カテゴリー別アーカイブ: 新宿校

バルテュスのマニアックなお話

こんにちは。油絵科の関口です。最近はかなり暖かくなってきましたね。

さて、上野の東京都美術館で開催されているバルテュス展はもうご覧になりましたか?今日はそのバルテュスについて書こうと思います。

若き日のバルテュス若き日のバルテュス(マン・レイ撮影)

実はバルテュスというのは本名ではなく、通称だそうで、本名は「バルタザール・クロソウスキー・ド・ローラ伯爵」と言います。フランスで生まれていますが、ポーランド貴族の流れをくむ家柄の伯爵で、由緒ある家系に育ったようです。
父親のエリックは美術史家、画家、舞台美術をやっており、母親のバラディーヌも芸術家だったそうです。兄のピエールは小説家として活躍していましたし、彼は画家(素描家)という側面もありました。

ピエールの作品
バルテュスの兄、ピエールの作品

以前、全く予備知識が無い状態で、ピエール・クロソウスキーという画家のデッサン集を見ました。「かなりヤバい感じの絵を描く人だな?」と思っていたら、後日バルテュスのお兄さんという事が判明し、ビックリした覚えがあります。(このブログに載せられるのはこれが精一杯です。どんな風にヤバいのか興味がある人は、是非検索してみて下さい)

ちなみにバルテュスは独学で絵を学んでいるそうですが、幼少の頃から実家にマティスやボナールがよく夕食に訪れたそうです。他にも作曲家のストラヴィンスキーやバレエダンサーのニジンスキー、詩人のリルケといった大物芸術家達も家を訪れていたようです。一般の家庭では考えられない様な幼少期を過ごしたに違いありません。

ところで、このバルテュスの展覧会、以前も東京駅のステーションギャラリーで見た事がありました。その時のカタログに書いてある年数を見ると、1993年とあります。あれから20年以上も経っているという事実にビックリしてしまいました。

今回の東京都美術館に於けるバルテュス展は、初期の作品やアトリエを再現したセットまで展示してあり、一見の価値はあると思います。

中でも初期の「夢見るテレーズ」は、良い作品だと思いました。頭上に乗せられた両手辺りのマチエールには、かなり苦労した跡が見受けられます。写真では分かりにくいと思いますが、何度も何度も描き直して、納得いくまで弄り続けないと、こういう表情にはならないのです。マチエールを付けようと思って出来たマチエールでは無く、自分の理想とする内容を追求した結果得られたマチエールなので、リアリティがあります。

夢見るテレーズ1938
バルテュス 「夢見るテレーズ 」1938年

個人的に面白かったのは、バルテュスのアトリエを再現したコーナーです。彼の使っていた筆や使いかけの絵具、顔料の瓶、パレット、椅子、イーゼル、作業着、描きかけの作品、絵具の付いた床…油絵を描いている人なら、一つひとつの痕跡から彼の制作していた姿が想像出来るのではないでしょうか?

それから、写真を見てバルテュスの使っている絵具のメーカーも興味を持ちました。ブロックス、レンブラント(ターレンス)、シュミンケ、マイメリ…愛用していた絵具からも彼の好みが分かります。

?あと、先程「独学で絵を学んだ」と書きましたが、それを実感できたのはアトリエに置かれたパレットです。パレットには描いている人其々の性格が出るものですが、ああいうパレットを見たのは初めてです。

パレットカタログに載っていたアトリエの写真。僕としては面白いものが沢山あります。

細かいところをじっくり見ていくと、面白さ満点です。皆さんもゴールデンウイークを利用して、見に行ってみてはいかがでしょうか?

 

私大平面授業

1学期授業スタート デザイン・工芸科 私立美大コース

私大コース 古関です。

新宿校 私大コース 4月12日からスタートしました。
毎年、新しい学生がやってきて1年間頑張って合格を目指していくのですが、
特にこの時期は皆、少し緊張しながら制作しています。

まだ、現在は基礎的な課題が中心ですが、
これから、少しづつ受験に沿った課題が増えてきます。

また今年も良い成績が出るように。
皆、1年間頑張って、第一希望目指して一緒に学んでいきましょう。

sidaijugyou2

 

名前について

こんにちは。油絵科の関口です。
新年度が始まり、初めて会う人が多いこの季節。まずは自己紹介をしますよね? すぐには名前を覚えられなかったりするので、間違えられることもあると思いますが、自分の名前が読み間違えられて、気分の良い人は殆んどいないと思います。

美術作家の名前も国によって色んなものがあり、日本語ではどう発音していいのか分からない(それによって間違った発音をしている)のが多いのも事実です。

黄道十二宮(ゾディアック) 1896Alfons Maria Mucha 「黄道十二宮(ゾディアック) 」 1896年
若い女性に大人気のこの作家、日本ではミュシャで通っていますが、彼の生まれたチェコではムハ、又はムッハが近いようです。ミュシャというのは、彼が活躍していたフランスでの呼ばれ方に近いみたいです。

反対に、我々日本人には普通でも、海外ではあり得ない名前だったり、うまく読んでもらえない事もあるようです。
例えば、僕の知っている作家さんで、下の名前が「正明(まさあき)」さんという方がいらっしゃいます。日本では普通の名前ですが、アルファベット表記だとMasaakiとなります。海外では母音が二つ続く事はないそうで、Masakiとaを一つ抜かして「まさき」さんにされてしまう事が多いそうです。日本では「まさき」さんという方も多くいらっしゃるので、本人的にはMasa-akiと表記して欲しいと、よくクレームを入れるのだとか。それはそうですよね。(ハイフンを入れないと、向こうの人には発音に困るのだとか。それでも大抵はマサーキと呼ばれるそうです)

そう言えば、昔こんな事もありました。僕が大学生の頃、同級生の富田君と一緒にイタリアに旅行に行った時の事。あるトラットーリア(レストランより庶民的な、日本で言うと定食屋みたいな存在)で、そこでは東洋人は珍しかったらしく、その店長のおじさんから名前を聞かれました。

富田君は自分の名前を伝えると、おじさんは笑いながら、いきなり「お前の名前はイタリアではDomenico(ドメニコ)と言う」と言い切りました(笑)。通常イタリアではaで終わるのは女性だけなんだそうで、男性はoやiで終わるのが普通なんだとか。例えばMaria(マリア)なら女性、Mario(マリオ)なら男性といった具合です。

僕の名前もSで始まるイタリアの名前に直されましたが、残念ながら…あまりに聞き慣れない名前だったので覚えられませんでした。

さて、そのおじさんはGiovanni(ジョバンニ)さんと言うのですが「俺の名前は日本では何と言うんだ?」と質問してきました。我々は「ジョバンニはジョバンニだ」と言いましたが、聞き入れてもらえず、仕方がなく「次郎(ジロー)」という純日本人的な名前を与えました(笑)。その後、家族全員の名前を強引に日本の名前に置き換えさせられ、楽しいひと時を過ごしました。最後にはお店の裏で肩を組んで一緒に写真を撮らせてもらいました。

?富田
左から真理(マリ、本名はMaria)さん、ドメニコ君、次郎(ジロー)さん。

何故こんな風になるのかと言うと、ヨーロッパでは同じ綴りでも言語によって発音が異なる事が多いのです。例えばMichelは英語ではマイケルですが、イタリア語ではミケーレ、フランス語ならミッシェル、ドイツ語ならミハエル・ミヒャエルになります。Georgeなら英語ではジョージ、イタリア語だとジョルジョ、スペイン語だとホルヘ、ドイツ語ならゲオルグ。Johnは英語ではジョン、フランス語ではジャン、イタリア語ではジョバンニ、ドイツ語ではヨハン、と言った具合です。(実際は綴りも国によって若干変化するようです)

アルルの跳ね橋1888Vincent van Gogh 「アルルの跳ね橋」1888年
この作品の作者、日本ではゴッホの名前で通っていますが、彼の生まれたオランダではゴッホと言っても通じません。日本語では発音する事が難しいですが、あえてカタカナ表記するならフィンセント・ファン・ホッホが近いようです。でも日本でホッホと言っても誰も分からないでしょうね?

Jan_vankmajer_II
Jan Švankmajer 
「アリス」1988年
日本ではヤン・シュバンクマイエルと呼んでいます。(チェコ語でどれ位近い発音なのかは分かりません)これは絵画作品ではなく、映像、アニメーション作品(実写とコマ撮りアニメのミックス)です。ちょっと気持ち悪いというか、ゾッとする様な世界観を持っています。自分はグロいものは全然平気、むしろ大好き?? という人は一度検索してみて下さい。日本でDVDも手に入ります。ハマる人はハマると思います。

宙.1965jpg
山口長男 
「宙」1965年
?この作家は、画商さんやプロの絵描きさん達まで「やまぐちちょうなん」と呼んでいる事が多いのですが、実際は長男と書いて「たけお」と読みます。この方は実際に山口家の長男として生まれたようです。

ちなみに6月29日まで、千葉県の佐倉にあるDIC川村記念美術館で「コレクション???リコレクション?VOL.?3??山口長男   コレクションは語る」と題した展覧会が行われています。完全抽象なので、一般人や絵を始めたばかりの人には分かりにくく、興味を持つ人は少ないかもしれませんが、僕は面白い作家だと思います。欧米で生まれた抽象絵画とは一線を画する世界観を確立していますし、暖かい色合いやその単純さは、極めて東洋的で「和の心」を感じます。

都心からは少し離れていますが、ゴールデンウィークを利用して訪れてみては如何でしょうか?

 

1日体験

4月20日 1日体験講習

新宿校 古関です。

本日、新宿校にて1日体験を実施、先ほど無事終了しました。
(国立校でも実施しました)
参加した皆様、父兄の方々もお疲れ様でした。
今後も引き続き自分の目標に向け、制作に励んでいって下さい。

また、指導や受付をしてくれたスタッフの皆さんもお疲れ様でした。

1日体験

1日体験

1日体験

1日体験

この後も、新美を試してみたい受験生に向けて、1周間無料体験等のプログラムを用意していますので、
以下のページにて詳細を確認してみてください。
新宿校(無料体験)
国立高(無料体験)

1日体験

1日体験

1日体験

1日体験

新美は学期途中での入学にも対応します。5月以降の授業料等、気軽にお電話等でご確認下さい。

「天使の輪」を発明したのは誰か?

こんにちは。油絵科の関口です。

今日は「天使の輪」のお話をしようと思います。絵画のみならず、イラスト等にも描かれるこの天使の輪ですが、一体誰が最初に考えたんでしょうね?

天使の輪
レオナルド・ダ・ヴィンチ 「受胎告知(部分)」 1475?85年

今では一般的になっている「天使の輪」ですが、最初は頭の上ではなく、後ろから光が射してくる「後光」のような存在だったと思われます。後光という事になると、西洋にある天使だけでなく、東洋の仏像などにもよく使われています。洋の東西を問わず、偉い人(人ではないかもしれませんが)は神々しく輝いて、見るのも眩しいような存在だったという事でしょう。

イコンjpg

ヨーロッパではルネサンスよりも前に「イコン画」というものが数百年に渡って描かれてきました。イコン画というのは中世におけるキリスト教絵画で、金箔を背景に聖母子像が描かれるというのが一般的です。板に描かれるものが多いですが、モザイク画やフレスコ画等の壁画も存在します。空間や人物表現も平面的で、顔の表情もあまり豊かではありません。シンボルとしての意味合いが強く、聖人や聖母子などの後ろに円形の「後光」の様なものが描かれている事が多いようです。この時代には「天使の輪」はまだ存在していません。殆んどの作品が、顔の正面とか、やや斜めから描かれています。

 

ところがルネサンスになり、遠近法(パース)が発見されてからは様相が一変します。前後感が表現されるようになり、正面や斜めだけではなく、横顔や後ろ姿なども現れ始めます。

そんな中世から初期のルネサンスに移り変わる時には、面白い作品に出会う事があります。これは初期ルネサンスの巨匠ジオットの作品です。本人は至って真面目に描いたのでしょうが、冷静に見ると変ですよね?これではまるでコントでパイを顔にぶつけられた芸人さんみたいです(笑)。パースも全体では破綻しています。逆にちょっと現代的?と言えるかも知れません。

最後の晩餐1306?ジオット 「最後の晩餐」 1306年

 

さすがにこれではマズいと思ったか、この作品では後光が少し斜めになりかけています。もうちょいで「天使の輪」になりそうですけどね。でも、どちらかと言うと江戸時代の小判みたいです。

キリストの洗礼1304?6
ジオット 「キリストの洗礼」 1304?06年

 

そして、とうとう頭の上に乗っかる「天使の輪」スタイルが登場します。本当に天使だし、素晴らしい。さすが巨匠です。これぞ世紀の大発見!!パチパチパチ(拍手)。

夢のなかでヨアキムにアンナの受胎を知らせる天使1305~10
ジオット 「夢の中でヨアキムにアンナの受胎を知らせる天使」 1305?10年

 

さあ、これで一件落着。と思いきや、この作品より後に描かれたと思われるこの作品では、どういう訳か横顔の後ろに平面的なお皿型の「後光」というスタイルに戻ってしまいました。一体何故・・・???

荘厳の聖母1310
ジオット 「荘厳の聖母」 1310年

 

更に、同年代に描かれた別の画家ドゥッチョの作品です。(この人も当時の巨匠です)「後光」という設定には違和感を感じたのか、手前にいる後ろ姿(横顔)のキリストの弟子達には後光が描かれていません。どうして良いか分からなかったんでしょうね。「後ろにはテーブルがあって、晩餐のメニューも描かなくちゃいけないし、後光を描くとキリストの方からは顔が見えなくなってしまう筈だから、う?ん・・・無くしちゃえ!」みたいな感じ(笑)でしょうか?

最後の晩餐1308?11
ドゥッチョ 「最後の晩餐」 1308?11年

 

当時の価値観では、中世から続く「後光」というイメージが強かったのでしょうか?折角ジオットが「天使の輪」を発明したにもかかわらず、どういう訳か頭の上に乗っけるというスタイルは、以後100年以上も定着しませんでした。

マルティーニとアンジェリコ左 シモーネ・マルティーニ 「受胎告知(部分)」 1333年
右 フラ・アンジェリコ 「受胎告知(部分)」 1426年

 

中世から続く価値観は、絶対的なものであり、一個人の考えた事やリアリティをも飲み込んでしまう程、凄い力を持っていたのかもしれません。

ところが、ジオットが「天使の輪」を発明してからおよそ100年後、一人の天才が現れます。それがマサッチオです。名前を聞いてもピンと来ない人も多いと思いますが、結構凄い人なんですよ。マサッチオの作品は「楽園追放」「聖三位一体」が特に有名です。

楽園追放と聖三位一体左 マサッチオ 「楽園追放(部分)」 1426?27年
右 マサッチオ 「聖三位一体」 1425?28年

ちなみに「楽園追放」はフィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂のブランカッチ礼拝堂に描かれた壁画の一部です。教科書とかでも見た事がある人も多いのではないでしょうか?
「聖三位一体」は、フィレンツェにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ協会の壁に描かれた大きな壁画です。科学的でしっかりとしたパース(一点透視図法)を利用して、磔刑図の奥に広がるおおきな空間と、まるで手前に飛び出しているかのように描かれた骸骨(の台座)が、当時の人々に大きな衝撃を与えたようです。

 

さて、次にこのマサッチオの描いた、初期の作品を見て下さい。手前の天使の顔の奥にお皿がある、パイのコント型になっています。

サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画1422
マサッチオ 「サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画」 1422年

それが僅か数年後「聖三位一体」では、お皿を頭の上に乗っける、いわゆる「天使の輪」スタイルへと変貌を遂げています。サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画では後光を描きながら、顔の前にお皿がある事に何か違和感を感じていた事でしょう。そしてある時ジオットの作品を見て「そうか!頭の上に乗っけてしまえば、全ての角度から違和感無く描けるじゃないか! 100年も前に発見されていたのに、何で皆こういう風に描かないんだ?」と思ったに違いありません。「天使の輪」が再発見された瞬間です。

聖三位一体(部分)「聖三位一体(部分)」

実際、このマサッチオ以降は頭の上に載せる「天使の輪」スタイルが大流行しています。レオナルドもボッティチェリもラファエロもこのスタイルを継承しています。遠近法の確立と共に、中世から続く絶対的な価値観が崩壊し、新たな時代(盛期ルネサンス)へと向かっていく事になります。マサッチオは僅か27年の生涯ですが、「天使の輪」を再発見し、新たな時代の扉を開けた夭折の天才と言えるでしょう。