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映像科:公開コンクールのレポート

こんにちは、映像科講師の森田です。すっかり秋も深まってきたこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。武蔵美に通っていたことがある自分としては、このくらいの気温になると芸祭を思い出します。今週末は武蔵美、来週には多摩美の芸祭がありますね。入試対策もそろそろ力が入ってくる時期だと思いますが、たまには息抜きを兼ねて、大学に足を運んでみるのも良いかもしれません。

さて、先週の10/11、12は新美の公開実力模試、いわゆるコンクールが行われました。講習会生や外部から参加してくれた方なども多く、なかなか盛り上がった2日間となりました。残念ながらスケジュールの都合などで今回受講できなかったという人もいると思いますので、このブログの方にも課題と解説を載せておきます。武蔵野美大映像学科の一般入試の傾向と対策について、ここで一度確認しておきましょう。

■感覚テスト(必須科目)
下記の文から想起する状況のイメージ、あるいは出来事のイメージを解答欄に絵と文章で表現しなさい。
「境界に触れていた」(B3画用紙/3時間)

感覚テストは映像学科を受験する学生ほとんどの人が制作する(一般方式では必須の)実技です。例年短い文章やキーワードをきっかけにして絵と文章で「映像のワンシーン」を創作します。去年の入試の問題は「空白が生まれた」というものでした。「空白」を何として設定するのか?ということが大きな問題になりますが、空間的な空白だけでなく、時間的な空白、あるいは記憶の中の空白、など様々に考えられると思います。感覚テストを制作する場合、なるべく具体的な場面を想像してみることが重要です。特に文章では、絵だけでは伝えきれないその場のリアルな状況や出来事が読み手に伝わるかどうかがひとつの評価基準となってきます。また画材として指定されている色鉛筆やパステルで描くことに慣れておくことも大切だと思います。

大原
(*参考作品:公開コンクールと同じ出題)

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■小論文(選択科目)
配布された4種類の「木目柄折り紙」の観察と考察から、あなたなりの論点を発見して、「○○の捉え方」と題して論じなさい。(600字以内/2時間)

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映像学科の小論文は、毎回何かモチーフが手渡されて、そのモチーフを観察することから論文のテーマを見つけるという、ちょっと独自の出題になっています。ちなみに去年の問題では、紙風船と白いゴム風船がひとつずつ渡されて「○○の魅力」というテーマで論文を書くという内容でした(「○○の魅力」に言葉を当てはめて題名にします)。この小論文の問題文の「観察や考察」は目で見ることだけではありません。触ってみたり、匂いを嗅いでみたり、何か書き込んでみたり…など。実際に今回の「木目柄折り紙」の場合でも、試験時間の前半には「鶴を折ってみる」「くしゃくしゃにして紙としての質感を与えてみる」などの色々なことをしている人もいました。そういう「行為」から、自分が発見したことを論文にするということが求められています。もちろん文章としての一貫性は必要ですが、テーマについては自由な発想で望むことが大切になってきます。

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■鉛筆デッサン(選択科目)
配布されたモチーフ2点を構成して描きなさい。(B3画用紙/3時間)

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鉛筆デッサンは卓上で3時間。大学の説明によれば「オーソドックスな描写力を見るための試験」ということですが、映像学科らしく(?)毎年他の学科のデッサンではあまりお目にかからないモチーフが出されます。また例年の傾向として、小論文と鉛筆デッサンで同じモチーフ(あるいは一部同じモチーフ)が出題されています。今回のコンクールでは、小論文のモチーフと似た木目のカッティングシートを三面に貼った石膏の立方体と、正方形のフェルトの布を渡しています。なかなか手強いモチーフではあると思いますが、まずはしっかり形を取れるように、対策をしておきましょう。

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(*感覚テストの講評風景と最後の結果発表&授賞式)

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【追記】
武蔵美に関しては公募制推薦入試の方も出願直前となっていますが、先日映像学科の公式サイトの方で「Q&A」のページが更新されていました。特に去年から変更になった推薦入試(クリエーション資質重視型/ディレクション資質重視型/英語力重視型)については、かなり詳しく質問を想定してその解答が掲載されています。推薦を受験する人はもちろん、映像学科を受験する予定の人は、必ずチェックしておいてください!
http://eizou.musabi.ac.jp/qa/

あなたはツルツルがお好き?

こんにちは。油絵科の関口です。
さて、今日のタイトルはキャンバスやパネル等の支持体の話で、決して脱毛エステのお話ではありません(笑)。

新美でも大学でも、生徒からキャンバスの下地をツルツルにしたいんですけど…という話をよく聞きます。その質問にはちゃんと答えますが、本音を言わせてもらえば、僕はあまりお勧めしません。その訳は・・・

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ダ・ヴィンチ作「リッタの聖母」 板に油彩

リッタの聖母
ダ・ヴィンチの作品は、まさにツルツルの代名詞みたいなもの。その完璧なぼかしにはスフマート(煙を意味するイタリア語、fumoから来ている)という特別な名前がついている。

 

僕も学生時代、パネルに自分で白亜地などの下地を施し、ツルツルにした経験があります。完全にピカピカにした下地は、思わず頬ずりをしたくなるほど美しく(笑)、その上に絵を描くのを躊躇ってしまう程です。

僕が当時好んでやっていたのは、炭酸カルシウムにチタニウムホワイトを少量混合し、膠水で混ぜた塗料をヘラや刷毛で塗る、白亜地と言われるものです。それを一度水で濡らして、掌で擦って磨き上げていきました。サンドペーパーで磨いたものよりもツルツルになり、まるで大理石のような半光沢のある、とても美しいものが出来上がります。磨く方法は他にも数種類ありますが、長くなるので今回は割愛します。
完璧な下地が出来た後、いざ絵を描こうとすると、何だか折角綺麗に出来た下地を汚す様な感覚に襲われ、中々描き出す事が出来ません。この感覚は、一度でも下地をちゃんと作った人なら、きっと分かってもらえると思います。

勇気を振り絞って描き始めると、今度は画面がツルツルなので、画面の上を筆が滑る様な感覚に違和感を覚えます。筆跡は激しく残り、作品が完成する頃には、最初に想像していたビジョンなど脆くも崩れ去っています。完璧な下地が出来ればできる程、そのショックの大きさは計り知れないものになってしまいます。

ルネサンスの頃の画家は、白くてツルツルの下地の上に絵を描いていました。イタリアでは石膏地、ドイツやフランドルでは、白亜地が使われています。絵の具は豪快に盛り上げるのではなく、女性がお化粧を施す様に薄く丁寧に扱って行きます。
よく考えれば、そんなストイックで繊細な作業、僕に向いている訳がありません(笑)。

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ヤン・ファン・エイク作「ルッカの聖母」 板に油彩

暗部には透明な絵の具を何回も塗り重ね、重層化された絵の具で次第に厚塗りになって行きます。明部は下地の白を透かせていくところと、白を混ぜた絵の具を不透明に乗せるところを作ります。
受胎告知X線
ダ・ヴィンチの受胎告知(部分)右は同じ絵のX線写真。
以前もこのブログに書きましたが、シルバーホワイトは鉛を主成分にしているので、X線を通しません。白く映っているところがホワイトを足しているところになります。意外と大胆に描いていますね。こんなに大胆に描いていながら、仕上がりが滑らかなのは本当に信じられません。
※ところどころ横に入っている線は、木目と思われます。

今皆さんが描いている支持体はキャンバスなので、下地をツルツルにして描くのには向いていません。白亜地や石膏地は硬くて脆い性質があるので、弾力のあるキャンバスの上に施すと、ひび割れはまず避けられません。下地をツルツルにするには、実は板の方が向いているのです。
キャンバスにはキャンバスの良さがあり、キャンバスの弾力や布の織目を利用して描く方が、効果的で自然な行為だと思っています。

日本画科 進化する現役生

こんにちは、日本画の佐々木です。

最近昼間部のことばかりだったので、久しぶりに夜間部現役生にフォーカス。
早いところでは推薦やAOなど、すでにもう入試が始まってきていて、肌で受験を感じる時期になってきました。
初めての受験に備えて、みんな着々と力をつけています。

一学期から(長い生徒は去年の基礎科から)ずっと見てきて、本当に上手になったよなあとしみじみしていましたが、実際に作品を並べてみて驚きました。

左:一学期 右:夏期講習
ブログ2
思わず二度見の衝撃です。
もともと光の流れをつかむのが上手な作者ですが、石膏の立体感などの表現が追いつき、より豊かなデッサンになっています。

左:一学期 右:夏期講習
ブログ1
こちらもなかなかの変わりよう。空間や光を表現するのが苦手な作者でしたが、徐々に掴み始めています。現在は形や見え方などもさらに精度を上げようと努力しています。

現役生は、高校では勉強にテスト、予備校では制作と時間的にも体力的にもかなりのハードスケジュールです。
そんな中で受験にむけて努力する熱意を無駄にしたくない!という思いから、講師たちもついつい指導に熱が入ります。現役だから来年受かればいい?現役でここまでかければ上手?
違うんです。現役生ではなくて、みんな受験生。
学校との兼ね合いも含めて、「今年の受験」にどうやって立ち向かっていくか考えていきたいですよね。
小さいことでも、ひとつづつ。わかるまでこつこつ。
一歩づつすすんでいきましょう!

映像科:おすすめの本/多木浩二『生きられた家』

こんにちは、映像科講師の森田です。
冒頭から非常に個人的な話で恐縮ですが、近々自宅の引っ越しを予定しています。数年とはいえ自分が住んだ場所を離れるのは、やはり感慨深いものがありますね。

日頃時間があるとふらっと本屋行くことが多いですが、そんな個人的な理由もあって、最近はついつい「家」や「住宅」についてのコーナーに吸い寄せられて、気になった本を手に取ってしまいます。その中で「おや」と発見したのは、平凡社の「くうねるところにすむところ」シリーズから出ていた奥山明日香さんという人の『「生きられた家」をつむぐ』という本でした。2013年に出版されていたこの本は、多木浩二さんという人の『生きられた家 経験と象徴』の文章が下敷きになっています。

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多木浩二さんは数年前に亡くなられましたが、美術、写真、建築…など非常に幅広い対象について評論をした人です。森山大道という人や、やはり最近亡くなられた中平卓馬という人たちと60年代後半に伝説的な写真雑誌『プロヴォーク』を出版した…と言えば、写真に興味を持っている人にはわかるかもしれません。そうした幅広い活動の中にあって、この『生きられた家』という本は、ベースには建築を対象とした批評がありますが、文章も比較的柔らかく、多木さん自身の幼い頃のエピソードなども書かれていて、評論文というよりはエッセイという感じです。
一方奥山さんの本の方は、多木さんのテキストを引用しながら、自宅の写真や文章が加えられていて、こちらもなかなか素敵な本でした。

ちなみに『生きられた家』という本は、1976年に出た本ですが、たびたび版を重ねています。岩波現代文庫版ならば手に入りやすいと思います、と書いた流れで調べてみたら(amazon)そうでもないみたいですね…。でも図書館などには置いてあると思うので、ぜひ手に取ってみてください。先ほど評論文というよりはエッセイ、と書きましたが、むしろこういう柔らかい文章、自由な書き方も評論にはあるんだなということを知ったという意味で、個人的にもとても好きな本です。
個人的にとても好きなので映像科の小論文の授業でも紹介したこともありますし、数年前には武蔵美の学科試験にも使われていて(確認したら2014年度入試のB日程でした)、ちょっと嬉しく思ったりもしました。まぁ、受験生にとってはなかなか手強い文章なので嬉しくはないと思いますが…。

いずれにしても、エッセイでも、評論でも、ぐっとくる文章を読むと思わずヴィジュアルつまり映像、そして物語が頭に浮かぶことがありますね。そういう感覚って映像科の実技課題ではもちろん必要ですが、何かを作る人にとってとても大切なことだと思います。
最後に『生きられた家』の一節を引用してみます。あなたならばこのテキストからどんな映像が浮かびますか?

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「人が立ち去ったばかりの部屋に入ると、この活動の残したエネルギーが頬をうつ。空洞化した部屋の壁や床や天井には無数の痕跡が見出される。壁や柱の上の落書き、原因がそれとわかるようなしみ、わからぬ汚れ、残していったカレンダー、はがされたピンナップのそこだけが妙に白い痕などが、謎めいたことばを語りはじめる。空虚なはずの家がことばで充満し、叫び声を押し殺しているように見える。(略)痕跡を眼にしたとき、われわれはすばやくこれを読みはじめているのである。」

バルールについて

こんにちは。油絵科の関口です。
さて、皆さんはバルールという言葉の意味を理解しているでしょうか?
え?バルールなんて聞いた事もない?油絵科では既に死語になりつつある言葉なんでしょうかね…。僕も年に1?2回言う程度ですからね。でも絵を描く上でとても大切な概念なんですよ。

バルールという言葉を調べると、必ず「色価(しきか)」という言葉が書かれていますが、日本語に訳されたこの言葉を見て「なるほど、意味が分かった!」という人は殆どいないのでは無いでしょうか?この文字を初めて見た人の多くは「色価?何それ?」となる事は間違いありません。誰が最初に訳したのか分かりませんが、もう少し分かりやすい(伝わりやすい)言葉は無かったのでしょうか?と考えてしまいます。

この言葉を理解する上で、よく例に出されるのは、ボナールの作品です。ボナールの絵を白黒画像に変換すると、まるでデッサンのようにちゃんと明度が合っていて、空間的にも全く違和感を感じません。bonnard1at-sea-1924

あと、マティスの「緑の筋のある婦人」もバルールの話になるとよく出てきますね。自分にとっては、もう見慣れてしまってよく分からなくなってしまいましたが、初めて見た人は顔の真ん中にある緑色の筋が気になるようです。

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要するに、バルールとは、色彩(有彩色)を明度で置き換えた価(=値・あたい)が、画面上で相対的に正しく表現されており、それが画面の空間に正しく収まっているのか?を問う言葉として、一般的に使われているようです。

 

ちなみに英語で明度の事をvalueという事があります。
実際にアクリル絵の具・リキテックスのラベルには、その色のVALUEの数字が割り振られています。例えばチタニウムホワイト(一番明るい色)にはVALUE:9.6という数字が、マースブラック(一番暗い色)にはVALUE:1.5という数字が書き込まれています。?Ê?^ 4

全ての色に数字が割り振られているので、色を選ぶ時にどちらが明るくて、どちらが暗いかを数字で判断できます。(リキテックスでは数字が大きい程明るい)

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上の絵具をパレット上に出したもの。左側が明るいのが分かりますね。

なので、リキテックスに関してはこの数値を気にして色を混ぜていけば、理論上正確な明度で絵が描ける事になりますね。例えば、同じ数字同士の色を混ぜれば、同明度で色相を変えたり、彩度を落とす事が可能です。リキテックスを使っている人は試してみてはいかがでしょうか。
リキテックスのVALUEは数値化されているので、音楽でいう絶対音感みたいな感覚なのかもしれませんね。

 

さて、もう一度バルールの話に戻します。
何故日本ではバルールという言葉を「明度」と訳さなかったのでしょう?
確かにバルールは狭義では、明度と空間的な位置関係の事を指します。では明度が合っていて、彩度や色相が合っていない場合はどうでしょう?

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パソコン上で彩度や色相を変えてみると、分かりやすいですね。明らかに色が飛んでいたり、鑑賞者に変な印象や違和感を与えてしまいます。これではバルールが合っているとは言えません。

つまり、バルールとは色の三要素である「明度、彩度、色相」と絵画上の空間の関係が正しく表されているか?を指す用語なのです。 え?やっぱり分かりにくい?・・・これ以上簡単に説明できなくて、申し訳ありません。

では、仮に画面上で色が飛んでいたとしても、他の方法でその色を空間的に収める事が出来たとしたら、バルールは合っている、という事にならないでしょうか?
・・・こんな事を考えていくと、まだまだバルールという言葉を死語にしてしまう訳にはいかないですね。

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最後に宣伝です。10月19日(月)?29日(木)に銀座のギャラリー和田で、個展を開催致します。
お時間のある方は是非見に来て下さい。