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同級生について(山口くん)

こんにちは。油絵科の関口です。さて、2月に森元先生のお話を書きましたが、今回はもう一人の芸大での同級生、山口晃さんについて(先日の講演会を聞き逃した、という人のためにも)書こうと思います。

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山口晃 作「百貨店圖 日本橋 新三越本店」2004年  © YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery

 

さて、皆さんは山口晃さんの事はご存知ですよね?テレビにもよく出演されていましたし、三越のポスターになったり、近年では横浜そごうで大々的な個展をやられていたので、ご覧になった方も多いと思います。仮に名前を知らなかったとしても、ネット等で作品を見た事がある人も多いのではないでしょうか?昨年は著書「ヘンな日本美術史」も受賞しましたし、ウチの学年では間違いなく一番の有名人です。それどころか、今や日本を代表する現代美術作家と言っても過言ではないと思います。

その山口さん…(うーん、僕には山口くんの方がシックリくるかな?以降は親しみを込めて「山口くん」と書かせてもらいますね)実は新美出身なんですよ。山口くんとは歳も同じで、1浪の時に同じクラスになりました。彼は群馬県出身。僕は新潟県出身。郷里は違いますが、同じ地方出身者という事で、最初の自己紹介の時に親近感を持ちました。

テレビでご覧になった方や、展覧会場で彼と会った事のある方は分かると思いますが、彼は基本的に低姿勢で、誰とでも敬語で話しています。実は浪人の時からずっとそうなんです。年上の人には勿論、同い年の僕等や年下の人にさえも敬語で話しますし、彼から乱暴な口調を聞いた事は一度たりともありません。話の切れ味は鋭いですけどね(笑)。有名になっても謙虚な姿勢は崩さず、決して威張る様な事もありません。そういうところは本当に素晴らしいと思います。僕は浪人の頃からずっと山口くんと呼んでいますが、芸大の同級生の皆からは「山ちゃん」と呼ばれて、親しまれていました。

彼の浪人時代の印象は「穏やかで冷静」「自分をしっかり持っているのでマイペース」「几帳面で真面目なのに面白い人」でした。当時僕等を受け持っていた先生2人は、どちらも情熱的で熱い人でしたので、先生方と正反対な山口くんは、人知れず苦労したんじゃないかと思います。大人しい性格から来るのか、先生には油絵の時に「もっと絵の具を乗せろ」と言われていた覚えがあります。浪人の時は何とか厚塗りにもチャレンジしていたようにも思いますが、大学に入ってからはちゃんと薄塗りに戻っていました。
そう言えば入試直前に先生のアドバイスで「途中まで描いていた絵をひっくり返して、それを下地にして描け」と言われて、実践していた事もありましたね。もう24?25年前の事ですが、今よりずっと狭かったアトリエの中で一緒に苦労した記憶は、鮮明に蘇ってきます。

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これは山口くんが浪人時代(1浪)に描いた人物油彩。本人は恥ずかしがっていましたが、結構上手に描けています。今となってはチョー貴重な一枚です。講演会では他にも数枚スライドで披露させてもらいました。

 

あと浪人時代に山口くんのスケッチブックを見せてもらった事があります。いわゆる落書きなんですが、それがまたすごいクオリティーなんです。その時点で既にプロ並みの腕前を見せており、現在の片鱗を垣間見る事が出来ました。

彼は1浪で造形大と多摩美に合格し、多摩美に進学する事になりました。一年間通ってから再受験し、見事芸大に合格。僕は2浪したので、大学でも同じ学年になります。

?大学に入ってからの山口くんは、既に自分のやりたいイメージをハッキリと持っていた様に思います。(実はお話を聞いてみると、色々と試行錯誤の連続だったそうで、紆余曲折の末に今に辿り着いている様です)キャンバスに油絵具で、日本画の様な線描と昔の日本の絵に出てくる様な雲も学生時代から描いていました。今から思うと、美術作家「山口晃」の原型は20歳前後で早くも完成されつつあったと思います。

あと、学年が幾つか上の会田誠さんと一緒にグループ展をやっていた事もありました。確か「コタツ派」とかいう名称だった様な…今程ブレイクする前に何回かギャラリーで見せてもらいました。

彼のアトリエには、いくつも並べたビールケースの上に畳が敷かれ、ちょっと変わった和室の様な空間を作って制作していました。

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これは卒業制作のアルバムに載っている集合写真。山口くんは最前列一番右。僕や森元先生も写っています。(卒業以来会っていない人も結構います・・・懐かしいです)

 

ちなみに山口くんは、大学院を田口安男研究室(田口先生は既に退官されています)に入りました。僕も実は同じ研究室を希望していましたが、田口先生から「君は決して落ちる順番じゃないが、ウチはもっと上位の人が受けているし、留学生も取るから、第二志望の研究室に行って面接を受けてきなさい」と言われ、結果的には第二希望の技法材料研究室に入る事になりました。(当時の大学院は卒制の順位で決まる、と言われていました。研究室の定員は3人。山口くんはかなりトップの方で、もう一人の方も上位だったという事です。僕がもうちょっと上位だったら、山口くんと同じ研究室だったかもしれません)

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これは卒業制作「深山寺参詣圖」の制作途中。卒業制作カタログにしか載っていないレアものです。完成した図版と比べてみると違いは歴然です。(色の違いは図版によるものかもしれません)

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山口晃?作「深山寺参詣圖」1994年   © YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery

 

森元さんの時にも書きましたが、僕の通っていた技法材料研究室は、油画の研究室とは離れたフロアにありましたので、やはり大学院の時の山口くんも殆ど知りません。

森元さん同様、山口くんも大学院を修了した後、助手を経験します。

そして2人はその後新美に講師として呼ばれ、半年間同じクラスを持つ事になります。森元さんと山口くんのクラスは「ドリームクラス」と言われ、油絵科の中での異色コンビとして注目を浴びていました。ちなみに、その時二人のクラスの成績はすごく良かったですよ。

その後、山口くんは新美に残る事なく、美術作家として大活躍する事になります。決してブレる事なく、同じスタンスでコツコツと仕事を続ける事で成功した一人です。皆さんも自分の好きな事をやり続け、人々の心に残る美術作家を目指して頑張って下さい。

 

誰が自然を殺したのか?④ フランス編

こんにちは。油絵科の関口です。
ここのところ大分暖かい日が続くようになったな?と思ったら、昨日は打って変わって、まさしく「春の嵐」でしたね。

本題に入る前に、まずは春の訪れを感じさせる様なこの一枚をご覧下さい。pitcher1931
ボナール作「pitcher」(1931年)

さて今日も静物画=natura morta(死んだ自然)という解釈を巡り、誰が自然を殺したのか?をテーマに書きたいと思います。このシリーズも長くなりました。かれこれ一ヶ月近くも犯人を探している事になりますので、そろそろ自然を殺した真犯人に迫ってみたいものです。

?これまでの容疑者には、疑われる要素こそありましたが、殺すには動機が乏しい人達ばかりでした。今回はちゃんと外堀を埋めて、容疑者を追い詰めたいと思います。

 

 

容疑者④アンドレ・フェビリアン
色々と調べた結果、このアンドレ・フェビリアンに辿りつきました。芸学の人ならいざ知らず、多分油絵科でこの人を知っている人は殆どいませんよね?フェビリアンは17世紀の建築家ですが、美術史家、美術批評家としてフランス王立絵画彫刻アカデミーに従事していた人です。André_Félibien

17世紀前半のフランスではギルドという制度(職人の組合みたいなもの)が存在しており、そのギルドに所属していないと、画家として活躍する事が出来なかったと言われています。そのギルドに対抗する為に作られたのが王立絵画彫刻アカデミーで、そこではドロドロした戦いが繰り広げられていたと思われます。

フェビリアンはアカデミーの中で「動いているものを描く画家は、死んで動かないものを描く画家よりも賞賛に値する」と評し、ギルドに対抗する為、オランダにもあったジャンルのヒエラルキーを導入しました。その論理を展開する事によって、アカデミーに有利な方へと導いていきました。つまり、自分たちの地位を守る為に、あからさまに静物画を蔑視していったのです。
当時のフランスはオランダ美術の影響が非常に強かったと言われています。オランダではジャンルこそ一番下の階級に属していましたが、言語としては比較的穏やかな言い回し(stilleven「=留まる生命」)でした。フランスも最初の頃はオランダ語と同様の意味であるviecoye「静止した生」を使っていたようです。それが18世紀に入るとnature?reposée「休息した自然」に変わり、最後には上記フェビリアンの「死んで動かないもの…云々」という評と結びついてnature?morte「死んだ自然」になったと考えられます。

という事で、自然を殺した真犯人は、フェビリアンでほぼ間違いないと思います。

静物画の復権
18世紀フランスでは、シャルダンが素晴らしい静物画を多数残しています。何気無く組まれた静物達は、現実世界にある「物体」という存在を超えて、一つひとつが厳かで崇高なものさえ感じさせてくれます。

Still Life with Pestle, Bowl, Copper Cauldron, Onions and a Knife Painting1734~35
シャルダン作「Still Life with Pestle, Bowl, Copper Cauldron, Onions and a Knife Painting」(1734~35年)Chardin-1760
シャルダン作「La Brioche (Cake)」(1760年)

前時代に「死んだ自然」と評され、ジャンルの最下層に追いやられた静物画に生命を宿したその作品群は、今でも美術館で多くの人達に感動を与え続けています。

更に19世紀になると、セザンヌが革新的な静物画に取り組んで、20世紀の近代絵画に大きな影響を与えているのは周知の通りです。リンゴとオレンジのある静物1895-1900
セザンヌ作「リンゴとオレンジのある静物」(1900年)

ジャンルのヒエラルキーを覆したのは、自分達の地位を守ろうとしたギルドの画家やアカデミーに所属していた批評家ではなく、モチーフとの対話を日夜行っていた画家だったのです。

ちなみに新美にはStill Lifeという、古代から近現代までの静物画を中心に扱った画集があります。興味のある人は是非一度ご覧になって下さい。

 

ー 完 ー

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番外編 フランス人画家の静物

ところで、近代フランス絵画には優れた静物画が多数存在します。今日はその中から2点ほど気になるものを紹介したいと思います。

Botte d'Asperges, 1880
マネ作「Botte d’Asperges」(1880年)

このマネの描いたアスパラガス、「お見事」としか言いようの無いほどの的確なタッチで描かれています。一見簡単に描かれているように見えると思いますが、シンプルであるが故に、一切ごまかしが効きません。ウェットインウェットという、下の絵の具が乾く前に次の絵の具を重ね、色を濁らせないようにするのは、実際にやってみると非常に難しい技術です。しかもマネの使っている絵の具はオイルがたっぷりと含まれ、かなり柔らかい絵の具をあり得ない精度でコントロールしています。この領域までくると、もはや神業と言っても過言ではないと思います。

 

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マティス作「still life with blue tablecloth」(1906年)

マティスの静物も素晴らしいものが多いです。この作品ではテーブルクロスの模様がまるで生き物のように描かれ、モチーフに負けないくらいの強さで主張しています。後ろにあるはずの模様が前に出てくるのを まるで力でねじ伏せるかのように 空間内に押さえつけています。静物画でここまでスリルにあふれる作品も珍しいのではないでしょうか?こんなにも生き生きしている絵を見ると、間違っても「死んだ」とは言わせない、というようなマティスの意地を感じますね。

国立校 春期講習が始まりました。

新宿美術学院 国立校です。

桜の開花宣言は出ましたが、国立の桜はまだのようです。
ですが枝の先がほのかに白くなっていますので、
もうそろそろでしょうか。

春期講習がスタートしました。
受験科が春から本格開校になりますので、
今回は新3年生が多く参加してくれました。

第1課題は全員デッサンでした。
基礎講習も総合講習も2日間かけて1作品仕上げます。

総合講習、高校3年生のクラスのモチーフです。
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白を基調としたモチーフに、どのように陰影をつけていくのでしょうか。
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基礎講習、高校1.2年生のクラスのモチーフです。

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この次は専門課題の授業に入ります。
引き続きデッサンの人、油絵を描く人、平面構成に入る人。
高校3年生のクラスでは、より受験に即した実践的な授業になっていきます。
まだご参加いただけますので、美術の予備校を検討されている方、
まずは雰囲気を味わいに講習会にご参加ください。
1課題(2日間)からお申込みいただけます。
お問い合わせは国立校まで。
042-577-1117

春スペ

デザイン工芸科 春のスペシャル授業

新宿校 古関です。
春期講習も2日目が無事終わりました。

今日は授業の後、デザイン工芸科毎年恒例の”春スペ”、
現役、大学生を呼んで、芸大や私大の授業や学校の様子を
受験生や基礎科生に詳しく紹介するイベントを行いました。

芸大デザイン科、工芸科、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に
通っている新美の先生に、普段の授業内容や学校での楽しい出来事も含めて、
話してもらいました。
参加した皆さん、少しは進路の参考になりましたか?

新美ではこのように春のイベントを、色々用意して
これから受験を考えている人をお待ちしています。
是非、気軽に新美のイベント等にご参加下さい。
今後のイベントの詳細は
http://www.art-shinbi.com/startevent/index.html まで。
これからの最新のイベントは
3月29日(土) 特待生試験と山口晃氏による特別講演
3月30日(日) 1日体験

国立校舎でもイベント等行っていますので
是非ホームページでご確認下さい。

春スペ

春スペ

春スペ

春スペ

誰が自然を殺したのか?③ オランダ編

こんにちは。油絵科の関口です。
前回に引き続き、静物画=natura morta(死んだ自然)という解釈を巡り、誰が自然を殺したのか?をテーマに書きたいと思います。

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ピーテル・クラース作 「ブラックベリーパイとグラスのある朝食」(1631年)

 

容疑者③ヴァニタスを描いたオランダ人画家達
17世紀オランダでは、スペインのボデゴンとほぼ時を同じくして静物画が流行します。銀の食器や剥きかけのレモンなど、ボデゴンと重なる部分もあります。(※ボデゴンについては前回のブログ・誰が自然を殺したのか?②スペイン編 を参照して下さい)しかし決定的に違うのは、ドクロや楽器など、厨房にあるものとは思えないものを描いているという点。そして彼等が描いていた静物画には「ヴァニタス」(虚栄、この世の儚さ)というテーマが隠されている、という事です。

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エバート・コリアー「ヴァニタス」(1662年)

 
当時の絵画はただ鑑賞するものではなく「読む」ものだったのです。一つ一つのモチーフには意味があり、その暗示する要素をいかに読み取るか?が必要とされていました。
よく描かれるモチーフとしては、ドクロ、砂時計、楽器、楽譜、書物、花、剥きかけのレモンなど、多岐に渡りますが、何れもヴァニタスを描くのに適したものでした。
死を暗示する様なドクロを描くなど、積極的にヴァニタスに取り組んだ画家達こそが、束になって次々と自然を殺していった可能性があります。検証してみましょう。ピーテル・クラース1628
ピーテル・クラース作 「ヴァニタス」(1628年)

17世紀オランダでは、絵画のジャンルにヒエラルキーが存在しました。一番トップに歴史画(宗教画、神話も含む)、次に肖像画、その下に風俗画、更にその下に風景画、一番下に静物画という順番でした。静物画はなんと最下位です。
歴史画はジャンル的に一番上でしたが、あまり売れる事はなかったそうです。画家は生活のため肖像画や静物画を描いたとも言われています。
静物画は銀食器の冷たい質感描写や、今にも汁が滴りそうな剥きかけのレモンなど、画家の技術をアピールする上で重要な題材だったようです。しかしジャンル的に一番下に位置されていたので、何とかその地位を向上しようと努力をした結果、何らかの意味や寓意を持たせる、という手法に辿り着いたのではないか?と僕は考えています。教養の一つとして世の中に広めて、画家は技術を磨く為に静物を描いたとも考えられます。

 
そんな彼等は死を連想させるモチーフを描いていますが、ジャンル自体を死に追いやるとは到底思えません。それに静物画のオランダ語は、stillevenというもので、英語のstill lifeに極めて近い解釈です。
どうやらオランダ画家達も自然を殺した犯人ではなさそうです。

いよいよ迷宮入りに近付いて来ましたか…いえいえ、もう一人怪しい容疑者が残っていますので、次回はその容疑者に迫ってみたいと思います。

 

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番外編 オランダ人画家の静物とその変遷

オランダ人画家として有名なのはレンブラント、フェルメール、ゴッホ、モンドリアンあたりでしょうか?
レンブラントは単独の静物画を殆ど残していない(フェルメールに至っては一点も単独の静物はありません)ので、他の画家達を見ていきましょう。

●ゴッホ

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ゴッホ作「ゴーギャンの椅子」(左)、「ゴッホの椅子」(右)(どちらも1888年)

この「ゴーギャンの椅子」という作品は、ゴッホがゴーギャンと一緒に暮らして制作していたときの作品です。対になる作品として「ゴッホの椅子」というのものが存在します。ゴーギャンの椅子にはロウソクが描かれていたり、本が描かれているので、ヴァニタス的にも見えます。それにしても椅子を描いただけでゴーギャンらしさ、ゴッホらしさというものが感じられるのは凄い事です。

 

●モンドリアン

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モンドリアン作「しょうが壷のある静物」(1911年)

モンドリアンの初期に描かれたこの静物画はご存知でしょか?モンドリアンと言えば格子の模様みたいな作品が有名ですが、初期にはこんな素晴らしい静物を残しています。少ない色数で描かれたこの作品は、凄い空間が感じられますね。この作品は僕が浪人生の頃に日本に本物が来て、目を皿の様にして見た記憶があります。
この作品を描いた人が、僅か10年後にはこんな風に変わります。↓piet-mondrian1921
モンドリアン作「コンポジション」(1921年)

この10年という月日には何があったのでしょうね?モンドリアンという画家も非常に面白い画家なので、いつかこのブログで紹介したいと思います。

 

●????

次にこのデッサンの作者は誰か分かりますか?de-kooning-bowl-pitcher-jug1921

 

実はこれウィリアム・デ・クーニングの17歳の時のデッサンなんです。ご存知かもしれませんが、デ・クーニングもオランダ人なんですよ。このデッサンはどちらかと言うと、スペインのベラスケスの初期作品に影響を受けているようにも見えますね。ベラスケスについては、前回スペイン編でも紹介しましたのでそちらを参照して下さい。
デ・クーニングもこの29年後にはこんな作品に変わっていきます。↓as-de-kooning-woman1950デ・クーニング作「Woman1」(1950年)

モンドリアンにしても、デ・クーニングにしても凄い変わり様ですね。劇的とはまさにこういう事を言うのでしょう。時間というのは、人をこんなにも変えてしまうものなんですね・・・。

 

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今年残念ながら落ちてしまった受験生も、これから絵を始めようとする人も一年間色んな事にチャレンジして、一日一日を積み重ねていけば、きっと変わる事ができる筈です。我々も日々努力を重ねて入試に挑みますので、一緒に頑張っていきましょう!