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彫刻科からフィギュアの原型師に  榎本さんインタビュー

彫刻科の小川原です。今回は新美彫刻科から現役で芸大に合格し、卒業後フィギュアの原型師として仕事をしている榎本さんにインタビューを行いました。予備校から大学に入学し、現在の仕事に
至るまで、何が重要になってくるのか、是非参考にして下さい。

Q.彫刻科を受験しようと思った理由は何ですか?

高校の美術科で絵画やデザイン、工芸など様々な技術を学ぶ中で彫刻で立体作品を作ることが1番自分に向いていると感じたためです。また、イタリアへ行き日常的に彫刻作品を見ることができる環境に感動したことも、彫刻科を受験する大きなきっかけとなりました。

Q.芸大彫刻科を卒業後、フィギュアの原型を制作する会社に就職されましたが、大学に入学する前からこの仕事に興味がありましたか?また、いつ頃からこの仕事に就くことを考え始めましたか?

もともと漫画やアニメに興味があり、高校時代からフィギュアを作りたいという気持ちはありましたが、道具も技法も分からずその時は諦めてしまいました。 大学へ進学し以前よりも造形力もつき、卒業したらクリエイティブな仕事に就きたいと考えるようになった頃、彫刻科を卒業した先輩や同級生の塚本さんがフィギュアの原型をつくっていると聞き、再びフィギュアをつくりたいという気持ちを強く持つようになりました。

Q.今の仕事の中で、予備校で学んだことが生かされていることはありますか?

ほとんどが予備校で学んだことの応用だと思っています。基本的なデッサン力や造形力はもちろん、原型を見てカタチの狂いを自分で発見し良い方向に直していく力など予備校と共通する部分は多くあると思います。

Q.予備校時代に努力したことや、苦労したこと、思ったことなど教えてください。また、榎本さんは現役での合格でしたが、予備校時代に努力したことや、苦労したこと、受かるために考えていたことなど、それぞれの思いを聞かせて下さい。

予備校に通っていた頃、私は現役生だったので周りの浪人生のレベルの高いデッサンなどを見て自信を失くしてしまい、受験までにどのようにモチベーションを上げていくかが大変でした。実力を上げて自信をつけるために、講評のたびに講師の方にアドバイスしてもらったこと(自分のデッサンの良いところ、悪いところ)をノートにまとめて、次のデッサンを描くときに同じことを指摘されないよう、自分の悪いところをひとつひとつ無くしていく努力をしました。

Q.芸大の彫刻科に入学して、良かったと思う所は、どんな所ですか?また、どの様な点が具体的に今の仕事に役立っていますか?

同級生や先輩後輩のレベルがとても高いことが芸大の良いところだと思います。また在学中、塑造の課題や作品制作、解剖学の授業などで人体のつくりについて学んだことがフィギュアの原型を作る上でとても役に立っています。
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芸大卒業制作

Q.浪人生時代や大学生の時にはバイトはされていましたか?生活面での工夫などがあれば、教えて下さい

実家から通学するには距離が遠かったので芸大に入ってから一人暮らしをするようにするようになり、生活費をまかなうためにアルバイトをしていました。芸大は学校が開いてる時間が限られているので、できるだけ学校が開いてる時間には作業をし、休日や平日の遅い時間にアルバイトをするようにしていました。

Q.この仕事の内容を詳しく教えて下さい。

フィギュアの商品企画を受け、デザイン画やサイズや納品期限などの規定を守りながら立体におこしていきます。原型を納品した後に工場に送られ複製や塗装をされるので、フィギュアの原型を作るところまでが私たち原型師の仕事です。

Q.この仕事の楽しいところ、大変なところを教えて下さい。

1番の楽しいところは、公式の商品として自分の好きなキャラクターを作れる可能性があることと、自分が原型を担当したフィギュアが商品化し実際にお店で売られているところが見れることだと思います。大変なことはやはり、自分の価値観だけで原型を作れないことです。最終的にクライアントの要望通りに作ることが正解なので何度もクライアントからの修正を聞き、完成に向けて仕上げていきます。

Q.この仕事を目指している人は沢山いると思います。これから受験を考えようと思っている人にアドバイスをお願いします。

漫画やアニメに興味のある人ならフィギュアの原型制作はとても楽しいと思います。実際に仕事は忙しいですが毎日楽しく作っています。しかし仕事という以上クオリティの高いものを作り続けなければいけないので、基本のデッサン力、造形力がとても重要になります。大学やその先のことなど未来のことばかりを考えがちですが、毎日全力で課題に向かい、しっかりと実力をつけていくことが何事にも繋がっていくと思います。予備校は自分の実力をつけるためにうってつけの場所なので、今、たくさんのことを吸収しどんどん前進していくことが大事です。頑張ってください!
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自主制作作品

榎本佑香
2002東京芸術大学入学 現役合格
2006東京芸術大学卒業

彫刻科 4月スタート!!

こんにちは!彫刻科社会人講師の稲田です。
早いもので新学期がスタートして2週間が経ちました。新しい生活のリズムが掴めてくるのと同時に1年後を見据えるとついつい余裕がなくなったり、かと思えば1日の長さに疲れたりと気持ちがアップダウンする時期ですね。

スタートから脇目も振らずに頑張ることは当然ですが、人間なのでずっとトップギアで走り続けることは出来ません。休みの日や疲れた時は自分の気持ちをセーブして体と心を休めましょう。
当たり前のことですが見落としがちになっているので、浪人生のみんなには各自、自分なりのテンションをコントロールする術を早い段階で見つけてほしいと思います。

それでは、4月から受験科で頑張っている夜間部生の作品を2点紹介します。

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まだまだ荒削りなところはたくさんありますが、ガッタメラータ像への新鮮な気持ちが伝わってくる大変良いデッサンだと思います。
技術はこれからどんどん吸収していきますが、この新鮮な目をこの先も忘れずに!!

 

続いて昼間部大型石膏模刻です。

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粘った甲斐があり中々の力作が完成しました。シビアにみると頭部から首にかけて違和感がまだありますが、ここまでの密度の高い模刻をしっかりとやり切った作者にはまた力が付いたと感じます。
この作品の作者に限ったことではないですが、自分の不得意な見方を鍛えるというのは中々言葉で言うほど簡単ではありません。自分に足りないものを積極的にものにしようと挑んでいく姿勢はとても素晴らしいですね!!たとえすぐには上手くいかなくてもどんどん挑戦する1年にしましょう。

 

 

前回のブログで新美彫刻科から芸大に合格した3名の作品が出揃ったわけですが、みなさんはどう感じたでしょうか?
僕が一番強く感じたのは感動の強さがそのまま作品の強度に繋がっているということでした。
つまり、技術はあって当たり前。そこではない感動が作品を通して伝えられるものが出来たかどうかが大切です。
美術の道を志すきっかけは人それぞれですが、そのきっかけには何かしらの感動があったはずです!初心を忘れずとは使い古された言葉ですが、忘れてはいけない言葉ですね。
今年受験に挑むみんなは初心を忘れずに挑戦してください!!

初心を忘れずにのついでですが僕の作品を2点紹介します。
最初の作品は、小学校3年生のときに紙粘土で作った《リンゴ》です。

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次は、去年制作した《不確かな輪郭》という作品です。

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photo by Omata Hidehiko

小さい頃に感じたものを作り出す喜びは何年経っても覚えているはずです。作品の形が変化しても変わらない感動を追い求めて制作したいものですね!

 

最後に4月からそれぞれ大学進学、他予備校で頑張ることになった新美出身の彫刻科生の楽しい学校生活と真摯な彫刻制作を願っています!!ファイト!!

次回の更新は、氷室先生です!よろしくお願い致します。

彫刻科からジュエリーデザイナーに 鈴木悠インタビュー

彫刻科の小川原です。今回は芸大彫刻科の大学院を卒業し、日本を代表する企業、ミキモトにデザイナーとして入社した鈴木さんに、それまでの経緯と、実際に仕事の現場ではどういったことを心がけて取り組んでいるのかインタビューを行いました。学生時代の作品も興味深いものばかりです。非常にためになる話の内容だと思うので、是非御覧ください。

Q.美術の分野でも沢山選択肢がある中で彫刻を学ぼうと思った理由は何ですか?

彫刻は物の存在自体を作り出すものだと考え、様々な表現方法の中で一番広がりのある表現だと考えたからです。

Q.予備校時代の話を聞かせて下さい。どのような日々の過ごし方をし、どのような努力をしましたか?また楽し かった事、辛かった事はどんなことがありましたか?

平日は昼間部での制作の後にアトリエで自主制作を行い、休日には美術館、ギャラリーをまわるのが基本パター ンでした。私は予備校へ通うために上京しましたが、幸いにも親からの仕送りがあったのでアルバイトはせず受 験勉強に集中できました。 高校時代には美大を目指す仲間はいなかったので、予備校の仲間と彫刻について話し合いながら制作に取り組み、 切磋琢磨できたことはとても楽しかったです。辛いと思ったことはありませんでしたが、デッサンが思い通りに 上達せず悶々とした時もありました。その時には予備校での勉強を離れて、自分が美しいと思う形を習作として 粘土や木で作りました。それが良い気分転換になり、その後のデッサンでは美しさを感じたままに描けば良いと 思えるようになり、デッサンで表現するべきものが明確になりました。

Q.芸大を目指すに当たって何か特別な思いはありましたか?

浪人は一年だけと決めていたので、芸大だけが選択肢ではありませんでしたが、勉強するなら一流の場所で学び たい、という思いは強く持っていました。

Q.大学ではどのような生活をしていましたか?アルバイトなどはしていたでしょうか。また、心がけていたこと などありましたか?

制作中心の生活をしていましたが、旅行やアルバイトも色々と経験しました。旅行という非日常の中で色々な物 を見て考えることは、自分の視野を広げてくれます。場所はどこでもよいので時間が許せば旅行に行くことをお 勧めします。アルバイトは公募展の手伝いや造形屋での仕事など、芸大生らしいものが多かったです。

Q.大学での作品に対する悩みや、それを解決するに至った経緯を教えて下さい。 また、大学での自分の作品感について教えて下さい。

学部生の時には「形として捉えられないものに形を与える」ということをテーマに制作をしていました。古典的 な彫刻の構成要素である量感や構造感では捉えられない、空気や水の流れ、空間に漂う雰囲気のような物を彫刻 として捉えようとしていました。自分と社会との関わりなどは特に意識せず、単純に造形表現の可能性を探求し ていました。大学院では彫刻の強さ重さを否定して、不確かで儚い存在に美しさを求める中で、命の儚さとそれ を超える存在に興味を持つようになっていきました。物質的に儚い造形の中に宗教的な装飾性を取り入れるよう になり、作品はますます彫刻的表現からは遠ざかっていきました。彫刻とは異なる別の表現方法が作品の受け皿 として必要であると考えるようになってからは、博物館へ頻繁に足を運ぶようになりました。その中でも特に古 代の装身具に心を奪われるようになりました。緻密な世界の中に、美への欲求、永遠への憧れ、自己顕示欲、呪 術性、他者への愛など、愚かしくも愛おしい人間の全てが詰まっていて、繊細に作られていながら、金属、石な どを用いることで、長い時を経ても輝きを失わない存在に自分の求める美を発見したと思いました。このことが、 私がジュエリーに興味を持ったきっかけでした。
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2005-Ambience
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2006-Euphoria

Q. 卒業後、大学院に進まれました。大学院に進学して良かったと思う事はどんなことがありましたか?また、芸 大で学んで良かったと思うことも聞かせて下さい。

学部の間は素材の扱いを学ぶことに精一杯でしたが、大学院では素材の研究を進めながらも、作品のテーマや自 分と芸術との関係性について考えを深めることができました。 芸大の良い点は放任主義だと思います。専攻によって多少差があるかもしれませんが、極端に言えば何もしなく ても卒業できると思います。逆に言えば求めなければ何も与えられない環境です。但し、求めるならば多くを得 ることができます。その中で学生は自分のするべきことを考え、体を動かし、道を切り開いていきます。

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2007-Garden
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2007-Stairway to Heaven

Q.卒業後、就職するか、作家活動をしていくか悩みましたか?就職はどの時点で意識し始めたでしょうか。また ジュエリーデザイナーという仕事を選んだきっかけはどのようなものでしたか?

大学院在席時から高校の非常勤講師をしており、修了後も教職をしながら制作活動をするつもりでした。教員と して生徒の成長を手助けすることはとてもやりがいのある仕事でしたが、二足の草鞋では人生における教職の比 重が段々と増えていき、作品の緊張感が失われていくと思うようになり、講師を始めて2 年経った時に教職をや めてジュエリーの世界を目指そうと決意しました。 ジュエリーを選んだ理由は、人間が作り出した物の中で最も人間らしい物がジュエリーであり、人間の歴史の中 で普遍的な存在で自分の思う美しさを表現したいと思ったからです。それまでに独学で簡単な彫金技法は身に着 けていましたが、専門的な知識や経験はなく、職を探す上ではとにかくジュエリーの仕事ができればと考えて職 人の採用にも応募していました。職人として声をかけてもらった会社もありましたが、運よくデザイナーとして 働けるチャンスを得てデザイナーを選びました。結果としてミキモトのデザイナーになれたことは本当に幸運で した。私は文化としての興味からジュエリーの世界に入りましたが、実際の商品のなかで文化を語れるブランド は稀有な存在です。それはミキモトがジュエリー史の中で明確な地位をもっているからであり、このようなブラ ンドは世界でも一握りしかありません。今はミキモトのデザイナーであることを誇りに思っています。 9. ジュエリーデザイナーという仕事内容は具体的にどのようなものなのでしょうか?デザイナーと聞くと彫刻 との関わりが直接的でないように感じますが、鈴木さんはどのようなことを期待されての採用だったと思い ますか? 基本的な流れとして、まずは企画の内容をもとに真珠や貴石など実際の素材を見ながらラフデザインを描きます。 企画の場合は複数のデザイナーでラフデザインを描き、コンペ形式で商品化するデザインを決定します。注文デ ザインの場合はお客様と直接話しながらデザインを描くこともあります。デザインが決定したら、ラフデザイン を基に細部を描き込みながら清書します。清書が完成したら職人と打ち合わせを行い、細かな仕様や技術的課題 を検討します。製作の途中で試作品をチェックし、デザイン画とのイメージのずれを修正しながら、商品の完成 へと導きます。 採用については即戦力としてではなく、まずはブランドのスタイルを身につけてから、自分の感覚を加えてデザ インを発展させていくことが期待されての採用だったと思います。大学の学部で見れば専門外と思われたかもし れませんが、美しい物を創りたいという意欲と、率直な姿勢、造形力が評価されたと思います。ミキモトでは多 くのベテランデザイナーを抱えているため、新人をじっくりと育成することができます。表面的な知識や技術よ りも、物づくりに対する本質的な姿勢、資質を評価していると思います。但しこれは他社でも同じではないと思 います。ミキモトには確固としたスタイルとノウハウがあるからこそこのような採用ができるのであり、私のような人材がジュエリー業界のどこでも通用したとは思えません。
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2008-Stairway to Heaven-ring
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2008-Whiteblur-Collar
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2009-Vanity

Q.?彫刻を通して学んだことが、今の仕事にどういった形で生かされていますか?

優れた彫刻作品をデッサン、模刻することで身につけた空間、量感のバランス感覚は、ジュエリーのプロポーシ ョン、ヴォリュームを決定する際の重要な判断材料になっています。 デザイナーは職人と打ち合わせをする際に、デザインをワックスなどで立体化したモデルを作ってプレゼンテー ションすることがあります。デザイン画の中だけでは説明できない複雑なデザインや微妙なニュアンスも、モデ ルを作成することで効果的に伝えることができるからです。私は造形力を活かして精度の高いモデルを作成する ことで、細部まで具体的にプレゼンテーションできるようにしています。

Q.仕事の魅力ややりがい、難しさなどについて聞かせて下さい。また、この仕事にはどのようなスキルが求 められますか?

ブランドのデザイナーとして働く一番の魅力は、自分のデザインが最高の素材と技術によって具現化されること です。但し自分の名前が外部に知られることはありません。ジュエリーの世界でも個人作家として活動する方法 がありますが、作れるものには制限があります。ハイジュエリーと呼ばれる稀少で高価な素材、高度に専門的な 技術を用いたジュエリーを作るためには、素材の調達力、優れた職人、商品の魅力を伝えるスタッフ、なにより もそれを購入してくださるお客様が必要です。ハイジュエリーを個人の規模で作るのは非常に難しく、数あるブ ランドのなかでもコンスタントにハイジュエリーを作れるブランドは限られています。私は美しさのために最良 の選択ができるのであればデザイナーとしての自分の名前が知られなくてもよいと思っていますし、分業により 高い品質が実現できるのであれば、チームの一員として働くことに抵抗はありません。 難しい点は、自分の考えとブランドの方向性、お客様のご要望を摺り合わせながらデザインしなければならな い点です。但しこれはやりがいにもなっています。求められることに応えながら、その先の提案ができるように 試行錯誤することは、デザインでも作品制作でも同じことだと思います。 必要なスキルで最も重要なのは基本的なデッサン力です。特別に上手い必要はありませんが、観察力とコミュ ニケーション力としてデッサン力は必要になります。スキルではありませんが、必要な要素としてコミュニケー ション力、忍耐力、集中力が必要です。ミキモトのデザイナーは美大出身者が多いですが、専攻は様々です。デ ザイナーはブランドのスタイルをベースにしながらも、それぞれの個性を生かしてデザインをしています。職人 の場合は専門学校、美大、工業大など出身は様々です。物づくりの基本的な知識はあったほうがよいですが、ジ ュエリーの専門的な知識は現場で学ぶ部分が多いため、目の前のことを吸収できる素直な姿勢が必要だと思います。
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仕事の現場では繊細な作業が求められる。
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デッサンから自らワックス原型として制作したものを元に再度デッサンを行い、イメージを深めていく。
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自分がデザインした作品がブランドを代表して販売される。一瞬足りとも気を抜けない。

Q.最後に、これから彫刻を学ぼうと思っている学生にアドバイスをお願いします。

彫刻に限らず、良い物、本物をなるべく多く見るようにしてください。特に時代を超えて評価されている物に目 を向けてみてください。文明は蓄積で成り立っています、自分では意識しなくても自分と過去は繋がっているの です。過去を振り返りながら、かすかに見える未来に目をこらし、過去と未来の間に自分の立ち位置を見つける ことが自分のするべきことを見つけるために最も重要だと思います。

1982年 栃木県に生まれる

2001年 栃木県立鹿沼高等学校 卒業

2002年 東京藝術大学美術学部彫刻科 入学
2006年 同学部 卒業
2006年 東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻 入学
2008年 同大学院 修了

2009年 株式会社ミキモト 入社

 

 

[受賞]

2006 「第54回東京芸術大学卒業・修了制作展」 東京都美術館(東京)

サロン・ド・プランタン賞 受賞

平山 郁夫賞 受賞

2007 「第一回藝大アートプラザ大賞展」 藝大アートプラザ(東京)

藝大Bion賞 受賞

彫刻科 新学期スタート!

いよいよ2016年度、新学期がスタートしました!!

与えられた1年は、長いようで短いです。ですが長きに渡って消えることがない、見る目が鍛えられる、とても大切な1年です。
自ら挑戦し、自ら判断できる事を目標に、1年後の自分をしっかりイメージしながら日々、体力と頭脳を鍛えて、また作ることを楽しんでいって下さい!
色々なことが見えてくると、新たな悩みも増えてはきますが、とことん自分に向き合い体を動かして、この場所にいることに自信を持って、1年を挑んで下さい!
一緒に頑張りましょう!!

さて、ここからは、春期講習の内容を少しご紹介します。
どんどん吸収したい!と意気込みが高く、昨年度の結果を受け止めた生徒、また新しく受験科へ来た生徒が切磋琢磨した、熱気のある春期講習でした!

N君の円盤首像模刻とクロッキーです
もう体を動かさずにはいられないこのパワーと集中力は、1年後にはどの位の成長を遂げるのだろうかと、その計り知れない体力と信念を感じずにいられない作品になりました
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こちらは春期講習の様子です。闘志をみなぎらせる浪人生とセンスと嗅覚で追い上げる現役生!

主任がデモンストレーションをしながら、デッサン・塑像について、理解力を高めるために、分かり易く実技の進め方や、物の見方を解説します。
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こちらは大型模刻、円盤トルソの模刻に挑戦です!!
自分に厳しく、徹底的に観察し形を直していく積極的な姿勢で、レベルの高い作品になりそうです。
この時期に、普段中々できない大きな作品作りに、じっくり専念出来ることは、とても良い経験になると思います。たくさんの発見が、後の実技にも必ず活かされていくことは間違いないです!
完成作品の紹介はまた後日に!
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最後に、芸大合格者3人目のOくんの再現作品です。
ジョルジョのデッサン、群を抜いていますね
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各大学へ進学した皆さん、会える機会は少なくなりますが、応援しています!
いつか、作品について話ができる機会を楽しみにしています!!

追伸ー新美生の皆さんへ
制作だけでなく、いろんな画集を見てみたり、講師のメンバーと彫刻についてを話し合ってみたり、どんな展示にも知りうる限り、積極的に足を運んでみて下さい!!
アトリエから距離を取ってみて、また自分のやるべき事を再確認してみる時間もあると、さらに充実した1年になるかと思います。

次回のブログアップは、23日、稲田先生の担当です。お楽しみに!

小川原、氷室、稲田、(作家+講師についての対談)

IMG_7615(左:小川原、中央:氷室、右:稲田)

小川原:新美の彫刻科社会人講師を勤めている僕と氷室先生、稲田先生は皆作家としての活動を続けながら、講師として美術について指導をする仕事をしているという共通点を持っています。今回はどんなエピソードがあって今に至るのか対談形式でまとめてみました。大学を卒業するまでは自分の居場所だったり、やるべきことがはっきりしています。しかし卒業後は自分で生き方を選択しなければいけません。作家として生きていくのか、それとも彫刻を活かした職業に就くのか、あるいは全く別の事を始めるのか。本当に人それぞれだと思います。僕達三人は彫刻という世界に魅力を感じ、それを卒業後も続けたいという思いでこれまで制作と仕事を両立させてきました。これから大学で彫刻を学ぼうと思っている方に読んで参考にしてもらえたらと思います。

小川原:それじゃあ彫刻科で受験することにしたいきさつについてから話を始めましょうか。氷室さんはどうでしたか?
氷室:私は高校で美術科に通っていて全部の専攻を体験した中で360度モノを触れる塑像の授業が一番面白かったからですね。
稲田:僕も氷室さんと同じく美術科のある高校に通っていて、選んだのが第一専攻が油絵で、第二専攻が彫刻でした。この時点では絵画に対する興味が一番でしたが、次第に二次元の表現に満足できなくなって、彫刻はよりダイレクトに形を作り上げていけるのに魅力を感じました。
小川原:実は僕も美術科の高校出身で(笑)最初は漠然と立体制作が好きだったので、はじめはプロダクトデザインでもやろうかなと思ってたのですが、実はそこに信念は全くなくて、将来就職に困らなそう(打算)、程度の考えでした(笑)その後彫刻の先生と話をしたときに、柳原義達の作品集を見せてもらいながら、形と空間の話を聞かされて。シロウトにはいきなりレベル高い話だったんだけど、先生の解説が手伝って、柳原義達の作品が物凄く魅力的に見えました。後日実際に彫刻を体験してこれしかない!とビビッときて、専攻決めの時には迷わず彫刻でしたね(笑)ちなみに僕らは偶然にも全員美術科出身だったけど、意外と美術科に通っていても芸大を目指す人は多くはなかったです。早くから専門的に美術に取り組んでいる分圧倒的に有利なはずなのですが、逆に受験の知識がある分、自分には無理かなって思ってしまう人が多いんだと思います。それは本当に勿体ないことだなと思いますね。

小川原:次は予備校ではどういう努力をしたか、合格までのいきさつについてについての話をしましょう。
氷室:私は正確に言うと三浪しているのですが、一浪目は彫刻科が三人しか生徒がいない予備校に通っていました。そこでは、模刻の芯棒を自分で考えたり、立体になる見方についてとにかく怒られつつ基礎を学ばせてもらいました。二浪目は思いきって、大手予備校に飛び込んでみました。手応えはありましたが、塑像への対応力に欠けそのまま私大へ行きました。ですが、なんとなく悔しさみたいなモノが消化しきれず、もう一回芸大受験に挑戦してみようと思い、仮面浪人と言う形でもなく、ほぼいきなり受験に挑戦。結果芸大に合格し、学費も安いので芸大へ行くことにしました。予備校時代に努力していたことは、とにかく負けず嫌いだったので、誰よりも早く行って席を取る、絶対に休まない”と言うことでした。
氷室:稲田君も私大から芸大を再受験をしましたよね?

稲田:そうですね。現役は東京芸術大学だけを受験し、一次試験で落ちました。一年浪人して東京芸術大学、私大を受験しました。東京芸術大学はまたも一次試験で落ちてしまい、その時合格した私大に進学しました。同年に再受験して東京芸術大学に合格しました。大学に一度入った事で視野が広がり、石膏デッサンや塑造にもリラックスして望む事が出来た点が個人的に合格した理由だと思います。予備校では毎回、自分が出来る事(形を狂わせない)は絶対に外さない。授業外の朝、夜も自分の欠点を重点的に補う課題を制作するということを心がけていました。
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予備校時代のデッサン/稲田

小川原:なるほど。それでは稲田君が芸大を再受験するに至った背景にはどんな思いがありましたか?
稲田:僕はとにかく人体彫刻についての勉強がしたかったので、芸大という環境が自分の目指しているものに最も近いのかなと思い再受験を決意しました。

小川原:確かに。試験内容からも分かる通り芸大は具象的なものをしっかりつくる。ということにも重きをおいていますからね。具象彫刻を作りたい!とか、その技術を活かした職業につきたい人にとってはいい大学ですよね!僕の予備校時代はというと、高校3年から通い始めました。現役の時から芸大に受かることを意識して毎日頑張っていましたね。芸大では二次試験で落ちてしまい一浪しますが、この一年によって実力をグンと上げることができました。大学で学べることの総量は合格時のレベルでかなり差がでてくるので、高い意識と実力が身に付けられたことは本当によかったです。受験期のモットーは、「日々自分の最高レベルを少しでも越えていくこと」でした。そのためにはどうしたらよいか、寝ても覚めてもそれしか考えていなかったです。受験についても気負いはなく。試験当日、たまたま会場が芸大で、たまたまジョルジョだったというくらいに。描くのもつくるのも楽しすぎて、没頭してました(笑)
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予備校時代のデッサン/小川原

氷室:予備校一緒だったけど、たしかに楽しそうだったよね!そう言えるだけの実力も高かったし!
小川原:ありがとう(笑)逆に僕の現役の時の氷室さんのイメージは、とにかく凄い上手い先輩でしたね。いつか負けないデッサンを描いてやるぞって思ってました。当時はバイトにも精を出していました。朝は誰より早く予備校に行って席取り。夜は終電までバイト。その繰り返し。1年で相当貯金を溜めて、芸大に受かる予定で受験前にバイト代を全額頭金にして自宅にアトリエを建ててしまいました(笑)体力には自信があったので苦では無かったですね。非常に充実していました!

小川原:それでは大学生活について、どんな大学生活を過ごしたか、大学で得られたことはどんなことがあったかについて話していきましょう。

氷室:大学生活は、それまで、今のみんなの様に展示を見に行ったり、勉強をあまりしてこなかなったので、とにかく作業も遅いし、体力もないし、かっこいい作品も作れないし、ずっとモヤモヤしていて、触ったことのある塑像でしか、何かをつくると言う事ができなかった様に思います。なので、ずっと人体を作っていました。やっと、自分と自分の作品について考え始められたのは、大学院に行ってから。そこからは、じっくり自分に向き合う時間になりました。学部では、実技の上達を目指し、一旦つくる事に納得するまで塑像をやりました。大学院からはまた違った彫刻観に興味を持ち始め、いろいろな素材、ワックスや飴、などを研究しました。それが、今につながっています。良く見ても、分からないけど何だか存在感のある作品、時代への抵抗だったり、もの派の時代への魅力みたいなモノが、常に頭にありました。あとは、あんみつ屋さんでのバイト生活で、バイト仲間との遊びも楽しみました。稲田くんはどうだったかな?

12004大学 人体
芸大での制作 人体/氷室

稲田:僕はせっかく再受験して芸大に入ったのに、変な安心感からか、一年生はダラダラ過ごしてしまいました。二年生から上野に制作場所が変わり、課題を終わらせないといけないということで、朝早くアトリエに入ったつもりがすでに先輩たちが制作を始めていて、それを見て、やっぱり凄い作品を作るためには決められた時間の中でつくっているようでは何も出来ないんだなということが分かりました。それもあって二年生の前期から彫刻に対して真面目に向き合うようになりました。どうやったらいい人体がつくれるのか模索し始めたのもこの頃でした。学部三年の途中までは塑造で作品を制作していましたが、後半に入って、自分の作品の方向性について教授からアドバイスをもらい、実習以来、自身の作品としては初めて木彫で作品を作り始めました。四年の卒業制作では木彫での制作に加えて石彫にも挑戦しました。
1学生時代 ひとりとふたり 木
芸大での制作 「ひとりとふたり」  木  稲田

学生時代 きえさるひと 石

芸大での制作 「きえさるひと」  石  稲田

稲田:そうですね、とにかくなにもかも経験不足を感じました。じっくり制作に打ち込む時間がほしいと思い、大学院に進学することを決めました。大学院では今後も続けていける!という自信の持てる作品ができなかったらスパッと辞めるくらいの気持ちで制作に打ち込んでいました。この中で出来た石彫の作品が自信につながり、彫刻の道でやっていこうという気持ちが固まりました。

氷室:その後博士課程に進むに至った心境はどんな感じだったのかな?
稲田:博士課程に進学していた先輩で尊敬する方がいたことも大きな動機の一つでした。そして何より作品をより探求したかったということが一番大きかったですね。

小川原:僕はとにかく時間を惜しんで誰より作品を沢山つくってました。いろんな表現を試して、可能性を模索していました。しかし実際は悩み抜いた4年間でした。技術的に上手いことと、表現として魅力的な事には少し違いがあって、学部を卒業するまで自分の中にあるはずの世界観が見出だせませんでした。それが、卒業制作展から大学院生としての生活が始まるまでの休みの期間にそれまでバラバラだった考えが全て繋がって修了作品として結実しました。卒業制作で区切りがついた事で、考えもスッとまとまった、そんな感じでしょうか。それが今の自分の制作する作品の原点となっています。彫刻って技術を修得するのにもものすごく時間がかかるけど、その分自分の作家性を見極めて行くことにも充分な時間が必要なんだなと大学を出て実感しました。入学時点では全くのシロウトであることを考えると、たった四年で技術も作家性もまとめきるのには無理があるのかなって思います。本当にじっくり向き合っていかないと見えてこない分野なんだと思います。
2008大学院修了制作 今日も空は高く テラコッタ
芸大での制作「今日も空は高く」  テラコッタ  小川原

12007大学「銃弾Candy」飴、花の種
芸大での制作「銃弾Candy」 飴、花の種   氷室

小川原:卒業後に今のスタイル(教員+作家)をとるに至った理由や経緯はどんなものでしたか?

氷室:卒業するにあたり様々就活をしていたのですが、まだまだ彫刻については研究途中で、これから何か見えてきそう!と言う所だったので、やっぱり制作を続けていきたいと考えていました。ちょうど卒業前に予備校の主任から講師にと声をかけられ、悩みましたが、講師の道を選びました。当時、講師として呼んでくださった方に、どんどんここの環境を利用して、制作をしたり海外へ行くなら行きなさい!と言われたのを記憶しています。講師として仕事をするのと同時に作家であれ!と背中を常に押してくれていました。

12015「流灯」鉄板、砂、鑞
2015 ?「流灯」 ?鉄板、砂、鑞 ? ?     氷室
12015「しつ度」鉄板、砂、砂糖
2015「しつ度」鉄板、砂、砂糖   氷室
小川原:その後高校の講師も始めましたけど、そちらに関してはどうですか?
氷室:作家が美術の授業に携わることに意味があると感じていて、そういった面でも自分の持っているスキルが生かせるし、自分の時間もとれるので想像以上に自分に合っているなと感じているので、続けていきたいなと思います。
小川原:確かに、高校の授業であっても教えてくれる先生が作家だったら教わる側もうれしいかも!
氷室:稲田君はどうですか?
稲田:僕も氷室先生と同意見で、実際に作品制作し、表現と向き合っている作家が、作家としての言葉で生徒に伝えていくことが大事なんじゃないかなと思っています。実際に「作品をつくる」ということを身を持って分かっている先生なら、より多くのことを生徒に伝えられるのかなと思います。そして何より自分の制作の為の時間がとれるということがこの仕事を選んだ最も重要なポイントです。実際に色々な方面で就職をした先輩方にも相談をして、収入面と制作時間のバランスを考えてこの仕事を選びました。
小川原:僕は今は三ヶ所の学校で講師として指導していますが、そのどれもが人づてで頂いた仕事で、本当に周囲の人に恵まれたなと思っています。僕はもともと教員になるつもりはなかったのでその為の努力はしてきませんでしたが、それまでまじめに制作に努力してきた事が信頼を得るに至ったのだと思います。自分が責任ある仕事を誰かに頼むとしたら果たして自分に頼むであろうか。ここが重要なポイントだと思います。
氷室、稲田:私たちも同じです。自分で講師の仕事を探して、実際に面接をした時にこれまで自分が積み重ねてきた成果をみてもらうことがもっとも重要なポイントですよね。また、先輩からの紹介の話も多くありますが、それまでの制作に打ち込む姿勢や人間性を見られることは間違いないですね。
小川原:何事もまじめに頑張るという姿勢は誰かが見ているものですよね!

小川原:それでは講師としての仕事を実際にやってみて感じた面白さ、難しさについて話していきましょう。
氷室:若いエネルギーをもらえるし、みんなの目標に向かう純粋さが私は大好きです。
稲田:そうですね。生徒の成長する姿を間近で見る事はとても刺激になります。
小川原:作品どうこうというより、とにかく沢山の生徒(個性)を相手にすることそのものが面白いですよね。同時にこれだけの人数を相手にする仕事は他にないのではないんじゃないでしょうか。うるさくてイライラしたり、テキトーな作品を出してきてがっかりしたり、逆にいい作品が出てきてたまにうれしかったり。どっちかというと大変な事の方が多いですが(笑)それらもひっくるめて「人間」というものが見えてきてそういう意味で自分自身も成長出来ているように思います。直接的ではないかもしれませんが、確実に自分の生き方、考え方はいい方向に変わっていっているように感じます。
稲田:逆に難しい部分としては、僕は、生徒の成長を邪魔しないように、言葉では伝えられない彫刻に対する姿勢をどのように伝えられるかということについて毎回考えさせられます。
氷室:私も似たような感覚かな。言葉に頼りたくなるが、言葉だけではない部分もあり、伝えたい事を的確にする事が難しいと思います。そして指導する自分は、一体どうなのかを常に問われる部分があるので気持ちが引き締まります。
小川原:僕は指導面において、美術重視の学校でない限り、普通中学、高校などでは、基本的に美術が好きではない生徒に美術を教える事になるので、教える側のテンションと教わる側のテンションに差がありすぎるという事に最初は苦労しました。自分はとにかく皆に美術のおもしろさ、素晴らしさを知って欲しい!と着任当初は奮闘していたのですが、経験を重ねるうちに生徒それぞれの学習目標に差がある事が分かってきて、今は生徒それぞれに合わせて教え方を変えられるような余裕が出てきたように思います。ポジティブな意味で全員が素晴らしい作品を目指す必要はないという事に気づいたのが大きいです。自分だって思い返せば美術は頑張っていたけれど、数学はどうしても好きになれなかったし、好き嫌いはあって当然なんだよね。それを無理矢理上を目指させるんじゃなくて、その授業でちょっとでも進歩したらいいじゃない。というおおらかな考え方です(笑)
小川原:講師として求められるもの、必要な能力、経験についてはどんなことがあるでしょうか?
氷室:私はデッサン力と人間力だと思います。
小川原:確かに、たとえ美術専門のクラスでなくても、正確なデッサンに基づいた指導は必要かもしれないですね。実際参考にサラッと描いて見せたりすると皆良い反応をするし。そのためには即興で何でも描けるくらいの画力はあったほうがいいのかも。人間力については具体的にどんなことですか?
氷室:社会人としての常識が求められるので、最低限当たり前のことが当たり前にできないといけないです。生徒は常に先生として見ていますから。そこに生徒に対するおもいやりの気持ちがあるといいですね。
小川原:僕も同じ意見です。講師は即戦力!授業初日も誰も助けてはくれないです。生徒からしたら先生は先生なので当たり前の授業を当たり前のように待っているので、課題の導入から完結までの流れを把握して、一人一人の理解度や進行、意欲のばらつきに常に臨機応変に対応していけないといけません。その授業の責任は全て講師にあって。その為には授業前後の準備、整理を始め、時間外の作業も進んでやれる人でないと勤まらないでしょう。あと美術全般について指導出来る事。これは必須条件です。絵画、工芸、彫刻、デザイン、美術史。カリキュラムにもよるけど、基本的な事で良いので何でもこなせる人材でないと務まりません。苦手な事はやはり授業前に予習しておく必要がありますよね。
稲田:とにかく常識的に知っておくべきことは広く浅くでも知ってないと何も出来ないですよね。僕は自分自身がブレない価値観を持っている事が大切だと思っています。生徒には答えの一つではない分野で、何でもアリ、というわけではなく、それぞれに良し悪しを判断するだけの美的感覚を養ってほしいと思います。

小川原:作家との両立についてはどうでしょうか。作家としての生き方を残した理由についても何かあれば。
12011  innocence
2011「 innocence」樟   小川原
氷室:制作と仕事の両立は大変ですが、みんなが分かっていて助けてくれたり、指導するからには作品ありきだったりと、制作するには背中を押してもらえる環境だと感じます。作家として生きる道は、大変だけど、やっぱり勉強にもなるし、どうやって生きて行こうかと、どうやって社会と関わるとかを考える時間を与えてもらえるので、人間を使っている感覚があります。
稲田:僕は自分が彫刻家になりたい、なれると思うきっかけになった彫刻家ミリアム・アイケンスの作品の領域まで自分自身も到達したいということが作家としての生き方を残した理由ですね。小川原さんは特に沢山仕事を抱えていますが実際制作とのバランスはどうですか?
小川原:僕は最近仕事量が増えてきて制作の時間が大分減ってしまっていることが少し悩みです。本当は時間が許すだけ制作に集中したいくらいなのでかなりツライ部分はあるけれど、それでも多くの作家さんと比べてもまだやれている方なんじゃないかなと。体を休める時間は全く取っていないけど、僕はそのくらいでちょうどいいのでそれはそんなに苦になってはいないです。精神力が空になるまでは体を動かし続けられる体質なので(笑)講師をしながら作家を続ける人は非常に多いけど、講師の仕事は受け持つ学校の数によって仕事量を調節出来るので、どのくらい稼ぎたいのかと、どのくらい時間を残したいのかを将来のビジョンをしっかり持って決めていく事が大切ですね。                                          小川原:それぞれの作家としての展開の仕方の違いについてはどうでしょうか?

小川原:僕は作品を売るため、発表する為につくってなくて、僕は僕の為に作品をつくっています。そのかわり見られること、評価される事を気にせずやりたい事を好きなようにやって行くことが僕のポリシーであると言えます。僕がなんで作品をつくっているかというと、高校の時に初めて彫刻を体験したときの感覚と全然変わってないんですよね。自分がこれから踏み込もうとしている世界がとてつもなく広く感じていて、その一歩で自分の成長が実感出来る、より高みに昇っていける。そんな感覚が今でも続いています。そうして出来た作品を手放すとかは考えられなくて、むしろ稼ぐ事に関しては仕事をする方が早くて効率がいいと思っいます。自分にとっては制作とお金の関係を切った方がいいと思った訳ですね。
12012  眠りに落ちるものの瞳
2012「 眠りに落ちるものの瞳」樟  小川原
12013  夜明けの呼び声
2013「 夜明けの呼び声」樟   小川原
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2014 「運命が見た未来」樟  小川原
氷室:私は、具体的に形を彫ったりモデリングして作ることからやや離れ、思考していることを表現として空間に提示するという制作が合っている様に感じます。 若林奮やヴォイスにどうしても惹かれるところがあり、はっきりと目に見えない空気や人と人の間、人と自然の間にある現象みたいな物を形にして、自分が何者であるかを探っていく事が好きなんだと思います。よく分からないけど何だか洗練されていて、見て考えて、そこに佇める作品がつくれたらいいなと感じます。
稲田:僕はまだ作家としてスタートを切っていないので何とも言えません。来年の個展からが作家としての始まりだと思います。

小川原:僕らはこれからも作家として活動を続けていくけど、その展望について話しましょう。
小川原:僕は大きな作品しか制作していません。きっとこれからもそうだと思います。今は1年に1体のペースになってしまっているけれど、毎年卒業制作を続けているようなそんな感覚です(笑)大学時代は塑造でしか作品をつくってこなかったけれど、卒業後いきなり木彫を始めたり。とにかく色んな素材や技法を実際に試してみることも僕の制作の特徴です。作家としての側面と、研究家としての側面もあるかなと思います。それと、僕はいつか自分が最高と思える作品をつくってやろうと思っていたことがあったけど、最近実はそんなものはあり得ないと思うようになってきて、自分が精神的に成長し続ける以上、作品も必ず成長するはずじゃないかなって思うようになりました。もしそこに限界を感じてどこかで見た事あるような作品しかつくれなくなったらそのときは彫刻をやめるときだと思っています。惰性で続けられるほど彫刻は単純ではないし、それほど無意味な物も無いのです。常に自分の常識を超えた作品を目指していく。これが僕の目標です。そのときの自分の実力ではつくれないかな?という作品をつくり始めて、つくっているうちに実力を上げて結果作り上げる。最初のイメージ以上の物を。このサイクルによって僕は成長していけるんだなと実感を持っています。氷室さんはどうですか?

氷室:私は誰にも環境にも彫刻は左右されない。そこに魅力がある。社会に対して自分を考えた時に、モノを作ることが一つの表現であり関わり方でいいんだと認識しています。美術とは一体何なのか?自分とは一体何なのか?本質を探る作業を彫刻を使って探って行きたいです。
稲田:僕は自分の作品をお金にかえて制作を続けることです。自分にとっては100%自分のためだけに作り続けたのが大学時代で、在学中は小川原さんと同じ考えでした。それが変わったのは、彫刻そのものの存在が世の中で切り離されていると感じ始め、自分の中だけで完結してしまうのが果たして自分にとって本当にいいのか疑問に思ったことがあったんです。好きな形を好きなようにつくることもいいなとは心の何処かで思いながらも、本当に緊張感を持って作品に向き合える制作の取り組み方としては今の考え方の方がより高いモチベーションを保つことにつながっているのだと思います。
1近年 かわきの肖像 木
芸大での制作 「かわきの肖像」 木   稲田

小川原、氷室、稲田:以上で終わりです!皆作品をつくるのが本当に好きでこの道を選んだということがはっきり見えてきましたね。彫刻そのものをお金に変えて生活の全てを賄っていくのは大変なことですが、それを自分

のスキルを活かした仕事で補っていくことを僕達は実践しています。美大で彫刻を目指す人はもれなく何かをつくって形にすることが本当に好きであるということが原点にあると思います。大学を卒業する時に、もし少しでもつくることへの喜びの気持ちが残っていたら、どんな形であれ、美術に関わって生きていってくれたら嬉しいです。こういった一つの道があるということも知ってもらい、少しでも参考にしてもらえたら幸いです。
作家と仕事との両立に対して、大変なことだと思われがちですが、結局は好きなことをするために頑張っていることなので、結構充実しています(笑)