今日で2025年最後ですよ。
その最終日にブログを書いて良いよという、ご指名を基礎科がいただきました。
すごい大役ですね。
絶対みんなこたつでこの記事読むことになるじゃないですか。
(本当に見てます、、、?)
そんなこたつ民に送る記事を書くというのも
何を書けば良いのかなかなか悩むのですが。
2025年、本当にいろんなことがありました。
世界のすでにずっと続いてる悲しいことは今年も終わらなかったし、
社会情勢はジェットコースターのようですし、
自然の脅威は私たちを容赦なく襲ってくるわけですし。
この1年がが今の若い人たちに日常だと思って欲しくない
と心から思った1年でした。
みんなニュースを見よう。
私は夏のポートフォリオ講習会の授業もやっていて、
面談練習などで、生徒と面談の予行練習などをしたりするのですが、
その際に必ず時事問題の質問をしたりします。
大学によっては面接時の直近のニュースを急に質問してきたりします。
その質問に正解があるわけではなく、
ニュースを「どのように捉えるか」を試されています。
当然普段からニュースを見ていなければ急には答えられませんし
見ているだけでも答えられません。
世界で起きていることに対して、
日本で起きていることに対して
それがどのように自分と繋がっていくのかをイメージする力
を問われています。
私が在籍していたデザイン科は当然ですが、
日本画や油絵科にしたって、意外なようですが何かしらの形で世の中と繋がっているんです。
景気が悪ければ絵は売れないし、売れる作品のトレンドは世界の流れと何かしらの形で
繋がっているでしょう。
そして、表現というものは平和の上に成り立っています。
また私たちの行っているの表現は過去に
多くの人が1つの方向に進むための表現として使われた過去があります。
(今年国立近代美術館でそういった展示が行われていましたね。見に行きましたか?)
表現をするにあたって、世界や自分に多角的な視点を持つこと。
そして、自分がそれに対してどう思うのか?
そう考えることを、表現する者は止めてはいけないのではないか、と思うのです。
本を読む、漫画を読む、映画を見る、なんでも良いんですが
それが自分は面白かったけど、評価は低くレビューはくそみそに書かれている。
「もしかして私が間違ってるのかなあ」
そんなことはなくて、あなたが面白いと思ったのなら面白いと言えば良くて
全然そこで周りに合わせる必要はなくて。
そういったことで自分の感じたことにモヤをかけないで欲しいなと思います。
逆にリアルの友人に出会った時に自分と反対の意見だった場合に
「なんで彼(彼女)はそう思ったんだろう?」と汲み取る力というか余裕みたいなものが
あれば良いなと思います。本当に。
大事な相手と大事な関係を続けていきたいからこそ、
反対の意見に対して否定したりなんとなく流すのではなくて
話してみるという。いや難しいですよね、話し合うの。
仲が良いからこそ。
でも、そんなことから世界の見方って変わっていくはずだと思うんです。
日常の半径1.5mから変えていくというか。
なんか話がとっ散らかってしまいましたね。
でも本当に大切なことってシンプルじゃないんです。
大切なことってわかりやすくないし、理解するのに時間がかかるんです。
人間関係だってそうじゃないですか。
なので、皆さんにはそういった問題に対して
すぐに答えを求めようとするのではなく
じっくりと向き合って、あーでもない、こーでもないと
いろんな方法で考える力を今のうちは養ってほしいです。
昔は人生50年だったそうです。(織田信長が言ってた)
今は100年時代ですよ。倍ですよ?
なのになぜかみんな答えを出すのを急いでる。変じゃないですか。人生のびたのに。
何に急いでるんですか。
お正月はお餅食べて、
のびたお餅と伸びた人生を比べて
自分の前にある世界のことをゆっくりとこたつの中で(うとうとしながら)
考える時間に費やしてみてはいかがでしょうか。
それでは良いお年をお迎えください。
