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《基礎科》よく面談で親御さんに聞かれること。

先日、無事『現役合格座談会』終了いたしました。

事前申し込みと当日飛び入り参加で、多くの生徒さんに参加していただけました。

基礎科の時に見ていた生徒といえど、受験科に行ってしまうと(時々見にいきますが、)
どのような心情だったか、波はあったのか、などはわからないもの。
話を聞いていて、「あ〜そんなこともあったんだねえ」と、
驚くこともたくさんありました。

 

 

東京芸大を現役合格した4人、4人それぞれの努力や工夫があってとても面白かったのですが
やはり4人ともすごく自分を客観視できているなあという印象でした。

今、自分に何ができていて
何が足りなくて、
そのために何をしなければいけないのか?

ということを自分で決めて行動していたのがような気がします。

側から見れば、変わった行動だけれど
その行動に自分が納得できる意味があるし、その行動にしっかり責任を取れているというか。
(受かったから言える、というのもありますが。。)

『何をすべきかを自分で考え、自分で責任を持って動ける』

それって、大学が欲しい生徒像なんだろうなと思うわけです。
特に芸大は課題がそこまでタイトではないので、自分たちでその空いた時間を
どのように使うかが委ねられます。
大学というのは、そもそも人に言われて何かを学ぶところではないと思います。
自分から研究し追求する学生が欲しい、だからそれができる学生は
現役で受かるのかもしれません。

そんな話の流れで、よく面談で聞かれる質問についてお話ししたいと思います。

「どこの科に行ったら就職ができますか?」
「XX科は就職がしづらいと聞いたので、OO 科が良いと思うのですが、、、」
「XX大学に行ったら就職はできますか??」

など、選考や大学による就職の悩みです。

この不安定で、収入も不確かな昨今、そういった声が親御さんもしくは
生徒さんの方から聞こえてくるのは当然のことかもしれません。
せっかく入った大学、しかも安くもない学費を払って卒業して
就職できなかったらどうしようって。
考えるのも当たり前かもしれません。

あくまでも、僕の意見なのですが、
正直どこの科、どこの大学だとしても就職はできると思っています。
(ちなみに私は大学卒業後、会社員を6年半、3社を渡って働いていました。)

そもそも大学は何をする場所なのか?となった場合、
私は大学は研究の場だと思っています。
自分からテーマを決め、それに対して表現や作品を通じて考えを深めていく。
その途中に何度も自己と向き合うこともあると思います。
そして、社会や他人と向き合うことは避けられません。

そうした時に、社会に出たときにどうやって生きていくのか。
どうやって自分の今やっていることで、自分の好きなことで食べていくのか。
どうやって自分の技術や知識をマネタイズしていくのか、ということを考えます。

今の画風では、埋もれてしまうから違う描き方を考えるかもしれません。
自分の方法にピッタリハマる場所があるかもしれません。
消費社会から距離を置く、という考えもあるかもしれません。
美術をやめる方法だってそこにはあるかもしれません。

僕の先輩に、デザイン科を卒業し、色々あって庭師になった先輩がいます。
「え、庭師??」と思うかもしれませんが、
『芸大デザイン科卒の庭師』と聞いたらどうでしょうか?
それだけでもオリジナリティがあるのです。
(もちろんその先輩は人格も技術も素晴らしい方なので、大学のネームバリューだけでは決してないですが。)

要は、どこどこに行ったから就職できるのではなく、
大学でどのようなことをして、いかにその目標や目的に対して主観と客観視を繰り返していたら
自然に自分が進むべき方向は見えてくると思います。
会社も、この人は4年間何やってるのかを見てるわけですから、、、」

そう考えると、高校3年生の受験の時から
そういった考え方や見方というというクセづけは始まってるのかもしれません。

と、いうことを
座談会でこの前まで生徒側だった4人を見ながら思ったのでした。
今やってることは、受験のためだけではなく、
その先にも間違いなく続いている。
と、私は思うのです。

《基礎科》アトリエや机の上だけでは伝わらないこと

みなさん作品見に行ってますか??

先日マティスの展示を新国立美術館に見に行って
興奮しすぎてうっかりミュージアムショップで2万円近く買い物をしそうになりました。
(流石に戻しましたけど)
その時買ったマティスのポスターを自宅の壁に貼っているのですが、
ふとした瞬間に、マティスのおおらかな曲線が目に入ってくるのは
なんだかどんなアロマよりも心が穏やかな気分になるような気がします。

最近は時間があって、いろんなものを見に行こうと心がけているのですが、
・展示
「大吉原展」
「マティス展」
「宇野亜喜良展」
・映画
「青い春」
「悪は存在しない」
「ありふれた教室」
「関心領域」
などを見に行っていました。

自分が一番展示を見に行っていたのは浪人中だったのですが、
その次に今色々見ているかもしれません。
展示とかって、なかなか
見る習慣がつかないと行かなくなっちゃうんですよね。
近々、MINGEI民藝展とシアスター・ゲイツ展を見に行きたいと思っています。
ダブル民藝展、とても楽しみです。

 

さて、その中で「関心領域」という映画について触れたいと思います。

学校の授業で必ず習う第二次世界大戦下で行われた、ナチスドイツ政権とその同盟国および協力者による、ヨーロッパのユダヤ人約600万人に対する国ぐるみの組織的な迫害および虐殺がテーマの作品です。

劇中ではその収容所の塀の横に住む幸せそのものの家族の生活を写し続け、誰もが望むような生活の隅にはそのアウシュビッツでの惨劇が見え聞こえてきます。
しかしそのことに誰も気を止めず、日常化していく。見ている側も、その連続して流れてくる音や”情報”に慣れていってしまう。戦争の1番の恐ろしいことは、この人間の持つ対応力なのではないかなと思います。時々感じる違和感を心の中で押しころし、慣れていってしまう。誰もがそのことは許されざる行為と知っているのだが、それを日常化してしまう。

殺すのではなくまるで雑草を抜くかのように日常的に効率的に処分する、という信じられないことが人間にはできてしまうし、そのことに慣れていってしまう。
まさに今世界で争いやジェノサイドが続いている中で、ふと自分を振り返り、
そのことを日常化していないかを改めて振り返りたいなと
心から考えさせられる作品でした。。

この作品はアカデミー賞で録音賞を取っています。

聞こえるか聞こえないかの音量でずっと鳴っている音であったり、
立体音響を駆使した音の空間というのがとても上手く作品を演出しています。

近年、映画は公開からすぐに配信され、「配信まで待とう」という方も多いと思うのですが、
こういった立体音響や、映画館という密室の空間を演出として積極的に用いて
映画を”観る”だけでなく”体感する”という作品がとても増えてきたような感じがします。
映画監督はそうした場合、映画館で観ることを想定して作品を作ると思うので、
「配信ではかなり作り手の意図はかなり薄まってしまうのでは無いかなあ」と最近思ったりします。

テーマはとても重く、観る人に考えさせるテーマではありますが、
映像作品として、音響やカメラアングルなどとても見応えのある作品だと思うので
ぜひ美術を志す高校生も、大人も、映画館に足を運び、観ておくべき映画だなあと思いました。

ちなみにこの監督のジョナサン・グレイザーは超有名なPVの監督でもあったりするので、
映像作品として勉強になると思います。
DIRECTORS LABEL ジョナサン・グレイザー BEST SELECTION [DVD]

さて、そんな”体感”するイベントなのですが、
基礎科も今年もそんな体感イベントがやってきます。

基礎科座談会シリーズ第5弾は
『現役合格座談会』です。

 

 

2023年度、ena美から現役で芸大合格者が出たわけなのですが、
その中の4人は、基礎科出身者でした。
そんな4人が、高校2年生の時どんなことをしていたのか、
どんなことを考えていたのか、
また、受験科に上がってからどんな工夫をしていたかなど、
芸大に現役で合格したその軌跡などを、当時の作品と合わせて
振り返る会にしたいと考えています。

面談をすると、よく
「芸大なんて現役では…」
「芸大に現役でいく人って小さい頃からやってたんですよね」
という声を聞きます。

ですが、彼らが予備校に通い始めたのは高1、2からでした。
美術高校というわけでもなかったりします。

どんな努力や、工夫が合格の裏にはあったのか、
それを参加者の皆さんと掘り下げて行ってみたいと思います。
ぜひ体感して、今後の授業に活かしてもらえればと思います。

↓下記リンクより事前申込をお願いいたします。
(申し込み多数の場合は、締め切らせていただく可能性がございます。)

『現役合格座談会』
6月16日(日曜) 10時30分〜15時00分まで

みなさんのご参加を、お待ちしております!

《基礎科》G Wがあけました!!!!!

GWが終わってしまいました。。。

自分が高校生の時、GWが終わった時どんな気持ちだったのかは流石に忘れてしまいましたが、
社会人になってから、それはそれはきつかった記憶があります。

こんなに長い休み挟んで会社行くぐらいだったら、むしろGWなんてない方が良いのに、
むしろこんなに長い休みならもっと上手く分散させてくれればいいのに(6月とか休みないし)
という気持ちは今も同じです。

特に、物価高に円安にどこに行くにしたって人人人、GW何をすればいいんだっていう。
いつからこんな世の中の状態になってしまったんでしょうかね、、、

でも、こういった長い休みこそ美術系の人にとっては制作のチャンス。
誰にも邪魔されず、自分の好きな制作を好きなだけできるタイミングです。
長いGWの間に、一つ自分が作ったことのないサイズや、大きさ、密度のものを作ってみてはいかがでしょうか???
家の中にいても美術はできます、日頃頭の中でモヤモヤしてるイメージを、このタイミングで
作品にぶつけてみましょう!!

と、できたらいいのですが。

休みだったら、休みの分だけだらけてしまうのが人間です。
僕も例年は上のようにまではいかないのですが、棚作ったり、模様替えしたり(その程度)
何かしようと重い腰をあげたりするのですが、今年は仕事のひと段落のタイミングとかぶってしまい、ほんとにだらだらしていました。すいません。

ずっと、ゲームの中で荷物を運んで道路を作るか、ネットで映画を見て過ごしていました。

そんな中でふと目にした話をしてみたいと思います。

 

 

“駄作”を見ることの必要性について

映画にしても、本にしても、作品にしても、駄作と呼ばれるものがあると思います。
それは世間的にとっての駄作なのか、自分にとっての駄作なのかはわかりません。

何かを作ったり、表現をしていくにあたって、
自分の好きなもの、口当たりの良いもの、わかりやすいものだけを摂取していくこと。
それ自体は悪いことではなく、むしろとてもしやすい行為だと思います。
どんどん取り込んでいけるでしょう。

ですが逆に、自分にとって、受け入れづらいことや、難解なもの、つまらないもの
というのは苦痛です。映画などの長いものなどは、時間の無駄に感じるかもしれません。

ものを表現するにあたって、
そこで、席を立ったり、スマホを開いたり、閉じてしまったりするのではなく、しっかり全てを見てから、一度考えてほしいなあと思います。

「なぜつまらなく感じたのだろうか?」
「どのような表現だったらもっと面白く感じたのだろうか?」
「どんなことを伝えたかったのだろうか?」
「誰に向けて作ったものなのだろうか?」
など

ただ、好き嫌いではなく、
もう一歩、踏み込んでもらえると良いかなあと思います。

ただ駄作、と切り捨てるのではなく、
そこから製作者の側に立って考えてみる。
果たして、これは無駄な行為でしょうか??

自分の中で受け入れないものを見た時に、(または世の中が無駄といったものに対して)
時間の無駄と考えることは、少し危険な行為に思えます。
時間の無駄、時短、タイパなどがもてはやされる昨今ですが、
人間が持つ24時間という時間は昔から変わりません。
むしろ、移動や作業時間というのは短縮されています。
ということは、本来であれば時間というのは空いているはずなのです。

しかし、その空いた時間というのが何かに使われてしまっていて、
なんだか忙しいような、時間を削らなくちゃいけないような気持ちになっていないでしょうか??
(このことについて気になった方は、ミヒャエル・エンデのモモを読んでみてください、まさに現代のようなことが書かれています!)

無駄と思えるようなことでも、その裏側にあることをしっかり見る、考える。
それがものづくりをする上で、とても大事なものの見方だと思います。
そして、(ある意味)駄作と呼ばれるものも見ることで、自分がものづくりをする上でなぜそれが駄作と呼ばれたのかを活かすことができると思います。
駄作を見ないと、良いものは作れない、と僕は思います。
(そうなると果たして駄作とは…?となる)

そう、無駄にも意味があるのです。

きっとこのGW中の僕のだらけた生活にも、
意味があると信じたいです。。。

では

《基礎科》春はあけぼの

4月になりました。

とはいえ風がゴーゴー四六時中吹いてたり
温度の差が朝夜で激しかったりと、
僕にとっては3〜4月が、いつからかだいぶしんどい季節となりました。

学生の頃は入学式や卒業式、進級などで4月を感じますし
会社員の時は新入社員が入ってきたりと、
4月から何か変わる、ということが必ずあったような気がします。

しかし徐々に4月になって自分にとって何かが変わることがなくなってくると
ただただ体調不良と、午後の眠気だけが残る、なんだか好きになれない
季節という印象だけが残っているわけです。

春といえばお花見ですが、
そもそも外で何かを食べるのが僕は好きではなかったり
(なんで食べ物に砂埃が入るのにわざわざ外で食べるのか、、、と思ってしまう)
3時過ぎたくらいで大体この季節は寒くなってきたりと、
もう何年も参加してませんし。

実はこのブログも書き出したのはいいけども
着地点も全く定まっていないまま書き始めてしまっています。

さて、、

そんな気持ちは置いておいて、
ena美的には、明日から基礎科2024年度がスタートします。

気持ちも新たに、
新学期がスタートするわけです。

実際は春期講習から、新学期はスタートしているようなものなのですが、
明日からです。

そして…
基礎科では今年度から新たな講師が増え、
また去年とはちょっと違った攻め方も考えています!

毎年恒例の6月のイベントもすでに構想は練っています!

そうなんです、4月から基礎科はエンジンかかりまくっています!!!

なぜかっていうと、、、
今年の芸大合格者の内訳で、22年度基礎科所属だった基礎科生から
4人も芸大現役合格が出ました!!!
(油2名、彫刻2名、デザイン1人)

基礎科から通えば、
芸大現役合格が狙える!

と言われるような基礎科を、
今年度は頑張って目指していきたいと思っています!!

そう、春はあけぼの!
ここから、新たな気持ちで受験に向かって
基礎科でスタートを切っていきましょう!!

《基礎科》きっといつかは

私ごとですが、、、
先日友人3人と展示をやりました。

僕はデザイン科出身なので、定期的に展示をやることがあまりなく
仕事もクライアントワークがメインなので、自分の作品を作ることって
ほとんどないんです。(自分で使うものを作ることはよくあるのですが)

そろそろ40が見えてきて、ふと「自分はなんで美術の道に来たんだろう?」
と考えた時に、ものを作る楽しみだったり表現することっていう
自分のために何か表現をすることが自分にとって原点だったような気がして。

このタイミングで一度その頃の気持ちで何か表現をしてみようと思ったのがきっかけです。

自分の中で題材を決め、自分で画材を選び、自分の知りうる知識と技術で表現をする。

楽しくもあり、とても大変な作業でもありました。
これを作家の人は日常的に続けてるのだと思うと、頭が下がる思いでもありました。
(とファイン系の人に言ったら、クライアントワークを続ける方が大変だ、と言われた)

実際作品ができて、展示をやることで反応を聞いたりすることができたのですが、
正直作品を作れたことである意味満足しました。
もちろん見てもらって嬉しいのですが、自分の中で生まれたものが一つ形になった
というある種の達成感が大きかったような気がします。

もう一つ展示の際のテーマとして、
デザイナー的な観点を捨てて、アーティスト的な観点で作品を作ることでした。
こうすれば完成しうる、といういつもの自分のものさしを一度置いてみる
ということの実験でした。

結果的には、やはり前者の部分が出さないようにしていても出てしまうし、
その二つが混じってできたものが、大学を出て社会人を経て立っている自分なんだなと、
自分の今までを再確認するような感じでした。

なんで自分が美術をやろうと思ったのか?
なぜ自分がこんな大変な目に遭ってまで美術を続けてるのか?
なぜ自分は表現をするのか?

美術や芸術はきっと自分と向かい合う行為なのかもしれません。
自分の中にもう一人の自分を立ててその相手ととことん話し合う作業。

いろんなことに悩んだり、つまづいたり、美術をやめようと思った時。
そんな時に、そんな自分と向き合ってみるといいかもしれません。
いいねや、他者の発言や比較、そんなもののために行うものではない
純粋な自分と向き合う時間がきっといつだって大事なのかもしれません。

さて、
基礎科ではある意味一番作家性の強い課題というか、
自由度の高い大作週間がやってまいりました。
基礎科最後の課題となっております。

時間をかけて、自分の選んだモチーフをしっかり表現する。
一番最後の課題としてはもってこいなのではないでしょうか。
基礎科の最後を錦で飾りたいところでございます。

今までで一番いい絵が描けたなあと、
自分で自画自賛できるような作品を目指してくださいね。

1年間みなさんお疲れ様でした。
受験科に行っても頑張ってくださいね。