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《基礎科》後悔のない決断とは?

オリンピック始まりましたね。

僕が浪人中、ちょうど冬季五輪中で(4浪したのでもちろん浪人中夏季オリンピックもあった)
担任の先生に
「オリンピックはさ〜4年頑張って負けたらその次はまた4年後なわけじゃん?受験は毎年あるからめっちゃいいよね!」って言われたのをいつも思い出します。
その時は、「そ、そうですね!確かに!」って思ったんですが、落ち着いて考えると
4年に一度しか受験がなかったら逆に大変ですわ。
そして、その先生の後釜として、僕は今この予備校で教えているわけです。
人生って不思議。

オリンピックと違って1位以外も大学に入れるわけなので、
そういう意味では受験の方が間口は広いかもしれません。

普段スポーツを見ることはあまり無いのですが、
オリンピックとなると、急に見てしまいます。
地上波で見れない種目もネットでみれたりするので、
気づくと、ほんとにモニターをつけっぱなしだったり。
ほんとこういうことに関しては、いい時代になりました。

正直、オリンピックの行きすぎた商業主義や、
世界で争いの続くこの状況の中行われることについて
私自身も疑問や思うところもあり。
一方で日々スポーツを通して己を磨き続けた人々の、いわば天下一武道会。
ピュアに技と技のぶつかり合いは見ていて心が動かされ、自分も頑張ろうと思えたりします。
しっかりみんなが納得のいく大会になってほしいなと思う。

今回のオリンピックでは、僕の趣味であるブレイクダンスが公式種目として選ばれています。
実は日本はブレイクダンス強豪国で、かなりレベルの高いダンサーが多い国でもあります。
試合時間は夜中ですが、ぜひ見れる人は見てみてください。めちゃくちゃかっこいいので。

あとは馬術と競歩とBMXレーシングがいつも楽しみです。。(あまり地上波でやらない)

そんなダンス競技やスポーツといえば、部活なのですが。

基礎科で面談をしていて、所属の部活を聞いている中で一番多いのは美術部、
それ以外に意外と多いのが、軽音部、ダンス部、吹奏楽部など。
けっこう美術以外の部活を楽しんでいる方も多いようです。

そうした際に、部活と予備校の両立についてみなさん必ずと言って良いほど悩まれます。
スポーツ部の週6というのであれば、ある種悩まないのですが、
微妙な重なり方であったり、あとは高3の6月まで発表会やイベントなどで
引退ができなかったり。
しかも、上記の部活の場合、一人抜けても成立しなかったりすることも多く
相談されることが多いです。

正直こればっかりは、個人の判断というか「自分が後悔しないこと」が一番かなと思います。
そして、自分で決める、ということが一番大事かなと思います。
何があっても、自分で責任を持って選択したことだからこそ、
その分頑張ったり、美術の道にすっきりとスライドできたりするのでは無いかと思います。
他人や身近な人に言われて選択をし、よくない結末だった場合、
「そうしろって言われたから…」と思ってしまうのが人間なのではないでしょうか。

責任を持った選択をする、というのがもしかすると大人へ一歩なのかもしれません。

さて、個人の意見としてはどうかというと、
意外と続けても良いのでは、という気がします。

美大受験、という視野で見た場合、「予備校に行って受験対策をしないと、」
「人がX日通ってるから、私も、、、」となるのは当然だと思うのですが、
美術や表現の世界という、大学に入った後のことを考えた場合、
人と違った経験や、高校時代というとても限られた時間の中で経験したこと
というのは、今後の生活に大きな影響を与えます。
メンバーと、部員と、もしかしたら一人で、かもしれません。
その限られた時間の中で真剣に向き合ったことをやり切るというのは、
すごく大事なことなんじゃないかな、と僕は、思います。

考えはそれぞれあるので、
本当に、自分にとって納得のできる決断ができると良いですね。

僕も高校3年間バンドに生徒会をやったりしながら
ena美(当時は新宿美術学院)に通っておりました。
ギターやベースを担いで来てる生徒を見るとついつい話しかけてしまいます。

(高校時代のライブの動画をひさしぶりに見返してしまいました)

 

ただいま、そんな中基礎科、夏期講習が始まっております。

《基礎科》今年の夏は暑いだけじゃない!

梅雨はどこに行ってしまったんでしょうか、、、。

梅雨といえば雨が連日続き、洗濯物が溜まり、謎の場所にカビが生えたり
食べ物が急速に傷んだり、毎日アンニュイで外出も億劫になる季節の代名詞。
早く夏にならないかな〜と思ったりするはずなのですが、
ほとんど今年はそれがないような気がします。
なかったらなかったで少し寂しいと思う反面、
今年の暑さはその分長いということで、
もうすでに体感40度ぐらいの日々にギブアップ寸前な上に、
これがあと数ヶ月続くと思うとゾッとします。

そんな夏バテ防止に、
昔から夏の土用の丑の日は鰻で精をつけよう!
と言われてる感じがしますが、実は土用の丑の日は1年のうちに何度もあり、
うなぎというよりは、「う」のつくもので運気を上げて無病息災を願うものだったようです。
(諸説あり)

夏がスタートする時期に精のつく鰻を食べて夏バテを防ぐ、みたいな目的
で聞いていたような気がするのですが、だいぶ違うんですね。
先日浜松に出張で行ってきて、その際にうなぎを食べようと思ったのですが、
さわやかでハンバーグを食べてきてしまいました。

さて、
猛暑の中、夏期講習ももう少しでスタートするわけなのですが、
今年の夏の一大イベントをみなさんはご存知でしょうか?

そうです、『ブルーピリオド』(実写版)の映画公開です!!

それに合わせて、
ena美術新宿では劇中で使用された絵画の展示を1階ギャラリーにて
行っております。
そうなのです、この作品に当校はがっつり噛んでいるのです。
そこの詳細に関しては、きっと他の科のブログで詳しくお話ししていただけるはずですので
私からはあまり話さないでおきます。

そんなこんなで、僕もご縁があって試写会に行かせていただきました。

今第一線で活躍する若手からベテランの俳優さんまで、
素晴らしいキャスト陣、良作の予感しかしないですねよね。
少し前ですがエルピスの眞栄田郷敦さん、めちゃくちゃ良かったですよね。。
実は僕は薬師丸ひろ子さんと江口のりこさんの演技が好きなので、
本作の掛け合いのシーンはたまらなかったです!!

そんな試写会の感想を映画の内容に関して、全く触れないようにお伝えしたいと思います。

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自分にとって何をしてる時が1番楽しいのか?
何をしている時が1番自分らしくいられるのか?
そんなすごくシンプルだけれど、そのことについて深く考えたり、
向き合ったりすることが苦手な人が多い。
ふと気づいても目を伏せたり、心の奥底にしまってしまったり。

実は、程度の差こそあれ、誰にだってきっとそれはあるはずで、
「じゃあ、それを糧に生きていくのか」と言われると、
上がっていた手がどんどん下がってしまう。
「好きとそれを仕事にするのは違うよね、」と。それで食っていけるのかと。

手を上げ続けた人たちは、
「自分の好きなことで生きていけていいよね。」
「才能があるからできたんだよ。」
そんなことを言われるかもしれない。

でも、自分はもうその気持ちに気づいてしまった。

どんな辛いことも、どんなにプライドをズタズタにされても、
感情に嘘はつけない。何度倒れてもファイテングポーズを取り続けるしかない。
誰にも好きという気持ちは汚させない。

そんな思いの人は美術以外でもたくさんあるはず。
劇中ではそれが美術だっただけで、きっとたくさんの「好き」がある。
この映画を1人でも多くの人が見て、
自分の「好き」を見つけ、耳を傾けられる人が少しでも増えたら、
きっと少しは素敵な世界になるんじゃないだろうか。

好きを糧にしていくことは簡単じゃない。苦しみもある。
それでも、きっとその時に手を差し伸べてくれる人はいて、そのおかげで今の自分がいる。
改めてそういう存在に感謝をしたくなりました。

作品自体は藝大の油画受験の話ですが、きっと美術に関わってこなかった人にも、
これから進路を決める若い人以外にも、自分を見つめ直すような
作品なんじゃないかなと思いました。

『論破』という言葉がもてはやされるご時世、
論破というのは断絶を生むと私は思っています。
まさに言葉の暴力であり、その先には荒地しかない気がします。

一方で芸術や美術、表現というのは、他者を受け入れる行為です。

同じものを見ても人によって使う色や、形が異なっても良い世界。
人の作品を見て、「なぜそうしたんだろうか?」と相手の視点になって物事を考える。
そして、「そういう考え方もあるんだなあと」自分の中にさまざまな視点を持つ。

美しいものだけが芸術ではないです。わかりにくいものだってたくさんあります。
ですが、それもひっくるめて芸術なのではないでしょうか。

こんな時代だからこそ、
こういった映画を通して、少しでも芸術に興味を持ってもらい、
『他者の意見を受け入れる』ことが
世界に広まっていけば良いなあと思います。

さあて、夏期講習に向けて精をつけるために
焼肉でも食べに行こうかな。

《基礎科》よく面談で親御さんに聞かれること。

先日、無事『現役合格座談会』終了いたしました。

事前申し込みと当日飛び入り参加で、多くの生徒さんに参加していただけました。

基礎科の時に見ていた生徒といえど、受験科に行ってしまうと(時々見にいきますが、)
どのような心情だったか、波はあったのか、などはわからないもの。
話を聞いていて、「あ〜そんなこともあったんだねえ」と、
驚くこともたくさんありました。

 

 

東京芸大を現役合格した4人、4人それぞれの努力や工夫があってとても面白かったのですが
やはり4人ともすごく自分を客観視できているなあという印象でした。

今、自分に何ができていて
何が足りなくて、
そのために何をしなければいけないのか?

ということを自分で決めて行動していたのがような気がします。

側から見れば、変わった行動だけれど
その行動に自分が納得できる意味があるし、その行動にしっかり責任を取れているというか。
(受かったから言える、というのもありますが。。)

『何をすべきかを自分で考え、自分で責任を持って動ける』

それって、大学が欲しい生徒像なんだろうなと思うわけです。
特に芸大は課題がそこまでタイトではないので、自分たちでその空いた時間を
どのように使うかが委ねられます。
大学というのは、そもそも人に言われて何かを学ぶところではないと思います。
自分から研究し追求する学生が欲しい、だからそれができる学生は
現役で受かるのかもしれません。

 

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そんな話の流れで、よく面談で聞かれる質問についてお話ししたいと思います。

「どこの科に行ったら就職ができますか?」
「XX科は就職がしづらいと聞いたので、OO 科が良いと思うのですが、、、」
「XX大学に行ったら就職はできますか??」

など、選考や大学による就職の悩みです。

この不安定で、収入も不確かな昨今、そういった声が親御さんもしくは
生徒さんの方から聞こえてくるのは当然のことかもしれません。
せっかく入った大学、しかも安くもない学費を払って卒業して
就職できなかったらどうしようって。
考えるのも当たり前かもしれません。

あくまでも、僕の意見なのですが、
正直どこの科、どこの大学だとしても就職はできると思っています。
(ちなみに私は大学卒業後、会社員を6年半、3社を渡って働いていました。)

そもそも大学は何をする場所なのか?となった場合、
私は大学は研究の場だと思っています。
自分からテーマを決め、それに対して表現や作品を通じて考えを深めていく。
その途中に何度も自己と向き合うこともあると思います。
そして、社会や他人と向き合うことは避けられません。

そうした時に、社会に出たときにどうやって生きていくのか。
どうやって自分の今やっていることで、自分の好きなことで食べていくのか。
どうやって自分の技術や知識をマネタイズしていくのか、ということを考えます。

今の画風では、埋もれてしまうから違う描き方を考えるかもしれません。
自分の方法にピッタリハマる場所があるかもしれません。
消費社会から距離を置く、という考えもあるかもしれません。
美術をやめる方法だってそこにはあるかもしれません。

僕の先輩に、デザイン科を卒業し、色々あって庭師になった先輩がいます。
「え、庭師??」と思うかもしれませんが、
『芸大デザイン科卒の庭師』と聞いたらどうでしょうか?
それだけでもオリジナリティがあるのです。
(もちろんその先輩は人格も技術も素晴らしい方なので、大学のネームバリューだけでは決してないですが。)

要は、どこどこに行ったから就職できるのではなく、
大学でどのようなことをして、いかにその目標や目的に対して主観と客観視を繰り返していたら
きっと自然に自分が進むべき方向は見えてくるのではないでしょうか。
就職面接の時もそれを聞かれます。
会社も、この人は4年間何やってるのかを見てるわけですから、、、。

そう考えると、高校3年生の受験の時から
そういった考え方や見方というというクセづけは始まってるのかもしれません。
みなさんインプットの重要性についても話してましたね。
(インプットは自分を客観視するためにもとても大事なことです。)

などなど、、、
座談会でこの前まで生徒側だった4人を見ながら思ったのでした。

高1高2でも、今やってることは、受験のためだけではなく、
その先にも間違いなく続いている。
と、私は思うのです。

《基礎科》アトリエや机の上だけでは伝わらないこと

みなさん作品見に行ってますか??

先日マティスの展示を新国立美術館に見に行って
興奮しすぎてうっかりミュージアムショップで2万円近く買い物をしそうになりました。
(流石に戻しましたけど)
その時買ったマティスのポスターを自宅の壁に貼っているのですが、
ふとした瞬間に、マティスのおおらかな曲線が目に入ってくるのは
なんだかどんなアロマよりも心が穏やかな気分になるような気がします。

最近は時間があって、いろんなものを見に行こうと心がけているのですが、
・展示
「大吉原展」
「マティス展」
「宇野亜喜良展」
・映画
「青い春」
「悪は存在しない」
「ありふれた教室」
「関心領域」
などを見に行っていました。

自分が一番展示を見に行っていたのは浪人中だったのですが、
その次に今色々見ているかもしれません。
展示とかって、なかなか
見る習慣がつかないと行かなくなっちゃうんですよね。
近々、MINGEI民藝展とシアスター・ゲイツ展を見に行きたいと思っています。
ダブル民藝展、とても楽しみです。

 

さて、その中で「関心領域」という映画について触れたいと思います。

学校の授業で必ず習う第二次世界大戦下で行われた、ナチスドイツ政権とその同盟国および協力者による、ヨーロッパのユダヤ人約600万人に対する国ぐるみの組織的な迫害および虐殺がテーマの作品です。

劇中ではその収容所の塀の横に住む幸せそのものの家族の生活を写し続け、誰もが望むような生活の隅にはそのアウシュビッツでの惨劇が見え聞こえてきます。
しかしそのことに誰も気を止めず、日常化していく。見ている側も、その連続して流れてくる音や”情報”に慣れていってしまう。戦争の1番の恐ろしいことは、この人間の持つ対応力なのではないかなと思います。時々感じる違和感を心の中で押しころし、慣れていってしまう。誰もがそのことは許されざる行為と知っているのだが、それを日常化してしまう。

殺すのではなくまるで雑草を抜くかのように日常的に効率的に処分する、という信じられないことが人間にはできてしまうし、そのことに慣れていってしまう。
まさに今世界で争いやジェノサイドが続いている中で、ふと自分を振り返り、
そのことを日常化していないかを改めて振り返りたいなと
心から考えさせられる作品でした。。

この作品はアカデミー賞で録音賞を取っています。

聞こえるか聞こえないかの音量でずっと鳴っている音であったり、
立体音響を駆使した音の空間というのがとても上手く作品を演出しています。

近年、映画は公開からすぐに配信され、「配信まで待とう」という方も多いと思うのですが、
こういった立体音響や、映画館という密室の空間を演出として積極的に用いて
映画を”観る”だけでなく”体感する”という作品がとても増えてきたような感じがします。
映画監督はそうした場合、映画館で観ることを想定して作品を作ると思うので、
「配信ではかなり作り手の意図はかなり薄まってしまうのでは無いかなあ」と最近思ったりします。

テーマはとても重く、観る人に考えさせるテーマではありますが、
映像作品として、音響やカメラアングルなどとても見応えのある作品だと思うので
ぜひ美術を志す高校生も、大人も、映画館に足を運び、観ておくべき映画だなあと思いました。

ちなみにこの監督のジョナサン・グレイザーは超有名なPVの監督でもあったりするので、
映像作品として勉強になると思います。
DIRECTORS LABEL ジョナサン・グレイザー BEST SELECTION [DVD]

さて、そんな”体感”するイベントなのですが、
基礎科も今年もそんな体感イベントがやってきます。

基礎科座談会シリーズ第5弾は
『現役合格座談会』です。

 

 

2023年度、ena美から現役で芸大合格者が出たわけなのですが、
その中の4人は、基礎科出身者でした。
そんな4人が、高校2年生の時どんなことをしていたのか、
どんなことを考えていたのか、
また、受験科に上がってからどんな工夫をしていたかなど、
芸大に現役で合格したその軌跡などを、当時の作品と合わせて
振り返る会にしたいと考えています。

面談をすると、よく
「芸大なんて現役では…」
「芸大に現役でいく人って小さい頃からやってたんですよね」
という声を聞きます。

ですが、彼らが予備校に通い始めたのは高1、2からでした。
美術高校というわけでもなかったりします。

どんな努力や、工夫が合格の裏にはあったのか、
それを参加者の皆さんと掘り下げて行ってみたいと思います。
ぜひ体感して、今後の授業に活かしてもらえればと思います。

↓下記リンクより事前申込をお願いいたします。
(申し込み多数の場合は、締め切らせていただく可能性がございます。)

『現役合格座談会』
6月16日(日曜) 10時30分〜15時00分まで

みなさんのご参加を、お待ちしております!

《基礎科》G Wがあけました!!!!!

GWが終わってしまいました。。。

自分が高校生の時、GWが終わった時どんな気持ちだったのかは流石に忘れてしまいましたが、
社会人になってから、それはそれはきつかった記憶があります。

こんなに長い休み挟んで会社行くぐらいだったら、むしろGWなんてない方が良いのに、
むしろこんなに長い休みならもっと上手く分散させてくれればいいのに(6月とか休みないし)
という気持ちは今も同じです。

特に、物価高に円安にどこに行くにしたって人人人、GW何をすればいいんだっていう。
いつからこんな世の中の状態になってしまったんでしょうかね、、、

でも、こういった長い休みこそ美術系の人にとっては制作のチャンス。
誰にも邪魔されず、自分の好きな制作を好きなだけできるタイミングです。
長いGWの間に、一つ自分が作ったことのないサイズや、大きさ、密度のものを作ってみてはいかがでしょうか???
家の中にいても美術はできます、日頃頭の中でモヤモヤしてるイメージを、このタイミングで
作品にぶつけてみましょう!!

と、できたらいいのですが。

休みだったら、休みの分だけだらけてしまうのが人間です。
僕も例年は上のようにまではいかないのですが、棚作ったり、模様替えしたり(その程度)
何かしようと重い腰をあげたりするのですが、今年は仕事のひと段落のタイミングとかぶってしまい、ほんとにだらだらしていました。すいません。

ずっと、ゲームの中で荷物を運んで道路を作るか、ネットで映画を見て過ごしていました。

そんな中でふと目にした話をしてみたいと思います。

 

 

“駄作”を見ることの必要性について

映画にしても、本にしても、作品にしても、駄作と呼ばれるものがあると思います。
それは世間的にとっての駄作なのか、自分にとっての駄作なのかはわかりません。

何かを作ったり、表現をしていくにあたって、
自分の好きなもの、口当たりの良いもの、わかりやすいものだけを摂取していくこと。
それ自体は悪いことではなく、むしろとてもしやすい行為だと思います。
どんどん取り込んでいけるでしょう。

ですが逆に、自分にとって、受け入れづらいことや、難解なもの、つまらないもの
というのは苦痛です。映画などの長いものなどは、時間の無駄に感じるかもしれません。

ものを表現するにあたって、
そこで、席を立ったり、スマホを開いたり、閉じてしまったりするのではなく、しっかり全てを見てから、一度考えてほしいなあと思います。

「なぜつまらなく感じたのだろうか?」
「どのような表現だったらもっと面白く感じたのだろうか?」
「どんなことを伝えたかったのだろうか?」
「誰に向けて作ったものなのだろうか?」
など

ただ、好き嫌いではなく、
もう一歩、踏み込んでもらえると良いかなあと思います。

ただ駄作、と切り捨てるのではなく、
そこから製作者の側に立って考えてみる。
果たして、これは無駄な行為でしょうか??

自分の中で受け入れないものを見た時に、(または世の中が無駄といったものに対して)
時間の無駄と考えることは、少し危険な行為に思えます。
時間の無駄、時短、タイパなどがもてはやされる昨今ですが、
人間が持つ24時間という時間は昔から変わりません。
むしろ、移動や作業時間というのは短縮されています。
ということは、本来であれば時間というのは空いているはずなのです。

しかし、その空いた時間というのが何かに使われてしまっていて、
なんだか忙しいような、時間を削らなくちゃいけないような気持ちになっていないでしょうか??
(このことについて気になった方は、ミヒャエル・エンデのモモを読んでみてください、まさに現代のようなことが書かれています!)

無駄と思えるようなことでも、その裏側にあることをしっかり見る、考える。
それがものづくりをする上で、とても大事なものの見方だと思います。
そして、(ある意味)駄作と呼ばれるものも見ることで、自分がものづくりをする上でなぜそれが駄作と呼ばれたのかを活かすことができると思います。
駄作を見ないと、良いものは作れない、と僕は思います。
(そうなると果たして駄作とは…?となる)

そう、無駄にも意味があるのです。

きっとこのGW中の僕のだらけた生活にも、
意味があると信じたいです。。。

では