こんにちは。
8月1日より、9月入学特待生試験の受付を開始しました。
8月26日(水)に実施します。
9月入学を希望する高卒生で、熱意と集中力のある学生を広く募集しています。
特待生に認定されますと、本校規定により授業料の一部が免除される制度です。
これから新美への入学をご検討の高卒生は、ぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
詳細はこちらでご確認ください。
http://www.art-shinbi.com/tokutai/index.html
こんにちは。
8月1日より、9月入学特待生試験の受付を開始しました。
8月26日(水)に実施します。
9月入学を希望する高卒生で、熱意と集中力のある学生を広く募集しています。
特待生に認定されますと、本校規定により授業料の一部が免除される制度です。
これから新美への入学をご検討の高卒生は、ぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
詳細はこちらでご確認ください。
http://www.art-shinbi.com/tokutai/index.html
こんにちは。学生課です。
先日、2015年度に芸大油画に現役合格をした宍倉君と、油絵科夜間部の阿部先生とで対談を行いました。
今まさに夏期講習中で、色々悩んでいる現役生も多いのではないですか?
新美HP特設サイトで、対談の様子や、宍倉君の夏から合格にかけての作品を紹介しています。
みんな悩んだり試行錯誤しながら、制作しているんですね、、! ぜひご覧ください。
http://www.art-shinbi.com/event/abura_taidan//

「芸大油画 12年連続合格No.1の新美が解く、芸大油画」特設サイトはこちらから。
http://www.art-shinbi.com/event/oil_painting/
今後もいろいろな特集を組んでいきます!
たまに新美HPをのぞいてみてくださいね!
こんにちは!日本画の佐々木です。
早いもので夏期講習ももう中期です。皆さん調子はどうでしょう?
私が受かった年の夏期講習は、いい作品なんて一枚も描けず、自分が出来ないことが山積みなのがはっきりわかった……だけ。という苦い思い出しかありませんが、この時期の悩みや不安はこれから受験までのとても大切な鍵です。
今つらい人は、それと向き合った先にきっといい結果が待っていますよ!

さて、今年の新美の夏期講習はこんな感じです。
とても活気があってアトリエがパンパンです。夏!って感じですねえ。

講習会でもどんどんデモストしちゃいます!
前光の難しい位置から、ラオコーンを描く坪井先生。
完成はこちら。

さすがの貫禄です…!
坪井先生の絵は、立体感を大きく出しつつも、細部の描写がかなり充実したデッサンです。
時間内に立体も、描写も…と、仕事を詰め込むため、とんでもないスピードで絵が進んでいきます。
受験の時にこんなひとが隣にいたら、ちょっと焦りますね…。
浪人生、現役生、さらには講師まで混じっての制作で、みんな沢山の刺激を受けているようです。

今までの自分を超える一枚が描けたことも、自分史上最低な絵を描いたことも、講評で悔しくて泣いたことも、全部自分の栄養になると信じて。がんばろーう!
こんにちは、日本画の佐々木です。
日本画ブログ、来週月曜日の更新予定です!夏期講習の様子をお届けしますので、少々お待ちくださいね。
こんにちは、油絵科夜間部です。
前回の”亜斗の件”、覚えていらっしゃいますか?
ケンとハートの闘いです。
それは、ある作品のオマージュ?というと大層ですし
パロディーというと、クレームがつきそうですが、
そのような体のマンガもどきになっています。
「解説は次回に・・・」で終わらせてしまいました。
何の作品が元になっているのか?
お分かりになったでしょうか?
もちろん、お分かりになったかと?思いますが?
答えは、オノ・ヨーコさんの「天井の絵画」です。
オノさんのロンドンでの初個展(1966年・インディカ画廊)で
展示された作品です。
後の旦那、ジョン・レノンとの出会いのきっかけとなった
あまりにも有名な作品です。
ジョンは、こう語っています。
「レコーディングがない日は、画廊なんか観るんだ。
何か凄い女がショウをやるって、耳にした。そこでプレビューに
行ってみたんだ。(中略)天井に絵があって、それを見る為に梯子が用意してある。黒っぽい絵に見えて、それを見上げる為の双眼鏡がくっついている。で、梯子を登って双眼鏡をのぞいた。そこには小さな文字で“YES”と書かれていた。肯定的なのさ、だから救われた。すごい感銘を受けた。それから、彼女がやって来て、カードを手渡された。“息をしなさい”って書いてあった。」

さすがオノさん、シビれます。ジョンには、最高のタイミングだったのでしょう!この出会いは、彼女の最高傑作だと私はふんでいます。
その個展前の彼女の作品は、展示ができるような、具体的なものとして残らない作品がほとんどでした。映像とか、ハプニングです。この出会いを狙ったのではないかと、思えてなりません。
この後、彼女は飛躍的に変わっていきます。作品も知名度も。それは、色々な意味で手放しに良かったとは言えないかもしれませんが、本人が強く望んだことではないでしょうか?

因みに、彼女がジョンにやられた出会いは、違っていたようです。
「ジョンが”金槌で釘を打て”というタイトルの作品に向かって、釘を打っていいかときたのです。象徴化された作品で、傷ひとつない釘が置いてあった。釘を打ち込みたい人は、1本5シリングを払うということに決めてあった。だからそのことを伝えると、ジョンは暫く考えて、「じゃあ、空想の打つならどうなるか?」と聞きなおしたんです。すばらしかったわ。それこそ私のゲーム。ジョンと私は同じ次元のゲームをしていた。その時、彼が誰だか知りませんでしたけれど。誰だか知ってからも何もいうことはなかった。私のいう意味は、つまり、芸術から見たビートルズの存在は”べつになんとも”ってものだったということ」

「私は美人で、頭も悪くないし、身体もいいし、幼い時から、廻りの人に気をつかって、随分尽くす性だし、今は、その延長で世界の為に、と自分の出来るだけはしているのだから、自分では何もコンプレックスを感じていない。それがこれだけ悪口を云われて来た、と云うのはどういうことなのだろう。」(中略)
「空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか。私はただ私でありたい、と思って暮らして来ただけだ。その私であると云うことが、そんなに怒りをうけるのだったら、人間社会はこわい、と思う。」(中略)
「自分のいい子ぶりにウンザリしている位で、略、本当は世界にむかって、バカヤローと叫びたいのが本音だ。」1984年10月 ニューヨークにて
私も同感、バカヤローと叫びたいところですが、特に油画科の受験生には、思い切って、バカヤローと叫んでほしいものです。