、大学に入学する前からこの仕事に興味がありましたか?また、いつ頃からこの仕事に就くことを考え始めましたか?

もともと漫画やアニメに興味があり、高校時代からフィギュアを作りたいという気持ちはありましたが、道具も技法も分からずその時は諦めてしまいました。 大学へ進学し以前よりも造形力もつき、卒業したらクリエイティブな仕事に就きたいと考えるようになった頃、彫刻科を卒業した先輩や同級生の塚本さんがフィギュアの原型をつくっていると聞き、再びフィギュアをつくりたいという気持ちを強く持つようになりました。

Q.今の仕事の中で、予備校で学んだことが生かされていることはありますか?

ほとんどが予備校で学んだことの応用だと思っています。基本的なデッサン力や造形力はもちろん、原型を見てカタチの狂いを自分で発見し良い方向に直していく力など予備校と共通する部分は多くあると思います。

Q.予備校時代に努力したことや、苦労したこと、思ったことなど教えてください。また、榎本さんは現役での合格でしたが、予備校時代に努力したことや、苦労したこと、受かるために考えていたことなど、それぞれの思いを聞かせて下さい。

予備校に通っていた頃、私は現役生だったので周りの浪人生のレベルの高いデッサンなどを見て自信を失くしてしまい、受験までにどのようにモチベーションを上げていくかが大変でした。実力を上げて自信をつけるために、講評のたびに講師の方にアドバイスしてもらったこと(自分のデッサンの良いところ、悪いところ)をノートにまとめて、次のデッサンを描くときに同じことを指摘されないよう、自分の悪いところをひとつひとつ無くしていく努力をしました。

Q.芸大の彫刻科に入学して、良かったと思う所は、どんな所ですか?また、どの様な点が具体的に今の仕事に役立っていますか?

同級生や先輩後輩のレベルがとても高いことが芸大の良いところだと思います。また在学中、塑造の課題や作品制作、解剖学の授業などで人体のつくりについて学んだことがフィギュアの原型を作る上でとても役に立っています。
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芸大卒業制作

Q.浪人生時代や大学生の時にはバイトはされていましたか?生活面での工夫などがあれば、教えて下さい

実家から通学するには距離が遠かったので芸大に入ってから一人暮らしをするようにするようになり、生活費をまかなうためにアルバイトをしていました。芸大は学校が開いてる時間が限られているので、できるだけ学校が開いてる時間には作業をし、休日や平日の遅い時間にアルバイトをするようにしていました。

Q.この仕事の内容を詳しく教えて下さい。

フィギュアの商品企画を受け、デザイン画やサイズや納品期限などの規定を守りながら立体におこしていきます。原型を納品した後に工場に送られ複製や塗装をされるので、フィギュアの原型を作るところまでが私たち原型師の仕事です。

Q.この仕事の楽しいところ、大変なところを教えて下さい。

1番の楽しいところは、公式の商品として自分の好きなキャラクターを作れる可能性があることと、自分が原型を担当したフィギュアが商品化し実際にお店で売られているところが見れることだと思います。大変なことはやはり、自分の価値観だけで原型を作れないことです。最終的にクライアントの要望通りに作ることが正解なので何度もクライアントからの修正を聞き、完成に向けて仕上げていきます。

Q.この仕事を目指している人は沢山いると思います。これから受験を考えようと思っている人にアドバイスをお願いします。

漫画やアニメに興味のある人ならフィギュアの原型制作はとても楽しいと思います。実際に仕事は忙しいですが毎日楽しく作っています。しかし仕事という以上クオリティの高いものを作り続けなければいけないので、基本のデッサン力、造形力がとても重要になります。大学やその先のことなど未来のことばかりを考えがちですが、毎日全力で課題に向かい、しっかりと実力をつけていくことが何事にも繋がっていくと思います。予備校は自分の実力をつけるためにうってつけの場所なので、今、たくさんのことを吸収しどんどん前進していくことが大事です。頑張ってください!
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自主制作作品

榎本佑香
2002東京芸術大学入学 現役合格
2006東京芸術大学卒業