春なのにもうTシャツかー、コート着てる期間全然なかったな〜〜
なんて言っていたら冬でも着なかったコートを出さなきゃいけない羽目になって
厚着したら今度は暑すぎたりして、毎日生活していくだけでなんだか疲れるという。
そんな中で入学したり、新しい会社に入ったり、
この春から新たな生活をする方々のなんて逞しいことか・・・
子供向けの番組でこの時期「ドッキドキの1年生〜」っていう曲を聞くと
なぜだか涙がツーッと出てきたりして。
姪がこの春から小学生だってことで、なんだかあっという間だなあと。
昔は本当に1日、1週間、1ヶ月が本当に長くて、毎日いろんなことに驚いたり怒ったりしてたんですが、大人になると、「知ってるつもり」になってしまって、さまざまなことに
感動しなくなってしまうのかもしれないですね。
1年あっという間ですもん。
1日という時間はみんな平等なのに、
時間が過ぎる感覚が変わる気がするなんて、なんか変な感じですよね。
夢中だったり、楽しかったりすると1日があっという間って小さい頃よく言われてたはずなのに
大人の1日もあっという間なんですよね。
不思議ですねえ。。。
そう考えると
なんとなくスマホゲームやってたら1時間経ってた、
なんとなく動画見てたら1時間経ってた、
って怖いですよね。。
大人になってもよくあることなんですが、今って特に
なんとなく時間を潰せてしまうツールってすごく多くて。
その限られた時間の中でなんとなく時間が溶けてしまう感覚ていうのを
「あ、やばいな…」て思うのは大事だと思うんです。
その時間を溶かすような 、人が没入しやすい仕組みを理解して、
そういうのは作られてるんだぞっていう。
(ぜひ10代のうちにモモという本を読んでみてください)
自分なりの楽しさや、面白さ、気付きみたいなものって
自分から見つけに行かないといけなくて、
人からは教えてもらえないんです。
それが将来的に、自分なりの表現や視点に繋がっていったりして。
SNSが広がって「いいね」によって良し悪しの一つの指針ができてしまって
わかりやすく複雑に手が込んだものや、カテゴライズしやすいもの、
完成度が高く見えるもの、判断しやすいというものが
現代のスタンダードになってきてしまっているような気がします。
その流れに反するものは「よくないもの」とされているような。
ですが、美術表現をする人にとって
「人から何を言われようと貫き通したいもの」というのが
何よりも大事な気がします。
誰からも見向きもされなくても、自分にとって大事であればそれで良いという。
それを自信を持って「自分はこれが好きだ」と今は言いにくい時代なのかなと思います。
限られた時間の中で、
自分だけの「好き」を探しにいく冒険こそが
人生なんじゃないかなと、新しい生活の始まる春に、
ふと思ったりしました。
来週10日から、基礎科も新学期がスタートです。
新たな生活にお供にさせていただけたらと、
講師一同みなさんがきてくれるのをウズウズと
お待ちしております。