日別アーカイブ: 2016年11月13日

心の檻

こんにちは。油絵科の関口です。
皆さんは自分以外の作品が評価された時「え?????その絵は絶対に許せない!」「何であんな絵が評価されるんだ」と思った事はありませんか?僕も受験生の頃は、そういう体験がありました。
絵だけにとどまらず、世の中には許せない事って結構ありますよね?
「あの発言は許せない!」「あの行為は許せない」「あの人は許せない!」…

こんな風に他の人を許せない事もありますが、意外と多いのは「自分自身を許せない」という人。
強い気持ちが外側に向かっていく事が出来ず(或いは一度は外側に向い、ひと回りして)自分自身にその嫌悪感や罪悪感の様なものが沸々と湧き上がって、自ら出した怨念の毒牙にやられてしまうんですよね…。edvard-munch
そういう気持ちを放っておくと、ドンドン泥沼にはまってしまいます。
そんな時は、魔法の言葉を唱えましょう。それは…

ま、いっか」ただそれだけです。

絵を描く人というのは、元々何かに「拘り」のある人が多い様な気がします。
「拘り」という言葉は、今でこそ「職人の拘り」とか言って、肯定的な意味合いで使われる事がありますが、本来はあまり良い意味で使われる言葉ではありません。
「拘り」とは、別の言い方をすれば「執着」や「囚われ」であり、そこから解放してあげないと、ドンドン苦しくなってしまうものなのです。
「ま、いっか」は自分自身の何かを解放してくれる言葉なのです。

物事はこうあるべき。?でなければならない。?しなくてはならない。そんな事を考えてしまうと、苦しいばかり。
一体誰がそんな事を決めたのでしょう?
親からそう言われた?先生からそう教わった?
例えそうだったとしても、自分の中にあるルールというのは、最終的には自分で決めているものだと思いませんか?自分で決めたルールという杭を打ち、そこに縄で縛り付けて同じところをグルグル回っていても何も進展はありません。それでは牢獄に入れられているのと同じです。

美術の世界の住人なら、そういう心の檻を破って行くのが、私達の生き方だと思います。

sun
ムンク「フィヨルドに昇る太陽」1909年