カテゴリー別アーカイブ: 映像科

映像科:ICCの『OPEN SPACE 2014』

映像科講師の森田です。梅雨真っ盛りで湿度高めな日が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。普段新美に通っている人は新宿駅から徒歩の人が多そうですが、雨の日は初台駅を利用するという人もいると思います。初台駅と言えばオペラシティそしてオペラギャラリーが有名ですが、そのひとつ上のフロアの「ICC」の存在は意外と知られていません。もちろんとっくに知ってるよという人もいるとは思いますが、映像系の学生だけでなく、知らない人にはぜひ足を運んでみて欲しいので、あらためて紹介を。

去年の新美の学生には「perfumeの展覧会をやってる一風変わった美術館」として認知されていたICCですが、オフィシャルのページによれば「ICC=Inter Communication Center」はNTT東日本が運営している文化施設」で「ヴァーチャル・リアリティやインタラクティヴ技術などの最先端電子テクノロジーを使ったメディア・アート作品を紹介」、「従来の形式や分類を超えた企画展を開催してきました」とのことです。開館したのは1997年だそうですが、それから十数年に渡って、美大の映像系、メディア系、情報系の学生(の一部)にとっては、聖地のような場所でもあるような気がします。

そんなICCでは6/22からは『OPEN SPACE 2014』と題された展示が始まっています。この『OPEN SPACE』では毎年常設の作品も含めた新しい作品を無料で観ることができます。僕も早速行ってきましたが、個人的にはメディアアートの歴史に必ず登場する、ジョフリー・ショーというアーティストの『レジブル・シティ』という作品を初めて体験したのが印象的でした。展示室に置かれた自転車に乗りペダルを漕ぐと、それに従ってスクリーンの映像の中を進むという、1988年頃に制作されたインタラクティブな(体験型の)作品なのですが、決して悪い意味ではなく、2014年にこれをアートとして体験するというのはどういうことなのか…と、ちょっと考えてしまいます。ゲームやアトラクションとどう違うのかとも。

あるいはメディアアートの作品では、制作からしばらく時間が経つとその作品を展示できなくなるということがあり得るそうです。それは制作時のシステムやプログラムを走らせるためのソフトウェアやアプリケーションが、今のコンピュータに対応していないからという理由からですが、考えてみるとこれも興味深い話です。一般的には物質ではないデジタル・データの作品だからこそ保存も楽なのでは…?と思いきや、ちょうど携帯電話をスマートフォンに変えたら画像が読み込めなくなるように、展示自体ができなくなってしまう。もちろんその中で『レジブル・シティ』のように歴史的に貴重だとされた作品は、データを変換したりし続けることで何とか再現可能な作品であることを保つわけですが、こういったことも美術の「保存」や「修復」に関わる問題なのだと思うと、なかなか不思議な気持ちになります。

制作されたその時代の最先端の技術と結びついた「メディアアート」だからこそ感じた印象なわけですが、どうでしょう。ともあれこの作品に限らず皆さんもぜひ行って体験してみてください。

140618_openspace

Shaw_MG_9190

映像科:武蔵美映像学科入試の変更点まとめ

こんにちは。映像科の講師の森田です。

既に進学情報センターからもお知らせの記事がありましたが、先週末に武蔵美の入学試験の変更点が発表されました。すべての学科、専攻に関係のある内容ですが、映像科は特に武蔵美を第一志望に考えている学生も多いと思うので、映像学科に関する主な変更点をまとめておきます。(*映像学科の変更点です。ご注意ください!)

■センター入試A方式の選択科目の変更
…去年までのセンター入試の募集人数15人は変更ありません。ただし選択科目にこれまでの「小論文」「鉛筆デッサン」「数学」に加えて「感覚テスト」が入り、4科目から選択することになります。一般入試では必須科目である感覚テストが選択に加わることで、しっかり感覚テスト対策をしている人にとっては、一般入試とセンター入試W合格を狙いやすくなったとも考えられます。

■センター入試B方式
…上記のセンター入試A方式に加えて今年から新たにセンター3科目のみで合否が決まるB方式が導入されました。こちらは募集人数が5人ということで、やや狭き門ですね。学科で得意科目があるという人は、このB方式でも合格を目指しましょう。

■公募制推薦入試の方式の変更
…一番大きな変更点が推薦入試での新たな方式です。昨年度の「写真感覚資質型」が「クリエーション資質型」に改められました。HPの情報によれば「すでに志をもって写真や映像を使って表現を始めている人」「写真表現・映像表現の置かれている今日的状況に強く関心を抱き、理論と表現活動を通じて現代的課題を探求する意欲のある人」を求めているということで、これまでの入試とは異なる受験内容も考えられます。そして出願時の評定平均を問わないということで、これまで武蔵美の推薦の基準3.8に届かないことから受験を考えていなかった人にもチャンスが生まれそうです。この方式での募集人数は8人と発表されています。

以上の内容はまだ大学のHPで発表されている段階です。また学科(国語)でも変更点が発表されていますね。詳しくは今週末14(土)と15(日)のオープンキャンパスでしっかり確認しましょう!

http://www.musabi.ac.jp/open14/

DM4.22入稿

映像科:金土日コースの近況とオススメ展覧会

こんにちは。映像科の森田です。あっという間に5月も後半、一学期も折り返しとなりました。金土日コースですが、今日の金曜日の授業では人物クロッキーを行いました。映像科というとデッサンやクロッキーをやる印象がないかもしれませんが、そんなこともありません。実写/アニメーション問わず、映像とは本来「光と影の芸術」あるいは「動きと時間の芸術」でもあるわけで、モチーフをしっかり観察したり、人物の特徴的な動きや些細なしぐさを捉えようとすることは、大切です。

ちなみに明日からは実写映像の実習授業(日曜日は新宿御苑へ…天気は今のところ良さそうなのでひと安心)が始まり、来週以降もコマ撮りアニメーションの実習、映像作品研究(プレゼンとディスカッション)、さらにオープンキャンパス見学…、と一学期後半は特別授業が続きますが、もちろん受験に向けた対策もしっかり始めています。

P1050145

そんな梅雨入り前のさわやかな季節にオススメ展覧会情報を。竹橋の東京国立近代美術館で開催されている『映画をめぐる美術 マルセル・ブロータースから始める』は、ぜひ行ってみて欲しい展覧会です。概要には「マルセル・ブロータース(1924-1976)はベルギーの美術家で、詩人として出発しながらも1964年以降は美術の領域でオブジェや写真、短編映画の製作などを行った…」と書かれていますが、この展覧会は過去現在問わず、そうした「美術の分野で映像を扱う作品」または「美術と映像/映画の領域を横断して活動する作家」を紹介する企画展になっています。

この展覧会の見どころのひとつは、展示フロアの構成にあるかもしれません。会場全体が(シネコンのように)いくつかの展示室から成っていて、中央のロビーにあたる空間には、それぞれの展示室のテーマを示唆する16mmフィルムの映画が映写されています。「16mmのフィルム」とか「映写」と言ってわかる映画大好きな人もいるとは思いますが、しかし普通に生活していて16mmフィルムの映写機を見る機会は今やなかなかありません。フィルムという物質でもあり、なおかつ光という現象でもある映像の不思議、さらに映画の歴史を知るにはベストな展覧会と言えるのではないでしょうか。

もちろん展示されている作品ひとつひとつからも色々なことを考えられます。しかも高校生以下は無料(!)というところも良い。ただし会期は6/1(日)までということなので、偶然この新美NEWSを読んで、なおかつ土日の予定がまだ空いているという人は、ぜひどうぞ。

00082477

話題の「アクト・オブ・キリング」を観てきました。

こんにちは、映像科講師の百瀬です。

皆さんの中でもともと映像表現に興味がある人は、最近の映画の動向も押さえている人が多いかと思うのですが、この映画をご存知ですか?

「アクト・オブ・キリング THE ACT OF KILLING」
http://www.aok-movie.com/

スクリーンショット(2014-05-16 17.30.42)

監督は気鋭のアメリカ人映画監督、ジョシュア・オッペンハイマー。日本では今年の4月12日に公開されたばかりの、今多くの話題を呼んでいる映画です。

「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」

これが日本版サイトに掲げられているこの映画のキャッチコピーです。
その文面が示すとおりこの映画は、ジョシュア監督が「かつて虐殺を行使した人々に、自らそれを再演してもらい映画を作ってもらう」という衝撃的なプロジェクトを実施し、その記録を作品化したものです。

スクリーンショット(2014-05-16 17.26.54)

あらすじについて語る前に、ここで「アクト・オブ・キリング」というタイトルに注目してみましょう。「キリング」は「KILLING」なので直訳するとそのまま「殺すことの演技」ですね。
英語が得意な人ならば、このタイトル中の「ACT」という単語の中に二重の意味が含まれていることにすでに気づくと思います。
ひとつは「演技(ふるまい)」という意味の「ACT」。もうひとつは「行為」という意味の「ACT」です。
実際に虐殺を行った者が、今度はそれを演じる者となる。「ほんとう/うそ」という見方で見ると、一見まったく正反対のことのようにも思える「行為/演技」というふたつの動作が、このひとつの単語の中に奇妙にも同居しています。
その事実が実にこの映画の本質を突くものであるということが、見終わった後でわかるのではないかと思います。

スクリーンショット(2014-05-16 17.28.07)

実際にその虐殺が行われたのは1965年のインドネシア。スカルノ大統領(当時)親衛隊の一部によるクーデター未遂事件が起こったのですが、当時の軍部によってその背後組織は共産党だとされ、当時インドネシアに住んでいた華僑を含む100万人規模の共産党支持者が一方的に虐殺されました。当時虐殺を行ったメンバーは、政府からの金で今も悠々自適な暮らしを送っています。

この映画で主にスポットを当てられているのは、インドネシア軍部から依頼を受け、実際にこの虐殺を「実行する」役目を任されていた「ヘルマン」と呼ばれる人々です。
そしてその中で殺戮のリーダー的な役目を果たしていたアンワル・コンゴという初老の男性を中心にこの映画は進行していきます。

スクリーンショット(2014-05-16 17.27.10)

ヘルマンという言葉の語源は「フリー・マン」。彼らがその言葉を口にするとき、そこにあるのは自分たちが行っていること、法律よりも自分たちの自由奔放な価値感が勝っていることに対する「誇り」です。もともとダフ屋行為や買収行為などを行って生計を立てていた彼らの立ち位置というのは、日本でいうところの暴力団組織のようなものにあたります。

つまり私たちがいったん認識しなければならないのは、彼らにはまったくその虐殺に対する罪の意識がなかったということなのです。国の統制を乱した者達を「正義によって」抹殺したということは、彼らの生まれ育った頃から隣り合うギャング的価値観を肯定してくれるものでさえありました。彼らはジョシュア監督の映画製作依頼に対し、「俺たちの勇姿をみんなに知ってもらうんだ!」と嬉々として参加するのです。

スクリーンショット(2014-05-16 17.28.23)スクリーンショット(2014-05-16 17.28.29)スクリーンショット(2014-05-16 17.27.53)

映画の前半部は、積極的に虐殺シーンの撮影に臨むアンワルたちの姿が映されます。
自分たちの演技に対し、真剣なコメントをかけあいながら虐殺シーンの再演の精度を上げていこうとします。「映画にはユーモアも必要」と言い切るアンワルの奇抜なアイデアに、笑いを漏らす映画の参加者たち。このあまりにも軽い「死」の感覚を前にし、観賞者はすでに倫理観のゆらぎと嫌悪感のやりどころのなさの渦の中に取り残されています。

それはこのアンワルの口から紡ぎだされる、あまりにおぞましくも非常にあっけらかんとした言葉が、「自分ももしかしたら、そっち側にいたのかもしれない」と、私たちの日々の生活の中に眠る暴力性について考えさせられる示唆的な言葉に満ちあふれているからかもしれません。

スクリーンショット(2014-05-16 17.29.44)

また、この映画の構造的な面白さとして特筆すべきは、「映画」として撮影されているシーンと「ラフシーン」として撮影されているシーンがごちゃまぜになっていて、何をもって演技とするのか?という定義が最初から最後までかき乱され続けているところでしょう。もちろんこのような構造を持った映画は昔からいくつもあるのですが、前述したとおり「アクト」に込められた意味が最初からここまで強く提示されているゆえに、この構造が強度として強く効いているのだという気がします。

スクリーンショット(2014-05-16 17.28.54)スクリーンショット(2014-05-16 17.29.32)スクリーンショット(2014-05-16 17.29.58)

後半において、演技をするアンワルにある変化が訪れます。

今まで「加害者役」として自らの虐殺行為をなぞってきたアンワルですが、ある瞬間から彼に殺された「被害者役」も演じるようになるのです。

ここの転換はかなりサラッと描かれており、個人的には「えっ?」と思ってしまったのですが、この反転は実はかなり重大なことであるはずです。どう考えても監督にその展開を望む欲望がなければそのようなことにはならないはずで、そこに「ドキュメンタリーのふりをしたフィクション(またはフィクションのふりをしたドキュメンタリー)」作品の重大な本質があると個人的には思っています。

かつて自分が殺戮に使っていた針金を、自ら今度は自分の首に巻き付け、その両端を引っ張られるのを待つアンワル。

彼がそこでどういう表情をしたのかは、是非みなさんに映画館で確かめてほしいと思います。

率直に言ってしまえば、ある意味このラストへ向かう展開はこういったテーマを選ぶ以上、予定調和的な展開とも言えます。
ただ、もしそこにそういう筋書きを描く者がいて、そこにアンワルというひとりの人間(たとえ彼が神に許される人間ではなかったとしても)が取り込まれていったのだと思うと、いちばん残酷なのは誰なのだろうか、それをこうして吐き気をもよおしながらもなぜ私は目を離せずにいるのか、と思ってしまいました。
彼の行ったおぞましき「アクト」もまた、得体の知れぬ何者かによって引き受けさせられた「アクト」だったのでしょうか。それは映画の中の話なのか、映画の外の話なのか。ずっと胃の中に嫌な余韻が残ります。

撮る者と撮られる者との関係、それは、映像を撮る者が一生背負わなければならない業のようなものなのかもしれません。
私には、この映画のテーマが問いているであろうごく一般的な倫理観とは別のところで、またある種の倫理観を問われているような気がしました。
ここ最近で一番胸がむかむかした映画でしたが、あまり語るとネタばれになるのでこのへんで。

是非、映画館で見てください!

百瀬文(映像科講師)

公開講座!パート2 本日申込み締切です!お早目に!

油絵科の関口です。
油絵科は『芸大油画専攻一次試験にチャレンジ』と題して、ゼミを行います。芸大油画専攻は年度によって全く内容の異なる課題(年によっては紙の質や描画材まで異なる事があります)が出題されるのが特徴的です。他の科と違ってかなりの実力者が落とされたり、殆ど初心者みたいな人が受かったりする事もあるので、対策の仕方が分からない人も多いと思います。Unknown-2Unknown-1

今回のゼミでは、過去数年分の合格者再現作品を使って、入試の流れや年度ごとの評価のポイントを解説し、受講した皆さんには今年出題された一次試験にチャレンジしてもらいます。もちろん試験ではないので、制作中のアドバイスや講評も行います。初心者の方には道具の使い方の説明も致しますので、どうかご安心下さい。

Unknown
これは今年の一次再現作品(部分)

今回は普段内部生にも公開していない“秘蔵の再現作品”や、今年合格した人の描いた“出来立てホヤホヤの再現作品”も見られる絶好のチャンスです。乞うご期待下さい。

映像科の講師の森田です。
来たる21日の公開講座ですが、映像科の講座は「そもそも映像系の実技試験はどうしてあのような形式なの?」という疑問に答えるような内容になっています。これを読んでいる皆さんは、おそらく映像系の実技作品を見たことがあると思います。イラスト的な絵と文字が書かれた、デッサンや平面構成とは相当雰囲気の違った、こんな言い方もおかしいですがあまり「美大受験っぽくない」作品です。そして合格している作品が必ずしもテクニック的にずば抜けているかというと、そうとも考えづらく…。きっとアイディア的に優れているんだろうと予想したり、あるいは「結局大学の先生の好みなんじゃないの?」と思ったりしてしまうかもしれません。
今回の講座では映像作品をつくる設計図として「絵コンテ」や「シナリオ」の役割を考えてみることから、映像系実技の評価ポイントを分析して解説していきます。これから映像系で大学の進学を考えようという人も、既に対策を始めている人も、ぜひ参加してみてください!

p1_002 のコピー