カテゴリー別アーカイブ: 油絵科

9月のつぶやき

油絵科の箱岩です。

秋らしい奥行きのある空が見られる季節になりました。画像は、お休みごとにパトロールしている利根川で一息ついた時の景色です。

 

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昔、小学生のとき校庭で壇上で話す校長先生をすっかり無視して、頭上に広がる群青色の宇宙に、真っ逆さまに落っこちるような感覚になりながら、夢中で見上げた福島の空の色を思い出します。

智恵子抄で語られた本当の空の色。その色は県民の誇りその物だったなと、地元を離れた今になって思います。なぜか、関東で見る空の色とは違うんですよね。

あの頃の自分が想像もしなかった未来に、今、自分が立っていて、まるで浮遊するような実感のうすい感覚を味わい続けている。この感じって、あのときの妄想以上だな?なんて思う今日この頃です。日々の実感を追い求め「今を生きる」を目標に我が儘に暮らしているつもりの自分ですが、本当に人生は不思議なもんです。

 

さて、なかなか話の進まない裏美術に関するお話です。

夏期講習会の後半に募集をして、いろいろと審判団で審議をしていましたが、どうやらこんな定義が我々の思う裏美術なのかな?という物が見えてきました。

 

ここに、ちょっとばかり気合いを入れまして「裏美術についての定義」を宣言してみたいと思います。

『裏美術とは・・・』

  • なんの計算もされていない表現であること。
  • 知的に「絵にする」をしていない事。
  • 出力の温度が妙に高い事。(下手すると本人も火傷しそうな温度)
  • 自分では完全にイケテルつもりでいる事。
  • 受験に喧嘩を売るような態度である事。
  • 何か、ちょっとクスっとなる感じがある事。
  • オシャレすぎない事。
  • 万人受けするようなデザイン性は気にしていない事。
  • ただのグロテスク、エロスにとどまらない超越的表現である事。
  • 自分からB級やアングラを意識しない事。
  • 表現への拘り方が並じゃない事。偏執的。
  • 常識では計れない新しい価値観が提示されている事。
  • 「時代が違えば間違いなく巨匠」とよく言われる表現である事。
  • つい二度見してしまう様なインパクトがある事。
  • スタイルはどうあれアートの心意気だけは立派な事。

 

裏美術自体に何ら根拠が無い以上、鑑賞する側にも新しい価値に対する好奇心と寛容な感受性が求められます。もしも貴方が「裏美術」の深みにはまってしまったとしても、一切の責任は各自にゆだねられます。

さて、皆さんの創作活動の中で、上に列挙された裏美術の条件に当てはまる作品が出来た時、その作品の善し悪しを「裏美術コンクール」で試してみませんか?

詳細は、いつも通り唐突な掲示によって告知致します。

真面目な皆さんの事ですから、新美の公開コンクールも勿論全員参加するでしょうが、「裏美術コンクール」開催の際は、そちらも宜しくお願い致しますね。

ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」と「春」について②

こんにちは。油絵科の関口です。

先週に引き続き、ボッティチェルリの代表作の二点を比較し、何故これだけ違う雰囲気の作品が生まれたのか?検証してみようと思います。先週の記事を読んでいない方はこちらからどうぞ。
http://www.art-shinbi.com/blog/20140908/

ヴィーナスの誕生と春0
大らかな「ヴィーナスの誕生」(左)と、繊細な「春」(右)この二つの違いは一体何に由来しているのでしょうか?

考えられるのは「ヴィーナスの誕生」はカンバスに描かれていて、「春」は板に描かれている。という事です。え?たったそれだけで、そんなに作風に影響が現れるものなの?と思われるかもしれませんが、大いに影響があるのです。

 

実はテンペラ画でカンバスに描かれている作品というものは非常に珍しく、殆んどありません。ボッティチェルリ以外には同時代の画家、マンテーニャの作品にカンバスにテンペラで描かれたものが数点だけ存在します。(マンテーニャの作品も殆どが板に描かれていますし、同時代の他の画家達は描画材をテンペラから油絵具に移行していきました)

死せるキリスト
マンテーニャ作「死せるキリスト」(制作年は1480年、1497年など諸説あり)

死せるキリスト部分
キリストに短縮法を利用した作品として有名?ですが、技法的にはカンバスの凹凸を利用しながら「かすれ」を使って描いています。
ところで、ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」は生の麻布(カンバス)に少し厚め(若干布目が見える程度)に石膏で下地が施されています。その上に描かれた表現は、他の作品よりハッチング(線影、線の集積で調子を表す表現のこと)の跡もあまり見えません。ヴィー目アップ2
カンバスの目を利用しながら、少し大きめのタッチを使って、薄?く薄?く塗り重ねていったものと考えられます。制作時間は約2年となっていますが、構図にかなり時間を掛けて、実制作には1年に満たない期間だったと思われます。
ヴィー髪アップ
左手にいる西風の神ゼフュロスの息吹きで、ヴィーナスの髪の毛が靡く様子が大胆なタッチで描かれていますね。
ヴィーへそアップ
さて、これはどこの部分か分かりますか?・・・そう、まさかのヴィーナスのヘソです(笑)。ヴィー海とガマ
あと、海のところの表現を見ると、まるで魚の鱗の様な波模様が様式的に描かれているのが分かります。ガマの描写もかなりシンプルですね。このように「ヴィーナスの誕生」は全体的にザックリ、ゆったりと描かれているのです。

 

一方「春」は何枚も継ぎ足した板に石膏で下地を施して、平滑に磨かれた画面に描いています。板の継ぎ目や木目などは完全に分からないほど厚く石膏が塗られています。(ちなみにここで言う石膏とは、石膏像や彫刻などで型を取る時に使う石膏とは異なり、水を入れても固まらない「二水石膏」というものです)
「春」はおよそ2年の時間を費やして精魂込めて描き込まれ、かなり気合を入れて制作されています。登場人物も多く、複雑で美しい画面構成と、柔らかく緻密な描写が鑑賞者の心に降り注ぎます。春フローラアップ

自分も学生時代に何枚かテンペラ画にチャレンジした事がありますが、数週間掛けて3号程度の作品がやっと…でした。それを考えると300号を越えるサイズのこの作品、たったの2年でどうやって描いたんだろう?と思う程です。

 

春アフロディーテ
ボッティチェルリの殆どの作品は板絵で、ツルツルに磨かれた石膏地に、時間を掛けて丹念に絵の具を塗り重ねて描かれています。自虐的とも言える制作スタイルを生涯に渡って貫き通したボッティチェルリは、その優雅な作風とは裏腹に、かなりのパワーと忍耐力を持った作家だと断言できます。

ボッティチェルリの作品は日本には滅多に来る事はありませんが、将来フィレンツェにあるウフィッツィ美術館を訪れた時、今回のブログを思い出してもらえたら幸いです。

ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」と「春」について①

こんにちは。油絵科の関口です。最近は各地でで大雨が降ったり、東京ではデング熱が流行したり、日本も熱帯地方の仲間入りをしてしまった様なニュースが続いていますね。これから台風シーズンに突入しますし、心配している人も多いと思います。全国に穏やかな季節が訪れる事を祈っています。

 

ところで、皆さんはこの絵をご存知ですよね??ヴィーナスの誕生1
そう。ボッティチェルリの描いた「ヴィーナスの誕生」(1485年頃)です。今日はこの作品の作者、サンドロ・ボッティチェルリについて書こうと思います。
とても有名なこの作品ですが、カンバス(キャンバス)にテンペラで描かれています。油絵ではないんですよ。知っていましたか?

※テンペラとは、簡単に言うとメディウム(接着剤)に卵を使った絵具です。(実際には色んな種類がありますが、長くなりますので、ここでは割愛します)

ヴィーナスの誕生」は明るく、健康的で、優雅な雰囲気を漂わせ、ボッティチェルリらしい特徴が至る所からにじみ出てきています。嫌味のないその作品が500年以上に渡って世界中の人々を魅了してきたのも納得がいきます。ヴィーナス顔1
僕は学生時代、友人とイタリアで本物を見ましたが、その時の印象は「わ?。本物だ?。でも意外とザックリ描かれているんだな?」とまるで素人(笑)みたいな事しか浮かばなかったのです。既に画集などで図版を見ていたので、その印象との違いを比べる位しか出来なかった様な気がします。逆を言えば、それは「図版でも一度見たら忘れられない程の印象を植え付けてしまう、普遍的なデザイン性を持っている」という事なのかもしれませんね。

 

ところで、この作品のすぐ近くにボッティチェルリのもう一つの代表作「春(ラ・プリマヴェーラ)」(1477?1478年頃)が展示されています。この作品は板にテンペラで描かれています。春
こちらも旅行前に図版でよく見ていたものですが、この作品の方が実物を見た時の印象は強く残っています。・・・と言っても「すげ〜。無茶苦茶綺麗だな〜」という、やはり素人丸出し(笑)の感想しか出てきませんでした。

「ヴィーナスの誕生」と比べると「春」は全体のコントラストが強く、それでいて繊細。隅々のかなり細かい所まで描き込んでいます。中でも足元に生える植物や花々は非常に美しく、タイトルの「春」を感じさせる名脇役として、文字通り花を添えています。研究者によると、ここに描かれた殆どの花々は今でもフィレンツェ周辺で見る事が出来るそうです。春の部分2
これは右端下の部分。本当に細かいところまでよく描いています。

ちなみに、この作品は1980年代に修復され、足元の暗闇の中から克明に描かれた植物が再発見されたそうです。余談ですが、油絵科の海老澤先生曰く「私が見た時には、コントラストの強い花はともかく、葉っぱなんか凹凸のマチエールだけで、色も何も見えなかった」との事です。

 

大らかな印象の「ヴィーナスの誕生」と、繊細な印象の「春」という二つの代表作。これらは同じ部屋に展示されているので、否が応でも比較してしまうのですが、同一作者の作品でありながら、この違いは一体どうして生まれたのでしょうか?

今回は長くなりそうなので、来週この続きを少し掘り下げて書こうと思います。

 

アイデアの生まれる場所

こんにちは。油絵科の関口です。今週は僕の番ではありませんが、ピンチヒッターです。

さて、1ヶ月以上に渡る夏期講習会、如何でしたか?
油絵科は他の科とは異なり、イメージ課題を積極的に取り入れています。モチーフがまったく無い課題や、中には無茶苦茶とも思えるような課題に翻弄され、今まで使った事の無い脳みその領域がフル回転し、頭から煙が出ていた人も多いのではないでしょうか?DSCN0249

急に「アイデアを出せ」と言われても中々厳しいものです。普段から色んな事に興味を持ち、メモを取ったり、作品の事を考えてアイデアを練ったりする事が大切になってきます。

 

このアイデアですが、実は考える場所も結構大切なんです。皆さんは色んなアイデアを考える時、何処で行いますか? え? アトリエ前の廊下ですか? ダメとは言いませんが、今までの経験から照らし合わせると、あまり良い場所とは言えませんね。
僕のアイデアが出てくる場所は主に3箇所です。今日はその場所を紹介しながら、アイデアについて語ろうと思います。

 

①布団の中

「ああでも無い、こうでも無い」と起きている時に色々考えていて、疲れて寝てしまう事があります。それが朝目覚めた途端に「そうか!これだ!」となる事があります。これは脳科学的にも証明されているそうで、睡眠は考えた内容を整理する役割も担っているそうです。あのアインシュタインも特殊相対性理論のアイデアは夢で見た内容がヒントになっている、と聞いた事があります。
起きてすぐにメモが取れるよう、ベッドの傍にはメモと筆記用具は置いておきましょう。あと、夢日記を書くのも良いと思いますよ。

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②お風呂の中

お風呂に入っている時に「そうか!これだ!」とアイデアが生まれる事がよくあります。難点は記録する事が出来ず、すぐに消えてしまう事が…。
なのでお風呂でアイデアが浮かんだ時は、思いついた事を呪文の様に繰り返しブツブツ言いながら湯船に浸かります。完全にヤバい人ですね(笑)。途中で違う事を考えてしまうと、消えて無くなってしまう落語の様な事がよくあります。

 
③電車の中

電車の中で考え事をする様になったのは、いつからかは分かりませんが、携帯を持つようになって、この十数年間は確実にその時間は増えました。
実は新美のブログを書いているのは、ほぼ100%電車の中で、写真の挿入や微調整のみパソコンで行っています。あと、自分の作品タイトルを考えるのも電車の中。新美の課題もイメージ課題はほとんど電車の中で考えますね。

自分にとって電車という場所は、文章を考えるには最も適した場所なんです。

もちろんギュウギュウに混み合った超満員電車の中では考えられないので、少し空いている時間やルートを通るのは重要かもしれません。
適度な揺れは「1/fのゆらぎ」と言われていて、電車の揺れる音は母親の体内で聞いている血液が通る音と似ているそうです。そんな理由により、リラックス出来るのでしょう。
それに電車の中は適度な刺激があります。外の風景、色んな乗客のちょっとした仕草や行為、人々の会話、中吊り広告。山手線などは扉の上に液晶画面があり、無音でニュースや広告が流れてきます。これらが僕の頭の中には無い刺激的な要素として入って来て、イレギュラーな化学反応を起こすのです。

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何れも完全にリラックスしている時にアイデアは生まれている様です。必死になって考えても、アイデアは中々浮かばないものです。もちろん何も考えなければアイデアが浮かぶはずもありません。あれこれ考えて直ぐに答えが出ない時は、ちょっと気分転換してみましょう。ふとした事でアイデアは生まれてくるかもしれません。